夢路いとし・喜味こいし「湯けむり物語」

いとし：この度、うちの嫁はんと二人で旅行に行くことになりましてね

こいし：ホー、嫁はんと旅行に

いとし：たまには、嫁はん孝行もしとかないかん思いまして

こいし：ええこっちゃ。で、どこへ行くことになったんや？

いとし：嫁はんはサンフランシスコがええ言いまして

こいし：海外旅行かいな。豪勢やなぁ

いとし：私はインドにしよ言うたんや

こいし：意見が分かれてしもたんか

いとし：しょうがないから、その間をとって行くことにしました

こいし：間と言うと？

いとし：サンフランシスコのサンとインドのインをとって、山陰地方へ行くことにしました

こいし：・・・そんなもん間と言えるんか！

いとし：私が嫁はんに「山陰地方のしなびた温泉にしよか」と言いまして

こいし：しなびたと違ごて、ひなびたや！

いとし：嫁はんの顔見て言うてたら、つい、しなびたになってしもたんや

こいし：人の事言うとれんぞ。君も相当しなびとる

いとし：しかし、温泉と言うのはいいものでしてね

こいし：ええねえ、のんびり温泉に浸かってると、浮世のたわごとはみな忘れられるからね

いとし：君、温泉に浸かって浮世のたわごとは忘れてもええけど、私がさっき君に貸した三千円は忘れたら困るで

こいし：わかっとるわい！

いとし：特に我々のように歳を取ると、温泉は最高ですね

こいし：極楽そのものですよ

いとし：君、今までに極楽へ行ったことあるの？

こいし：無いけど、気分は極楽やねん

いとし：せいぜい今のうちに極楽気分を味おうとけよ。いずれは地獄へ行かないかん身の上なんやから

こいし：・・・なんで私が地獄へ行かないかんねん！

いとし：あの温泉気分が、家で毎日味わえたら最高や思いましてね

こいし：そら最高や

いとし：いろいろ工夫してるんです

こいし：家で温泉気分を味わうために、どんな工夫を？

いとし：まず、家の風呂の湯を少しでも温泉の湯に近づけよ思て

こいし：風呂の湯を温泉に近づけよ思て？

いとし：湯に米のとぎ汁を入れてますねん

こいし：・・・米のとぎ汁！？

いとし：あれ結構よろしいな、体からアクがスーッと抜けていくようで

こいし：君はタケノコか！米のとぎ汁なんて入れんでも、最近は温泉の素いうのを売っとるやろ

いとし：温泉の素というと？

こいし：ほら、私から君とこへもお中元で持ってったがな。小袋に一回分ずつ分かれて、中に粉が入ってて

いとし：あれが、温泉の素ですか？

こいし：何や思ってたんや

いとし：粉末ジュースの素や思て、私、不味いなあ思いながらも、水に溶かして飲んでたがな

こいし：飲むなあんなもん！

いとし：米のとぎ汁もなかなかのものですが、醤油風呂というのも結構おつなものですよ

こいし：醤油風呂て、湯の中に醤油を混ぜるわけかい？

いとし：この風呂は、君とこの家族向きやと、私は思うんですけね

こいし：醤油入れる風呂が、うちの家族向きやて？

いとし：醤油だけと違ごて、それにミリンと昆布だしを入れると、もっと君とこの家族向きですよ

こいし：そやけどそれ、風呂というよりおでんのだしという感じやで

いとし：おでんのだしでええねん。それに浸かる君とこの家族には、がんもどきみたいな顔したのもおれば、イイダコもハンペンもコンニャクもおるがな

こいし：・・・ほな私は何や！？

いとし：見たところ、ごぼ天という感じがするけどな

こいし：やかましいわ！

いとし：でも、やっぱり人工的に何かを混ぜた湯よりも、自然に湧き出す湯が何というても一番でして

こいし：そら、天然の湯には勝るものはない

いとし：そやから私、一生懸命にうちの庭を掘ったことあるがな

こいし：庭を掘ったと？

いとし：最近あちこちで温泉が湧きだしたいうニュースを聞くでしょ

こいし：聞く聞く。田んぼの中とか、工場の中で湧き出したいうニュースもありましたよ

いとし：そやから私も、うちの庭から温泉の泉源を掘り当てたろと思いましてね

こいし：・・・あのな、そんなもん、どこを掘っても泉源があるというわけやないぞ

いとし：私も、根拠も無しに庭を掘ったわけやないんですよ

こいし：というと？

いとし：ある朝気づいたんやけど、うちの庭の地面の一部が、周りの地面よりも温度が高かってね

こいし：なるほど、ということは、その温かい下に泉源があるわけや

いとし：そう、掘ってるうちに嫁はんが言い出しましてね

こいし：嫁はんが何を？

いとし：「なんで地面が温かったか言うたろか・・・さっき私がそこでゴミ燃やしたからよ」

こいし：・・・君、なんぼ掘っても源泉なんか出てこんぞ

いとし：私はいっぺんやり出したことを途中でやめることは大嫌いやから、意地でも掘り続けましたよ

こいし：掘り続けたてかいな

いとし：どんなことでも続けることが大切やねん

こいし：しかしねぇ

いとし：漫才かて、私ら六十年続けてるねんで

こいし：・・・そら漫才は六十年続けてるけどな

いとし：続けたおかげで、この前私ら賞をいただきましたがな

こいし：ありがたいこっちゃ

いとし：漫才でノーベル賞なんて、なかなかもらえませんよ

こいし：紫綬褒章や！

いとし：とにかく、私は掘って掘って、掘り続けましたよ

こいし：それで泉源は出てきたんかい

いとし：泉源は出て来なんだけど、線路が出てきましたよ

こいし：線路！？

