現実生活直視や受け止めに時間がかかるなら 現実逃避もあり

 体調不具合から三週間経過して 午前中に楽屋がかる二階から 一階リビングにたどり着きがほぼ困難になりました。

 めざましかけている 朝の時間より前に目は覚めている だがベットから起き上がりを考えつつ 慎重に起床をしようとしても ひどい頭痛や痛みがある時は特に起床のしかたを考えるのもしんどい

起床トイレにもいきたい だけと下手に起床のしかたを誤ると 落下もある場面も考えなきゃ
 夜行バスで体感した 膀胱との戦いや折り合いをしつつ 起床アタックを重ねる

 午後にはなんとか起床サクセスして 膀胱との戦いから開放…なんなんこのなんとも言い難い戦い げんなりしつつ なんとか起床できた自分に鼓舞をしながら 今の体調で行動できることを考える日々

 ママ上から 昼夜逆転だねと
体調不具合のことは 身内もふくめて秘密スタンスの私 そうだね。学生時代の夜ふかしして、夏休みだから 朝の遅め時間に起床の拗らせだよね
ニュアンスか

ほら 今冬だから クマ好きの私もクマに見習い冬眠しているんだよ。こんな寒い時に動物冬眠するから 人間は大変だよね。なんで的を色んな意味でずらしするか

パターンがそろそろ 尽きそう…返答パターン増やさねば

 自分の体調や気持ちの処理が増えて 周りに気を配れるゆとりや視野が狭い現実と今

 体調不具合前までは ゆとりがあるときは
気持ちや体調状態は 配慮しつつ言葉を撰んできた

 その配慮や言葉を選ぶゆとりより 私の体調ファーストにゆとりをまわしている。

 何回も私の気持ちや状態は 伝えていた
だが 何度も私の努力が足りない
人間トラブルも それは相手の言い分も聞かなきゃ判断できないから
小学生時代の地獄の二年間も ↑スタンスで
担任の先生がそんなえげつないことはしない
 理不尽に殴られた体の傷や ズタズタにされた
文具を見せても かまってほしいから自分で傷つけた 文具が新しいのほしいから…

 そんな事が重なりすぎて 私はあの頃から壊れている人間だったんだなと やんわり子供心ながら認知はあった。

 地獄の二年間から3年後 小学生時代の担任が逮捕された話がでて 私が卒業したあとも
受け持ちしたクラスで エコヒイキ、理不尽な暴力 生徒に自分は女王様のスタンスだった
←理不尽な担任に 生徒さんが協力しあい 訴えして 逮捕の流れに

 担任すごいおかしな人だったんだね。教師失格だわ
…あの当時何度もSOSだして 体の傷や壊された文具やらも提示してきた私の気持ちは言い分はなかったことになっている。

 地獄の二年間 登校嫌がりした私にでかい物投げつけ 家から甘えるなと叩き出しした両親
逃場ない 甘えるな…もうだめだわ 助けなんて求めても心が崩壊するだけ だから私は気持ちや感情 自我は抑えていた。

肉体的にも痛めつけや暴力が続いたが
私は あんな公害舞い散らしならんを支えに
歯を食いしばり 耐えた。

そんな地獄の二年間 3年後の逮捕で
手のひら返し甚だしい 担任の評価
 そんな教師に甘えるなで 話も助けもせずに
登校させた両親 私が助けをしていたこともなかったことになっている

 私の生きている意味や価値はあるんだろうか
無駄やゴミにもならんと かなり自責が激しいまま 高校時代に心の師匠にあって 救われました

 生まれながら師匠は心臓の病 何度も入退院を繰り返しながら当時も病院に検査は必須
 私の認識 すごい壮絶な綱渡りして頑張って生きている人

入学してすぐに全校生徒の前で 師匠みずから
自分の病の説明をして 僕は病ありますがみんなと同じ高校生 特別扱いしないでほしい

すごい勇気だな…私が同じ立場なら…あの場に立つのも 伝えるのもしたくないのに あんなに堂々と伝えた決意 アクション…同じ年なのに
私…なんなんだろ…色んな意味で頭や気持ちがぐちゃぐちゃだったのを 今でも感覚としてあります

そんなぐちゃぐちゃなまま 地獄の二年間が尾をひきずり 数学に関して赤点も甚だしい成績で
中学も赤点だったが 高校生になったら
数字をみるのも 地獄の二年間でくらい続けた
記憶や 暴力が飛び出しきつくなる案件勃発

暴力くらったおなかや背中が 痛みがないのに 痛みと錯覚して 担任の下卑た顔や声が浮かび
意識や理性が保てない 意識したら
えずく手前 なんの関係もない高校にそそうしたくない どうしたらいい?なにが正解?

