窮鼠はチーズの夢を見る
同性愛、LGBTQの映画という紹介や謳い文句の宣伝をしてしまうこと自体、特別扱い、差別だと感じられてしまう。特に、当事者とっては敏感に響き届いてしまうものだ。
皆個々に抱えている悩みやコンプレックスと共に生きている。
見た目の問題、顔や体型などの外見は特に隠しきれないものばかりで、男女問わず気にしながら気を使って生きている。性別は見た目でも分かるし、見た目とは違う中身もある。男女もそれぞれの悩みがあり、隠している部分もカッコよく可愛く見せるようにしている。
「ミッドナイトスワン」「his」「窮鼠はチーズの夢を見る」など最近の作品だとあるが、同性愛の内容の作品は昔から公には認められにくくともずっと作られている。
今やっと社会的に公にできる話題になった時代の始まりに過ぎないが、やっと多くの作品が出始め受け入れられるステージに入ったくらいの感覚だと思う。
LGBTQの作品を、LGBTQ方が書いている作品レビューを見かけると、やはり映画への美化や偏見だという意見を見かける。
結局、商業的に綺麗な男たちのラブシーン作っている、イケメン同士のラブシーンに女子が盛り上がる為、などの意見や同性愛者へのイメージ、どうしてそんなに不幸な話にしたがる、どれだけ生きづらい立場に仕上げるのか、結局社会から外れた人種に作っているという意見を見受けられた。
私の意見や映画の感想は後にして。
2年ほど前の私の誕生日に日が変わる頃、いつもの近所の飲み屋で飲んでいた。
若い男子2人が来店して、私から遠くの席だったから特に話さず別々に飲んでいた。私は初めましての2人だったが1人の子は以前に来たことがあると店長は言っていた。
0時を回り軽く乾杯をして、お店に人が少なくなった頃、時間も深くなり一緒に飲み始め少しづつ話し始めた。
記憶はもう曖昧だが、若いが故のカッコつけた話してるな、と思って話を聞いてたような気がする。深夜3時頃だろうか。調子良く酒も回り、こんな小さい店でたった4人(店長、私、2人)のコミュニティの中でカッコつけた話なんてしてんなよ、みたいな軽口を叩きながら話していたら、1人の男子(A)が急に静かになり、もう片割れ(B)は景気良く話していた。
気に触るようなこと言っちゃったかな、いつもの如く口悪い人になって嫌な気持ちにさせちゃったかな、と思っていたら急にAが、僕同性愛者なんです、といきなりカミングアウトをして来た。
どうした急に、と何の脈絡もなく発言したので驚いた。そして友達Bが一番驚いていた。Bは勿論知っていたが、Aがわざわざ自ら言う人間じゃないのに、と言っていた。
同性愛者に驚いたのではなく、突然の発表に驚いた。途中、静かになったから何か感に触ること言っちゃったかなぁと反芻してみたけど、彼がその時カッコつけない姿を見せてくれたのかなぁと思ったりした。
何を思ったのかはわからない。あれ以来、会えてもいない。でも私は今でも頭の片隅に彼のことを覚えていて、またお店に来て欲しいなぁと思っている。
その2人は恋人同士ではなかったけれど、お互いが同性愛者なのは知っている友人だった。Aはその時、LGBTが今受け入れ始めていて隠さず堂々と生きられる社会に、本望ではないというようなことを話してくれた。
彼の真意はわからない。同性愛者、LGBTQの当事者全員が公に認められることが生きやすくなることとは違う。そんな様なことを言っていた気がする。酒の入った頭の記憶は明確では無いが、彼はそんなことを話してくれた。LGBTQを認めよう、性差別をやめようなど、わかりやすい理解は簡単では無いからこそ、どこかで公にしないで欲しいと思ってる人たちだっているのかもしれないということ。
何でもそうだと思う。
最近の森氏の発言然りだが、男女差別についても声を上げる女性もいれば、そこまでしない女性も沢山いる。はらわた煮えくり返り、居ても立っても居られなく、自分の琴線に触れる部分は人それぞれだ。
