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小説「通奏低音」(4)

 だが、高杉は左手で壊れるぐらい「レ!」と押さえたあとに「レファ#ラレファ#ラレファ#ラ、パラポロヒレハレ、ぎゅいんぎゅいんぎゅいんぎゅいーん!」と鍵盤の上から下まで「レ」「ファ#」「ラ」を踏みはずすこともなく弾いた。

 「レ」「ファ#」「ラ」に人格があるなら残業代を請求されそうなぐらい長く弾いていた。

 ほかの演奏者もとっくに手を止めて「こんな曲だったっけ?」と顔を見合わせていたが、高杉はつき物が取れたように、満足げだった。  

 うちの楽団では練習ごとに、フェースブックに楽しそうな写真を積極的に上げたこともあり(ただし音は載せない、恥ずかしいから)、フルートやオーボエなど、弦楽器以外にも順調にメンバーも増えた。

 管楽器は曲によって出番があったりなかったりするので、都合を合わせるのが大変。「俺はオーディション落ちたんや。吹けるだけ感謝してほしいわ」と心の中でそっとつぶやいてみるが、彼らは自分の居場所があることは当然と思っているようだった。「ま、俺もそうやったしな」と頭をかいた。

 オーボエで尼崎在住の金原さんという中年の女性が入ってきた。キャリアも長そうで、今は地元尼崎のアマチュアのオーケストラで弾いているらしい。実際音もいいし指も動く。身なりもきちんとしているし舞台栄えもする。

 いろいろ話をしてみると「ま、学生時代からやっておりましたから。専・門・で」。そっか、音大卒なのか。

 なのに学校の名前は「ま、いいじゃないですかー」決して言わない。

 この前も神戸市内なのに市境近いのをいいことに「西芦屋ハイツ」と売り出して問題になったマンションがあった。これも「取扱い注意」物件なのか。

 「ただご覧の通り弦楽器もそろっていますから協奏曲もお願いしたいです」。

 最後の「お願いしたいです」と仕事のオファーと勘違いしたらしく、「えっお金を取るんですか」と不満げだ。

 もし尾崎がいたら「なあ、それって自称プロやんけ」とか口走りそうだ。

 いなくてよかった。

 「会場費もかかりますので練習1回あたり二千円いただきます。あとチェンバロのご専門の先生もいらっしゃいますので」。

 同じ音大卒なのに・・・・とそれでも不満げな彼女に、説明する。「ご存知の通り管楽器は余っていて、弦楽器は少ないんです。高杉先生はトーキョーゲーダイ出ておられてドイツ帰りでいらっしゃいますし、あと・・・」。

 ここまで言うと、音大じゃんけんで「負ける」と悟ったのか、金原女史は……

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