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Amazonレビューに救われた話

この14日間。もうすべてを終わりにしてしまおうと思っていた。


パソコンを開いて文章に思いを乗せては、ぶわりと湧いてくる感情にコントロールを失っていて。

ずん、と重たい後頭部を抱えながら毎朝メイクを施したり、母の他愛ない世間話に相槌を打つのがとにかく億劫で。

取引先との通話中に、今自分が誰と何を話しているのか思い出せなくなってしまって。

朽ち果てた家に引っ越してガタついたふすまを開けると、部屋一面にお札が貼られた夢を繰り返し見るようになって。

もう、いいや。

その文字が浮かぶと、遊び終わった浮き輪みたいにへなへなと空気が抜けていくようだった。

それでも自殺に踏み切れずに、頭からつま先までを薄暗い膜で覆われた日々を送っていた。

『自殺』が肌にじっとりとまとわりつくようになったきっかけは、14日前にある裏切りを長期間受けていたことを偶然知ってしまったからだ。

できれば何も知らずに時が過ぎて、何十年後にクリーンな気持ちで棺桶に「よいしょ」と入りたかったのに、人生とは意地悪なものでわざわざ私にそれを全力で伝えてくれたのだ。

行き所の無い思いを友人に話してみたり、愚痴ったりしてみたが、間欠泉のように湧き上がる感情を消化するのは難しかった。

ものすごくワガママで勝手なのは十分承知だが、友人達のくれる優しく暖かな言葉達は私の耳や心をすうっと通り抜けてしまう。

私の為に大切な時間を割いてくれた友人達には大変に感謝をしている。ありがとう。ただ、どうしても私がマイナス極に針が振り切れているだけなんだ。

だから、

もう今日の夜に決行してしまおう。

そう思って自殺の方法をリサーチすべくGoogleを立ち上げた今日の午前中。めちゃくちゃシンプルに『自殺』『方法』で検索を掛けると、あるページに強い引力でもって引きつけられた。

それはある有名な書籍のAmazonレビューだった。

その書籍とは『完全自殺マニュアル』と言って、今から約20年くらい前に平成の世を賛否で分けた有名な作品だ。

その名の通り自殺についての詳細な方法や、自殺経験談がまとめられているらしい。斬新なタイトルを当時耳にした人も多いのではないだろうか?

かく言う私もその中の一人で、「ああ、そういえば」という平坦な感想を持った。大変失礼ながら私は実際にこの書籍のページをめくった経験が無いため、内容の詳細は不明だったのだ。

そこに記されたやはり賛否分かれるレビューを流し読みしながら、マウスで軽く下へとスクロールしたその時だった。

『自殺を身近な存在として捉えておけば、最悪の場合の保険として利用できる』

実際のレビューは、「そういう考え方があるのか・・・!」とまさに目からウロコがぼろぼろとあふれ出すほどの強い感銘を受けた。勝手に書き記すのは問題かもしれないので、上記はその方のレビューをまとめたものだ。

これは令和の世でも激しく賛否が分かれる意見だとは思う。自殺を肯定する事を理解不能だと考える人も多いだろう。が、しかし今の私はこれがどんな言葉よりもしっくりきて、確実に生きる希望となった。

・自殺は手段のひとつだからそれを選ぶのは自由で、悪では無いこと。

・本当に嫌になったら死ねば良い、と思う事ですっと心が軽くなること。

「そう思えたら今よりずっと楽に生きられるのでは?」というレビュー主の問いかけに、私は素直に「そうですね」と答えた。

打ちひしがれて乾ききった心に雨粒がしみ込んでいくようだった。そうだ本当に嫌になった時には死ねるんだ。それまではいいや。と頭と心で咀嚼できたからだ。

身体を包んでいた薄暗い膜だけが空へと帰っていった。

私が今一番誰かに言って欲しかった言葉を、まさかのAmazonレビューからプレゼントされる奇妙な日。それはもしかしたら何十年後には、記念日と呼ばれる日になるのかもしれない。

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