人間関係、職場の問題、趣味嗜好でも自分が怒るポイントや許せないポイントはあるけれど、全てに全力で声を上げるのは体力が持たない。
LGBTQに声をあげる人もいて当然で、時代も変わり、世界中にはもう性別は多数あり認められる社会になることは理想的だ。日本は大幅に遅れていて、タイや台湾などの国は本当に日本の数十年先の理解力がある社会になっていて、それと共に社会に馴染み受け入れられていく未来の方が良い国になるとも思う。
彼らは、まだ不安なのかもしれない。社会が受け入れようとしている風潮でも、自分たちが堂々といられるのはまた別問題なのかもしれない。全員が同じ価値観では無いことが分かっているから。否定してはいけない風潮でも、そう簡単に受け入れられない人たちもいるだろうから、もしかしたら本人でさえも簡単に受け入れられなかったのかもしれないから。
あの時、どうして話してくれたんだろう。見ず知らずのその日出会っただけの私たちだったから言ったのかもしれない。別に理解して欲しいわけでもなく、やっぱり私が軽口叩いた、かっこつた話ししてるんじゃ無いよに対抗してくれたのかなぁ。その時もその後も、もし言いたく無いことを言わせちゃったなら、悪いことしたなぁ、とも思ったけど、言ってくれた事、私たちだけだったから言ったことだと思い、嬉しくもありちょっと泣きそうにもなった。
映画の感想。言いたかったことは、LGBTQの映画を美談にしようとしていることへの不満、を発することは、女性差別に声を上げることと似ていて、当事者だからこそとても考えていて、考えているからこそ差別的にも感じやすいとも思ったということ。
それは、良く言えば、そのくらい同じ土俵で発言できて反発できて議論できる話題になったことだということなんじゃないかと。
私は、先にあげた3作とも見ているが、どの作品に対しても同性愛者への感情移入なんてしていない。辛いよね、理解されにくいよね、そんな部分に涙もしていない。
ミッドナイトスワンは美しい作品だった。映画として画として、20年前のリリィシュシュやあの頃の青山真治作品の映画の様な、美しい映画をここ最近見ていなかったと思い出される素晴らしい映画だった。
勿論、生まれ持ってしまった運命の残酷さ生きづらさにも心を打たれたけれど、それは性別だけでなく、障害を持って生まれた人や恵まれない家庭環境で育った人など、どれも同等に生まれ持った運命に変わりないことだ。
性別だけが辛い人生の代表では無い。それこそ、特別扱いしてみることが理解に欠ける差別でもあると思う。ミッドナイトスワン素晴らしい作品に変わりはありません。
窮鼠はチーズの夢を見る。特に先入観もなく、Amazonプライムで見かけて見始めた。始まってすぐ、素晴らしい作品だと思い昂った。映像、照明など、行定監督の作る画がとても綺麗だった。暗闇でのキスシーン、街灯の灯りのみの光、雨の窓ガラス、その中でのキスシーン、ベッドシーンはとても美しかった。それは2人が男同士だったからでは無いと思う。2人が、最初は片想いだが、ちゃんと恋愛をしていたからだと思う。性別関係なく窮鼠は、とても純粋な恋愛の映画だと気づかされ感動した。男女の恋愛と同じかそれ以上に純粋な気持ちじゃないと伝わらないのかもしれないからこそ、これはとても純愛な恋愛映画なんだと。
映画の見方は人それぞれだ。作品の誰かに感情移入したり、理解できる考え方か自分には理解できない人間だった、など受け取り方は自由だ。
私は、映画を芸術作品として見がちなのかもしれない。
内容に好き嫌いもあるし、興味のあるものに差はあるけれど、自分の今の気持ちに感情移入をしてみるよりも、社会性や社会問題に絡めて見ているのかもしれない。
そういえば、ハッシュも好きだったな。監督本人が同性愛者だったから、またそれによって作り方も大きく変わるんだろう。
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