見出し画像

「いつかしょうもない喧嘩で本当に死ぬかもしれない」、そんな気がする

僕は結構すぐに心がざわつく。

なんなんだろうか。
よく気が付くんだろうか。

今日だってそうだ。
自転車で青信号の横断歩道を渡るときに右折車が進路に立ちはだかった。
京都ナンバーのその軽自動車の運転手と助手席の主は、じっとこっちを見ながら僕の前を通過していった。

おうおう、出るとこ出たろか

もし煽り運転してきた相手が進路を塞いで車を降りてきたら、殴り合いに応じるかも知れない。

正義感が強いのか?単に未熟なだけだろ?

何か適当な一言で説明のつかないこの心のざわつきは、誰にも理解されないまま悠久の時の片隅に溶けて消えてしまいそうで、とてつもなく怖い。

毎日何かに心がざわつく。

ぶちかましたっていいんだ
ぶっ刺してやったっていいんだ


怖いこと言ってるでしょ?
でもほんとなんですよ、これ。

フックが取れてしまったら本当にやってしまいそうのが自分でも怖い。

理不尽は多面的で、その相手方もこっちに対して同じ思いを持ってるのかも知れないけれど、多面的であると同時にことごとく主観的な代物でもある。

理不尽に出くわせば、キュッと血圧が上がるのを感じ、ジワっと手の平に汗をにじませ、妄想の中ではぐっちゃぐちゃのメッタメタのぎっとぎとにしている画が、ストロボアニメのように流れる。

何をしでかすかわからない。
相手がどう応じてこようと構わない。

理不尽を振りかざしてきた相手に対し、昂ぶりの赴くままに暴れ倒してしまいそうになる。

そうやって、今の生活や平静時の価値観や持てるものや仲間や家族や積み重ねてきたもの何もかもをかなぐり捨て、僕はしょうもない喧嘩で、いつか本当に死ぬかもしれないって、思う。

それがすごく怖い。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切: