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足裏への集注は「思てる倍」

ほぼ半年ぶりの板橋武研だん!
いつも来てくださる方々が来てくれました。本当に感謝です。
この半年の間に私の武術観も大きく変化しましたが、その一端をご紹介できたのではと思います。
「尻尾」「ない方向に動く」といった稽古は、今後の板橋武研において重要になっていきそう。

終了後は自主研究。
現在研究中の『○○拳』についての検討を行う中で、従来習っていた八卦掌を復習したところ、ひとつの理解に至った。

長年の謎だった「この形」。
これがなんなのか、ようやくわかった。

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この形は、私が学んだ程氏八卦掌・八大掌において、転身のたびに出てくる形。各動作の最後にこの形になり、少しの間停止する。
これは程氏八卦掌の共通動作かというと、どうもそうではなく、「うち」以外では見たことがないことに気づいた。つまり王樹金→佐藤金兵衛系列以外では見たことがないのだ。

もし王樹金→佐藤金兵衛系列以外の八卦掌を学んだ方で「うちもこの形がある」という方がおられたら、教えていただけると幸甚ですm(_ _)m

さて、これはなんなのかという話。
用法としてはあり得なくもない。敵の上体をこちらの両腕で振って足払いをかける。
しかし、それが「毎回出てくる」説明がつかない。

そんな毎回毎回この形で静止するほど、これは重要な用法なのか?
どうもそうは思えない。

これはまず「用法」という発想を捨てないと理解できないだろう、というところまでは考えが至っていたが、その先が不明のままだった。

そして本日、「ああ、おそらくこうだ」というところまで至った。

この形の理解の前段として、基本となる「走圏」、さらには「歩き方」における「観」の動かし方が重要になる。

歩く際には、軸足(陽)の足の裏では「観」を爪先から踵に動かしていき、同時に、浮いている足(陰)は膝から爪先の先まで伸びやかに「観」を動かす。
この「陰陽」が一歩ごとに入れ替わる。

この「観」の動かし方があって、初めて上記の写真の形が理解できる。

つまりこの形は、この「観」の動きが極限まで遅くなった、一種の「站椿」である。

逆に言えば普段、歩を進める際に、「この形の身体観のまま、毎歩を進めよ」と要求しているのである。

それでこそ、毎回この形が出てくる理由が理解できる。

このような足裏の「観」の動かし方がわかると、今までの走圏のやり方がまったく甘かったことが理解できた。
足裏に、今までやってた倍以上の集注を向けなければならない。

テレビ千鳥にて、大悟が料理を作る際に「砂糖は思てる倍」なんて言っているが、八卦掌の走圏ではまさに「足裏への集注は思てる倍」なのである。

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これは「脳の中のこびと」と言われるものであるが、人間の脳内では身体がこのように分布している。
実際の身体に比べて、頭・手・目・口が異様に大きい。

それが人間の人間たる所以なので否定はできないが、これは物理的身体とも客観的身体とも一致していない。
この認識を変えていく必要がある。

現在研究中の「尻尾」および『○○拳』は、この「脳の中のこびと」の身体分布を適切に修正していくところに大きなポイントがある。
八卦掌の走圏においても同様である。

過去に板橋武研にも、やたらにベンチプレスばかりやったような身体の方が来たことがある。
このようなバランスの悪さは危うい。

そんなこんなで、半年ぶりの #板橋武研 は大変得るものが多くありました。

次回は9/20(日)18:00より、高島平温水プール多目的室です。
初めての方もぜひお越しください!^^

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