いとし：実はうちの家の地下に、地下鉄が走ってましてね

こいし：アホな！まあしかし、家で温泉気分を味わうのもええけど、本当の温泉情緒を味わお思たら、やっぱり旅に出て現地に行くこっちゃで

いとし：そらそうですけどね

こいし：ほなそこには、人との出会いがあり、人情の細やかさに触れることもできるねん

いとし：言うとくけど、私と出会ても人情の細やかさには触れられんよ。私、金には細かいけど、人情細かないから

こいし：・・・そんなこと威張って言うことか！

（二人で温泉に浸かる姿）

いとし：いやあ、ええ湯ですねえ

こいし：本当本当、こんなええ湯に入れて、今夜は極楽極楽

いとし：明日は地獄

こいし：いらんこと言う人でんな！

いとし：すみまへんすみまへん、お宅の顔を見てたら、ついそんな感じがして

こいし：ほっときなはれ！

いとし：アー、本当、ええ湯やなあ

こいし：お宅、どっからここへ来はりましたんや？

いとし：あっちからですねん

こいし：あっち言うてもわからんねん！ここへ来はった場所はどこからですねん？

いとし：脱衣所からですけど

こいし：そやないねん。私が聞いてるのは、あんたの住所やねん

いとし：そんなこと聞いてどないしますねん。もしかして、私が温泉にいる間に泥棒に入ろと思てるな？

こいし：思てるかい！

いとし：私、大阪からですねん

こいし：ホー、大阪から

いとし：嫁はんと二人で、この山陰の湯にやってきましてん

こいし：私も嫁はんと来ましたんや

いとし：ほなお宅も、嫁はんがサンフランシスコであんたがインドで、間を取ってこの山陰に？

こいし：それはない！

いとし：私と嫁はんが、山陰の温泉の中でもこの温泉を選んだんは、この温泉の効能を知ったからですねん

こいし：ホー、すると神経痛とかリュウマチにこの温泉は効きまんのやな？

いとし：そんな効能違います

こいし：ほな、この温泉は何に効きますの？

いとし：子宝の湯言われてましてね、子供に恵まれますねん

こいし：・・・あのな、あんたとこの夫婦、一体トシいくつでんねん！？

いとし：私が六十八で、嫁はんが六十五

こいし：その歳で、まっだ子供作りたいんか！？

いとし：作ったらいけまへんのか！作るにはそれなりの理由がおますねん

こいし：その理由とは？

いとし：この前、近所の商店街の福引で、豪華ベビーセットが当たりましたんや

こいし：ベビーセットが？

いとし：ところが、孫はもう大きいから、そんなんいりまへんがな。ほな、それを使うためには、嫁はんがもう一人は産まなしょうがないですやろ

こいし：アホな！誰かにやれ！

いとし：今のは冗談ですけど、私、よう浸からせてもらいましたわ

こいし：そう言えば、お宅、だいぶ長いこと入ってはるみたいやけど、さっきから、この温泉はどれぐらい入ってはりますねん？

いとし：三時間半ぐらいですかね

こいし：長いなあ！体がふやけまっせ

いとし：せっかく温泉に来ましたんや。ちょっとでも長いこと入らな損でんがな

こいし：・・・わかった。お宅がさっきから長いこと入ってる理由当ててあげましょか

いとし：どうや言いますねん

こいし：ここ、男女混浴でっしゃろ。女性が入ってくるの、三時間半ずっと待ってはりまんのやろ

いとし：アホなこと言いなはんな。私もうこの歳でっせ。失礼な、そんなこと思われるんやったら心外ですわ、私あがりますわ

こいし：そうでっか。さっき若い女性の団体が、この旅館に着いたみたいでっせ

いとし：・・・もうちょっと浸からせてもらいますわ

こいし：アホな！それはそうと、ここの温泉は、たまに熊なんかも浸かりに来るそうでんな

いとし：そう言えば、私と入れ違いに、熊らしきものに出会いましたわ

こいし：ほんまですかいな！？

いとし：気いつけなはれや。手ぬぐい持って、お宅の部屋へ入りましたで

こいし：うちの嫁はんや！

いとし：そうそう、お酒がありますねん。お宅も飲みはりますか？

こいし：へっ、湯船に浸かって酒を？

いとし：湯船に盆を浮かべて、知らぬ同士がさしつさされつ飲む酒、しなびた温泉ならではでっせ

こいし：ひなびたや！そやけど私、いただいてよろしいか

いとし：どうぞどうぞ、二人でアレにして飲みましょ、アレにして

こいし：アレて

いとし：アレでんがな、アレ

こいし：アレではわからへんがな

いとし：私が歌を歌いますから、お宅合いの手頼みますよ。ほな思い出しますから

こいし：私が合いの手を

いとし：♪いい湯だな♪

こいし：♪ハハン♪

いとし：♪いい湯だな♪

こいし：♪ハハン♪

いとし：半々にして飲みましょ

こいし：・・・あのね

いとし：しかし、おつまみが無いなあ

こいし：何か欲しいな

いとし：そや、のど飴がありますわ

こいし：のど飴！？そんなもんつまみになりますかいな

いとし：まあどうぞ、酒飲んでください

こいし：そうですか、ほな（つがれた酒を飲む姿）アー、最高

いとし：ここの温泉は浸かっても良し、お湯を飲んでも良しらしいでんな

こいし：そんなこと無いですよ。ここの温泉は飲めんはずですよ

いとし：飲めますよ

こいし：飲めまへん。「お湯を飲まないでください」て書いてありましたがな

いとし：でも、飲めますよ

こいし：なんであんた、そこまで言えますねん

いとし：あんた今飲みましたがな

こいし：もうええわ！