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温泉津温泉で感じた、新たな価値創出に向けたまちづくりの大切さ。

温泉津温泉に行きました。島根県大田市にある古い温泉街。源泉の歴史は平安時代にまでさかのぼるそうです。もともとはペンペン草が生えた谷地の温泉だったそうですが、毛利元就により戦国時代に町がつくられ、発展していきました。

毛利元就は、当時この付近を支配していた尼子氏から、石見銀山を奪うため、温泉津の港から入り、銀山街道を攻め上がったそうです。銀山が衰退したあとは温泉街として栄えました。

現在は重要伝統的建造物群保存地区にも指定されていて、歩いて10分程の距離の通りは車1台がやっと通れる幅で、通り沿いに、旅館や住居などの建物が残っています。

温泉津温泉

温泉津は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている

以前から僕は温泉津に行ってみたかったのですが、今回初めて家族旅行を兼ねて訪問。年末ながら平日ということで、そこまで人が多くはない時間帯とはいえ、街にあまり活気は感じませんでした。道路はきれいに整備されているものの、街なみ全体がやはり古く、空き家のようの建物もポツポツとありました。

泊まった旅館は、温泉津では最も老舗のひとつでしたが、増築を重ねたと思われる木造の建物は古く、内部は近年改装もされていないようで、かつてほどはお客さんも多くないのでは、という印象でした。

でもお湯はとても良かったです。旅館らしい懐石料理も、海鮮を中心に、地のものをふんだんに使った素晴らしいものがありました。ただ、なんだか自分が旅で求めているものはこれではないのかなと、今回は思いました。

旅館の止まり心地や料理ももちろん旅の要素として大切ですが、まちの建物や通りから人の生活や生業が感じられ、往来もそれなりにあったり、歩いていると店や公共のスペースがあってそこに立ち寄れる楽しいまち。そんなまちであってほしいなと。

温泉津でも、旅館の建ち並ぶとおりに、老舗のお菓子屋さん、新しいレストラン、ゲストハウスがポツポツとありました。おそらく若い人がされているのであろうこれらの施設からは、まちの変化が感じられます。このような場所が複数で連なって、古くからの温泉街に溶け込んでくるようになるとらより街が魅力的に、なるのかな。

おそらく、温泉津のこれまでのスタイルは、日本の各地の温泉地に見られる、かつて団体旅行で利用されてきた、宿泊、入浴、食事がセットで提供されるという伝統的な旅館のサービス。
好景気で客からそれなりの単価をとれ、利益がかなり出ていたのでしょう。それを元手に、建物も建て増して、ハコを増やし、自前でバーなどもつくって、客を旅館のなかで完結してもてなすスタイルです。

しかしバブル崩壊で経済が下向きになると、単価の高い温泉旅館は選ばれなくなり、一方でネットによる情報の充実もあり、旅館のサービスよりか、まちを歩いて人と合ったりまちの歴史に思いをはせたり、人それぞれのやり方で温泉地を楽しむ、というほうにシフトしています。

今回、旅館で朝夕と美味しい料理を頂いたのですが、僕のように、正直ここまでのレベル、値段、量のの懐石料理は求めていない層も多いのかなと思いました。むしろ、そこにお金をかけるより、街で楽しむ方にかけたいな、と思いました。確かに、予約して旅館を選んたのは自分自身なのですが、何か、違和感を覚えたんですよね。僕はもっとまちを楽しみたいのかなと。その仕掛けがまちに感じられると、もっとこの街を好きになるのかなと。

今回泊まった「ますや旅館」さん

それが何なのか、答えをもっているわけではないですが、お店の人の表情だったり、店に入りやすくする看板だったり、まちあるきをしやすくする案内板だったり、そんなものもあると嬉しいです。付近にはかつてつかわれていた立派な登り窯や、美しい港などの資源も豊富ですし。

誤解のないように言うと、泊まった旅館さんとしてのサービスは、もちろん行き届いていましたし、何も言うことはありません。仲居さんも気さくで色々なことを教えてくださいました。従来型のサービスの旅館としては、満足度は申し分ない。

温泉津の街も、歴史や成り立ちは面白いし、銀山観光とセットにできるだけに、これから、人々がまたもとめる価値を、提供できるか。それができたら、もっと温泉津は楽しくなるだろうなあ、と思いました。

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