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68年革命にびっくり。そうか、ジェンダーっていうのはこうやって読むのかの巻。

最近、文化の政治性というのがよく問われるようになりました。
なんだか楽しければ良いんだみたいになってますが、それもまた現状維持を志向した政治性なのではないか。
社会問題は取り上げなくてもいいのか。
アーティストの不祥事を見て見ぬふりを続けていいのか。
作品にマイノリティを傷つける瑕疵があるのではないか。
そういったことが、連日、私のSNSのタイムラインには流れてきます。

私は大学の哲学科の出身ですが、卒業論文で取り上げたのがフランス現代思想の哲学者ミシェル・フーコーでした。
そして、その卒論のテーマがフーコーの監獄やジェンダーの権力分析でした。
そのことを思い出して、そういえばそのテーマは、文化の政治性にも繋がるテーマだなとふと思い出しました。
大学生のころは、フーコーの自伝的な背景にまで踏み込んでいなかったのですが、改めて、フーコーというのはどういう政治的な背景の人か考えて、68年革命、あるいは5月革命というのに思い当たりました。
私は68年革命というのをよく知らなかったので、ネットで調べてみました。

いやー、驚きました。
68年革命については、詳しくはWikipedia等でご自身で調べていただくとして、ここまで現在の生活に繋がっているのか、と。
68年革命というのは、フランスでの新左翼運動で、アメリカのベトナム戦争への介入とか、資本主義の矛盾とか、そういうことに対する抵抗の運動の盛り上がりだった訳ですが、政治的にはド・ゴール政権の解散総選挙を経て、保守派の圧勝で運動は萎んでいきます。

しかし、その思想は、フーコーがそうだったように、その後も連綿と引き継がれ、世界の各国でも同じような考え方が盛り上がるんですね。
その一つが音楽界の70年代のパンクムーブメントとかだったそうです。
セックス・ピストルズなどがそうであるように、それは性の解放にも繋がっていました。
それは何からの解放かというと、結局、キリスト教保守派からの解放でもあった訳です。
私はキリスト教保守については詳しくありませんが、中絶、同性愛を禁じるのだとか。
で、これを解放しようとしたのが、新左翼運動だったと。

これが私には、まるっきり現代の話に思えて仕方なくてちょっと興奮しちゃったんですよね。
冒頭で述べたようにジェンダー平等の問題やマイノリティ差別については、今でも毎日議論が交わされています。
で、これは60年代から続いてきた議論なんだなあと。

いまの日本のメディア状況を見渡すと、この宗教保守と新左翼の変形のごった煮状態なんですよね。
私にはこの状況をどうしたらいいかという決定的な解は持ち合わせていないんですが、そういう背景もあるんだよ、ということは知っておいても良いのではないかと思いました。

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