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「ステラ・マリス」コーマック・マッカーシー


《わたしは政治的信条なんて持ってない。骨の髄まで平和主義者でもある。戦争ができるのは国家だけ――近代的な意味の国家だけ――わたしは国家という概念が好きじゃない。逃げるのがいいと思っている。バスが向かってきたら避けるみたいに。もしわたしたちに子供がいたら戦争が一番起きなそうな場所へ連れていきたい。歴史を予測するのは難しいけれど。でもやってみることはできる。》(84頁)


《マンハッタン計画は重要な歴史的事件だったときみは言った。あれを何らかの大局的な見方で見ることは可能だろうか。核戦争は久しいあいだ起こらずにいるわけだが。

 ええ。まあたぶん破産と同じよ。先延ばしにするほど起きたときの結果は悲惨になる。次の大戦争が起きるのは前の大戦争を覚えている最後の人間が死んでからでしょうね。

 きみは核戦争を不可避だと思っているわけだ。

 戦争が終わるのを見たことがあるのは死んだ者だけだと言ったプラトンにわたしは賛成する。あと人は銃を持っているとき石では戦わない。などなど。》(97頁)


《フッサールには恋をした。彼は数学者だったからわたしは信頼してる。フライブルク大学の教授として若い研究者だったマルティン・ハイデガーを受け入れて指導し庇護者になったけどその後ナチスが政権をとってフッサールを大学から追放するとなったときハイデガーはそうだそれが正しいと言った。フッサールは研究室を引き払って自宅にこもりそこで泣き暮らして死んだけどハイデガーは師の後釜にすわった。ということでわたしたちに残された問題は哲学探究の基盤に人間的な高潔さがなくてもいいのなら哲学の目的とは何なのかということになると思う。》(148頁)


《きみのお父さんね。後悔を口にしたことはなかった?後悔に似たようなことでもいいけど。

 なかった。(中略)父はそれならもっと早くそう考えるべきだったと言った。最初からそう考えるべきだったって。

(中略)

 核爆弾を実戦配備するかどうかについて科学者たちにも意見を言わせろという運動が初期の頃に起きたことがあったけど父はそれは世間知らずな考え方だと言った。核爆弾はその費用を支払った人たちのものであって断じて科学者たちのものじゃないと。人々はわれわれ科学者の給料も払った。われわれも安く買われたんだ。泣き言を言うのはやめろと父は言った。》(155頁)


《狂気が生じるには言語を獲得してる必要があるんじゃないかな。

 頭のなかで声が聞こえるために必要なんだろうね。

 なぜかはよくわからない。でも言語の到来がどういうものだったかは理解する必要がある。人類の脳は何百万年ものあいだ言語なしでかなりうまくやってた。言語の到来は寄生生物の侵入にも似てる。脳の一番使われてない領域を勝手に使われてしまった。不法占拠を一番されやすい部分を。

 寄生生物の侵入。

 ええ。》(235頁)


《ともかく行動の導きとなる無意識のシステムはとても古いものだけど言語は獲得されてからせいぜい十万年しかたってない。脳はこれが起こることを予想してなかった。無意識はこの徹底して容赦のないものとわかったシステムを受け入れるためにあたふたしたに違いない。それは寄生生物の侵入に喩えられるだけでなくほかのどんなものにも喩えようのないものだった。

(中略)

 興味深いのは言語が何かの必要性から生まれたものじゃないらしいこと。ある一つの発想なの。(中略)人間の理性が生物学的システムを攻撃して成功を収めたのよ。》(236頁)


《アリシアの見る幻影やボビーの悪夢的な逃避行など、物語は現実そのままではなく、思惟を形にするため当てはめられた部品が小説の各部を構成しているような印象がある。『通り過ぎゆく者』でボビーが出会う人々の発する言葉は単体では意味を取りづらいが、全体が集まると一つの方向を指し示すようになっている。『ステラ・マリス』でアリシアが口にする言葉の数々が突き詰めて言えば、論理で言い表せる内容は論理の限界を示す証明にすぎない、ということの同語反復であるように。》(杉江松恋)


「恐るべき緑」➡「通り過ぎゆく者」➡「ステラ・マリス」読了。いやぁ~、実に疲れました……

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