悩むのをやめよう~輪読会「神さまとのおしゃべり」から

昨日は輪読会。さとうみつろうさん著の、「神さまとのおしゃべり」をみんなで読んでいます。参加者は昨日は9名。

「迷っているということは、実はどっちでもいいのだ」の法則

面白かったのは、「悩む意味はない。悩んだ時点でそれはどっちでもよいからということ。悩み始めたら、勇気をもって悩むのをやめよう」ということ。
僕はよく悩むし、考える体質。選択肢がいくつかあったとき、メリットでめえりっとを考え始めてしまう。結果、決めずに先送りして、翌日また悩んでいる。時間のムダである。
悩むのは、複数の選択肢があったとき、それを取った行き先が、どちらでも困らないということ。つまり、どちらでもよい。なので、悩む。ということは、悩んでも悩まなくても同じなので、時間の節約のために、、悩むのをやめようということ。
参加者さんからは、悩んだら、手っ取り早くできるほうを選ぶという人や、そもそも悩むことが少ないという人がいた。行動することで、また何かが起こるので、行動したほうがよい。行動した結果、新たな選択肢が生まれる。
また、かつて悩ん経験から、今悩まなくてもよくなったという意見もあった。

僕は絶賛今悩んでいるのですが、理由は、実家に帰省する予定だが、年末にするか年始にするか、あるいは3月にするかどうかということ。つまりこの場合、
①年末に帰省し、正月はゆっくりするが、道中天気があれるかもしれない
②年始明けに帰省し、年末はゆっくりできるが、道中天気が荒れる可能性
③3月に帰省し、年末年始ゆっくりできて、天気も良い春に帰省できるが、親に子どもたちを合わせるのが遅くなる
の3つの選択肢で悩んでいる。本当にどうでもいい・・・。どれをとっても困らない。なのになぜ悩むかというと、それぞれのデメリットの比較をしているからということだろう。なので決まらない。リスクと考えている。
デメリットでなk、メリットはどうか。それも比較になるので難しい。では、手っ取り早いほうはどうか。その方が事が早く終わって良い。うん、はやり①だな。

願う前に、リアルに願い叶ってしまう世界は超退屈。

あと昨日の輪読会の面白かったことの2つ目に、「不幸はない」ということ。自分に何か足りないというとき、
例えばお金がないとか、持ち家がないとか、仕事がつまらないとか、いろいろあるけど、じゃあ、この本では、何も不足がないならどうなるかと問われている。そもそも全部足りている、満ちている状態。高級車も家も、楽器も、能力も全部ある。そうしたら、楽しいか。どうも楽しくなさそう。すべての希望がかなっているから、希望がない。なにかしたいという欲求も生まれない。逆に、何かを失いたいという欠乏欲が出てくる。

つまり、ここで言いたいのは、不足があり、こうなったらいいなというのは、幸せな状態ということだ。何かがしたいという欲求があるから人生が楽しくなる。何かが欲しいとき、もしそれが他人と比較した結果あれがほしいとか思っているとしたら、それはいますでに持っている、足りている自分に気づかず、不足の面ばかり見ている可能性が高い。

だから、思おう。なにか不幸を感じたら、ないものではなく、あるものを探して見つめる。大切な家族、そこそこのやりがいのある仕事や職場の仲間、そこから得られるいくばくかの収入、生活に楽しさをくれる家電や生活用品たち、毎日の食べ物。水道や電気などの公共生活基盤もそうかもしれない。あるものが意外とたくさんあることに気づく。
時間もかもしれない。時間があればあれもこれもできるのになあということを思ったりするけど、じゃあ、1日が36時間とか、48時間とか、100時間とかあったらどうだろう。趣味もできるし、娯楽もできる。勉強もできる。子どもと遊ぶ時間もある。でも、何か疲れそうだ。時間があったらあったで、何をしようか「悩む」かもしれない。
そう、どうなってもヒトは悩むのだ。不足状態のときは、不足に目を向けて悩み、充足したら、新たな不足を探してしまう。

参加者にゲームが好きな人がいまして、バイオハザードというのをしていたそうです。そこで最強の武器(名前は忘れましたが)を得ると、今まで苦労して倒していたラスボスが、一瞬にして倒せるそうです。うれしいようなのですが、全然面白くないそうです。強くなりたいと思ってバイオハザードをやっていたのに、実際に強くなると面白くなくて、強くなっていく過程が一番面白いということが分かった。わかりやすい例です。

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