子供を不幸にしない教育を

一足遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
今very50のプロジェクトでカンボジアにきており、ご挨拶が遅くなってしまいました。
今帰路の空港にてこの文章を書いております。

個人的には振り返りたいことも新年の展望も多々ありますが、ここでは昨年一年間で私が感じた問題意識と決意表明のみ共有させて頂きたく思います。

昨年一年間で、多くの教え子ないし若者が「問題」に直面しているのを目の当たりにしてきました。
・マルチ商法にひっかかって借金で集めた数百万を失った子とは、夜中に歌舞伎町で売り子を探しに行ったこともありました。
・マルチ商法の加害者になってしまった子もおり、知人の弁護士に相談しながらなんとか足を洗わせました。
・会社の金を横領してしまった子(教え子の友人)とは、弁護士もいれながら和解に持ち込み、返済のための新しい働き口を探しにいったり、一緒に金策に苦労したこともありました。
・学歴もなく、就職に困っていた子を知人の経営者の方に雇ってもらったこともありました。
・借金とカードの返済が追いつかなくなり、自殺しかけていた子を止めに、夜中の柏駅に走ったこともありました。
・喧嘩で知らない相手に怪我をさせてしまった子の、和解の手伝いをしたこともありました。
・ブラックバイトに引っ掛かり給与が払われなかった子とは、一緒にその企業に乗り込んで未払い分を払わせたこともありました。

まだまだあるのですが、全て、私が教員になるまでは想像もしていなかった世界でした。
青臭いと思われるかもしれませんが、世の中にはなんと「問題」が多いんだろうと、絶望したくなるくらいです。
ある教え子から「中山先生の周りは治安が悪いですよね笑」と言われましたが全く同感です。
ただ、強調したいのは、毎日新聞の記事にもある通り、おそらく多くの「大人」の皆さんが思う以上に、今子供たちの周りには「大人による問題」が山積していると言うことです。
https://mainichi.jp/articles/20191220/k00/00m/040/226000c
ちなみに、私の教え子だけでも数十人がこの勧誘を受けたと言っています。
私は教育に関わる末端の1人として、これらを断固として許せません。

そして、これらの問題に生徒とともに直面するたび、私は「教育はなんのためにあるのか」を考えさせられてきました。

仮にも社会科の、とりわけ公民科の教員として彼らと向き合ってきたにも関わらず、彼らは今も、「社会」のことをちゃんと理解していない。ほんの少しの法的な見方や考え方が有れば、経済や金融の仕組みを理解していれば、おかしい、身を守れたはずなのに、彼らはこうして問題を抱えている。
私のしてきた教育は機能していると言えるのだろうか。
そしてそもそも、私は何のために教育に関わっているのだろうか。

この一年考えてきたその問いへの答えは、「教育は、生徒を不幸にしないためにある」のではないか、と言うことです。
それを「生きる力」と呼んでも、「資質・能力」と呼んでも、名前はなんでもいい。
けれど、生徒たちには、社会を生き抜くための最低限の知識や見方・考え方と、「頼れる大人」の存在が不可欠です。
そして、これはどちらか一方では足りません。
車の両輪です。

先に挙げた問題はどれも、「自己責任ではないか」と思われるかもしれません。
しかし、彼らと向き合う中で、何時間も、夜中や時に明け方まで語り合う中で、感じるのは、もちろん彼らにも責任があるものの、根本的な原因は上記二つの欠如ないし不足だということです。
であるならば、誰の責任かどうかは問題ではなく、上記二つによって生徒を「不幸」から守れるのだとしたら、教育はその二つを提供すべきです。
しかしそれは、多分「教員」だけの知識や経験では足りません。
それが、私が政治家や弁護士や民間企業など、「教員」以外の人たちとも関わらせて頂いている大きな理由の一つです。

マルチ商法の勧誘、「自称」ファイナンシャルプランナーによるネットワーキングビジネスへの「洗脳」、ブラックバイトでの酷使。
彼らの存在を知るたび、私は心底から怒りを覚えました。
その多くが、子供達の純粋さを利用し、向上心に付け入り、あるいは心の寂しさや愛情の不足につけ込んでいるからです。
何度も何度も、彼らを止める方法を考えましたが、彼らは実に巧妙に「グレー」をせめています。
彼らを撲滅することはできないかもしれません。
ですが、子供達の未来を思う大人が手を組めば、彼らの「味方」になり、「武器」を渡すことだけはできるはずです。

昨日まで、カンボジアでPaulさんという社会起業家とともに、日本の高校生とプロジェクトを進めていました。
Paulさんは、グローバル企業でのマネジメント職を捨て、カンボジアの農村に移住し、社会企業を立ち上げて活躍しています。
彼とは年末年始もともに過ごし、新年はそのまま深夜まで飲み明かしましたが、そのときかれが強調していたのも「真摯さと信頼」でした。
農民たちに真摯に向き合うことで信頼関係ができ、そこで初めて「問題解決」が一緒にできる。
これはまさに日本においても、高校生が相手でも、同じことだと痛感しました。

今年は昨年以上に多くの人と出会い、私自身が多くを学ぶとともに越境して手を組み、子供たちを「不幸にしない」教育のあり方を模索していけたら、と思っております。
そのために、ミクロには目の前の生徒や教え子を大切にしつつ、マクロには政治やビジネスの観点から取り組んでいきます。
多くの方のお知恵をお借りできたら幸いです。
今年も宜しくお願い致します。

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