 助けを求める?誰に…何処に

きっとそのその時の私 すごい顔していたかもしれない。
 師匠が私の席近くにきて 柔らかい声がけ
なにか返答しなきゃと 自我がやや回復し
すこし時間 私の言葉をまってくれて

糸永 
数字をみていると 算数段階でつまずいたからか
頭がメタメタになって 今みたいにひどいときはえずくかもしれん

意識が途切れかけだったから↑ニュアンスで
なんとか声掛けに 返答した

返答に困る 私の返答だな…なんかごめんなさいな気持ちだった私に 
師匠は きつい時に無理したんだなと。大丈夫じゃないときは 助けを求めていいんだよ

労い そのねぎらいや心配がめちゃめちゃ嬉しかった 救われた。せきをきっなように 号泣

号泣が収まり 師匠のねぎらいや心配が嬉しかった ありがとう。見苦しいお顔晒してごめんと謝罪

 その一件から 私 変わりたい。と強くおもった。このままだと私 だめな人になる。
 軌道修正 あんなに人生を頑張って生きている師匠に 救われた私 恩返しをことばや行動で示したい。と決意

 高校1年生の夏間際 糸永奮起
1年生は師匠と同じクラス
2年 3年はとなりクラス

 隣のクラスになっても 師匠は私に声をかけてくれた。師匠はお母様送迎だったから 登校はクラスで一番早かった

 授業や人が登校していない時間 数学を主軸に教えてもらい形で 授業のおさらいやクラスの話やら 交流していた。

 私のパレスは高校まで1時間超えの距離
バス通学だったが 一分でも長く師匠にあいたくて 雨以外は自転車通学をした。

自転車通学 三年間で体力や脚力が身につき
三年生の学校のマラソンでは 30位
メダルもらえた。

 勉強 師匠が参加すると話していたボランティアやら 課外活動も社会と視野を拡げるチャンスだからアタック
 2年、3年は担任から嫌がらせや不当な扱いくらったが 地獄の二年間に比べたらかわいいもんだと そんな拗らせ教師に頭や手立てでスペース活用より 師匠どの時間が大事

 その当時の私の師匠への気持ちは 愛じゃない
↑師匠の葬儀参加あとから 
師匠のご両親と 年賀状もふくめて交流

 師匠の事 愛していた糸永認識の師匠のご両親

私認識は 頭も含めて腐っているゾンビの私を
救って 人間として進む切掛与えて頂いた恩人でもあり 神様

そんな神様とゾンビがメイク・ラブとなもふくめてしまったら 師匠が堕落や穢れる
メイク・ラブって 考えるのもの師匠にたいして
冒涜 迷惑だよ

 師匠という大事なお子様が旅立ちして
きつい状態の師匠のご両親に 強く私の師匠への気持ちは伝えないのがいいなと訂正はせずに
 私は師匠から助けられた 恩人で大切にしたい人 そんな師匠のご両親も大事に尊重

それがいいか わるいかは今でも判断できないが 
一生懸命 人生を歩いた師匠に救われ 人間生活心が芽生えた私

 きつい状況が重なりすぎて 今も続く心の病通院 通院歴が師匠の人生を超えてしまった

なんで私が生き残りして 師匠は旅立ちなんだ
どうしようもない やり場がわからない気持ちはある

 何回か人生断ち 失敗やサクセスできない時に
失敗した目覚めはかなりの確率で
 
 糸永 まだ生きている 図太いな…をつぶやく
目覚めしなきゃいいのにと思いながらも
自害のニュースをみて 心をいためる師匠の叱責が浮かび 師匠から救われたのに 命を粗末にするのは 最大の冒涜と反省する

 実家にもどり 場の空気より私自身の気持ちや体調ファーストで 不具合の折り合いしているから

 両親とは 認識や会話のすり合わせじゃなく
和解とか折り合いとかのレベル距離じゃないのが
私の認識

 年々 認識ズレやご都合がすぎる言動に
 ゆとりがない今は特に 私の気持ちよりも
両親は自分ファーストなんだなと認識して
 指摘や気持ちは 引っ込めてきたが

 不具合で折り合い探している私には
周りの気持ちやら把握しろ 努力が足りないスタンスがかなり おかしな要求だなと

 師匠や学友やら 両親以外からの助け 支えで私はここに生存している

支えや助けや励ましなかったら 人生断ち成功したら 今ここにいないよ。

 通院している精神科 場所も把握はしているくせに 一度もいかないで 私の現実を受け止めは怖いと 目を瞑っているくせに

 両親の心無い 虐待や相談案件やら
テレビでみていて 本当に日本である案件なのか? 子供犠牲者だ

どの口がいうかと 頭で私は毒づきつつ
我が家では そんなのはない発言に私は
我慢ができずに 
糸永 そう思うのは自由だが、子供本人はちがう場合もある

 まさに私とあなた方もね←引っ込めている

 自分から命を粗末にしない 私の残り時間
なるべく師匠に会えたなら 顔向けや会話に
恥じないように 生きよう。

 周りから現実逃避や思考停止と扱われても
命つないで 休んで 周りに助けを求めて

いいんだよ。

 休むこと 助けを求めて救われた
今生きている 生かされている私が伝えたいこと
私の生き様 なによりのメッセージ

長い文章よんでいただき ありがとうございます。