ハラスメントポリシー作成のためのメモ

ハラスメントポリシー作成のためのメモ
昨今、数多くの目を覆いたくなるような同業者の蛮行が、勇気ある人々の告発により明らかにされつつある。今後このような蛮行が繰り返されないためにまず取り組むべきことは、ハラスメント・ポリシーの作成である。しかし、これの作成があまりに軽視されてきたため、参照物が少ない。もちろん、これは言い訳にすぎず、ちゃんとよく調べればたくさん出てくるだろう。ただ私は、目についたものに飛びついて、鵜呑みにする前に、とにかく自分の頭でよく考えてみたい。
「ハラスメントしません」
「大声で威圧しません」
「殴りません」
「性的関係を要求しません」
これは、私の考えでは当たり前のことである。しかし、こういう状況に陥ってしまう環境、構造があるのだとすれば、それについてよく考察し、もっと別の対策の方向も模索しなければならない。
私は、演出家で劇作家で劇団主宰である。私に自分に何らかの権威・権力があるという自覚があるだろうか。おそらく「ない」。けれども、実際には「ある」。自分はまだ若手で、尊敬なんてされていなく、実力も伴っておらず、自分の作品に是非ともかかわりたいという人なんて、ほとんどいない(ありがいことにお世辞でもそう言ってくれる人が少しだけいる)。このような謙遜は、権力者としての自覚を遅らせる要因の一つではないだろうか。ひとまず、私は私を権力者であると自覚する。そのほかの権力者との比較は考慮しない。権力がゼロではない以上、権力者である。そして、権力者は権力を濫用してしまいがちなので、その行使にあたって一定のルールに基づかねばならない。そのルールの範疇を超えた時点で、それはハラスメントになる。
「権力者としての自覚」。どんなにへりくだっても、人間の組織では上下関係が発生する。誰かが何かを決めなければ、何一つ事は進まない。みんなで一つ一つ合意形成をしながら進めていくことができれば理想的だが、劇団に限らずどんな組織でも決定権を持つ人がいて、その人が最終的な判断をしてきたのではないだろうか。それが、効率的だったのではなかろうか(ただしそれが合理的であるとも限らないし、倫理的にも間違っていないとも限らない。またみんなで合意形成したからといってつねに正しいとも限らない)。
どう足掻いても、集団で何かをするのなら、そこに「偉い人」が生まれてしまう。偉い人が「私、偉くなんかないよ」と言っても私は信じることができない。「自衛隊は『実力』であって、『武力』ではない」のようなレトリックを私は使いたくない。
いったん、草案を記述する。正直哀しい。最後の部分はつまり、「友人かそれ以上の関係になるなら、もう仕事はしない」もしくは「仕事をするなら、友人かそれ以上の関係にはならない」ということである。もちろん、そこまでせずに妥協点を見つけることはできるかもしれない。しかし、先人によるそういう妥協の結果、そこにつけこんだ卑劣な連中による愚行が今の惨状をもたらしているのなら、ルールにおけるこの程度の過剰さは必要ではないだろうか。
(1)作品創作の進行過程は、その合理性について説明可能でなければならない。
(2)作品創作のアカウンタビリティを確保するにあたって、劇団はクリエーションの進行過程を可能な限り記録する義務を負う。具体的には稽古、打ち合わせの動画撮影、議事録・電子上のやりとりの保存。
(3)作品創作の参加者もしくはその代理人から要請があった場合、劇団は速やかにその記録を開示しなければならない。
(4)(3)の記録の開示にあたっては、劇団はプライバシーに配慮しなければならない。プライバシーへの配慮とは、不特定多数に向けて非公表の情報を無闇に公開したりしないことを指す。
(5)記録にない指示、あるいはその合理性が説明できない指示は、作品創作の参加者の主観によってハラスメントと判断される。
(6)劇団員主催の打ち上げの廃止。
(7)作品創作以外の場において、作品創作の参加者と劇団員のいずれかが個人的な関係をもった場合は、その参加者の作品創作への参加を禁ずる。これは、個人的な関係と作品創作への参加を切り離すことを目的とする。
以上。
  神田真直(2022年5月8日)


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