夢路いとし・喜味こいし「転職のすすめ」

いとし:この前、嫁はんに言いましてね

こいし:嫁はんに何を言うたて?

いとし:「僕もそろそろ老後のことを考えなあかんなぁ」と

こいし:・・・なんやて?

いとし:「老後の事を考えなあかんなぁ」と。あと十年もたてば、この僕かて老後ですからね。今は若いけど

こいし:若ない!十年たたんでも、今が立派な老後や

いとし:へっ?僕今、老後ですか?

こいし:当たり前やないか、君トシいくつや思てるねん。「茶摘み」やぞ

いとし:なんやその「茶摘み」て

こいし:「茶摘み」の歌唄とてみい

いとし:♪夏も近づく、八十八夜♪

こいし:八十八やぞ

いとし:アホな!そこまではいってるかい

こいし:ほな、君は今何歳やいうねん

いとし:えーと。僕が産まれたんがちょうど東京オリンピックの年やから、三十九歳になったとこですわ

こいし:嘘つけ!漫才コンビ組んでからでも、それよりずっと経つのに

いとし:そう言えば、長いこと漫才やってますねえ

こいし:君と僕がコンビを組んでの初舞台は、まだ戦争前やからね

いとし:そういえば、関ヶ原の戦いが始まる前やったねえ

こいし:そんな古ないわ!太平洋戦争や。とにかく、六十年間漫才やっとんねや

いとし:今になって思うんやけどね

こいし:何をや

いとし:僕という人間は、漫才という職業に向いてなかったんと違うやろか

こいし:・・・あのな、漫才に向いてない人間が、六十年間も漫才をやるか?

いとし:やらなしょうがなかったんや。そら僕は漫才やめて、他のどんな職業につこうと、ちゃんとやっていけた人間ですよ

こいし:えらい自信やなあ

いとし:ところが、もう一人の人間が漫才やめたら、何の脳もない人間でな。気の毒でやめられへん

こいし:・・・なんの脳もない人間て

いとし:君知らんやろけど、もう一人の人間いうのは、そら頼りない男やで

こいし:私や、そのもう一人の人間いうのは!

いとし:これは失礼。そんなこととは知らずに、つい

こいし:知らんわけが無いやろ!言うて悪いけどな、この私かて、漫才以外のどんな職業に就こうと、その道のトップとして立派にやっていけた人間やねん

いとし:えらい自信やなあ

こいし:当然ですよ

いとし:ほな聞くけど、君、もしプロレスラーになってたらやっていけたか?

こいし:プロレスラー?

いとし:相撲取りになったら、横綱になれたか?

こいし:それはちょっと無理やわな

いとし:そやろ。この体ではねえ。やっぱりプロレスラーや相撲取りになろ思たら、僕ぐらいの体やないと無理ですよ

こいし:余計無理じゃ!・・・スポーツ関係の職業は私には無理やけど、それ以外の職業なら、その道の一流になれた自信はあるね

いとし:ほな君、大学教授になれたか?

こいし:大学教授になれと言われれば、それなりに勉強して、一流の教授になれる自信はありますよ

いとし:無理やろ。君みたいな小さい脳みそで、大学教授は無理ですよ

こいし:小さい脳みそて、君は私の脳みそを見たことあるんか?

いとし:君が頭のレントゲンを撮った時に、病院の先生が言うてたがな

こいし:どう言うてたいうねん

いとし:「こいしさんの脳みそは、ちょうどトノサマガエルの脳みそと同じ大きさですね」て

こいし:アホなこと言うな!トノサマガエルいうたら、体全体でもこれぐらいの大きさやぞ。その脳みそいうたらこんなんやないか。そんなんと同じ大きさの訳が無いやろ

いとし:失礼しました。トノサマ違いです

こいし:当たり前じゃ

いとし:先生は「トノサマバッタと同じ大きさですね」と言うたんでした

こいし:余計に小さいやないか!だいたい君にしたって、大学教授は無理やろ

いとし:失礼な。僕は大学教授になってくれと言われたことあるんですよ

こいし:ほんまかいな

いとし:ある美術系の大学から「大衆演芸の歴史を大学生に教えてほしい」と頼まれたんですよ

こいし:ほななんで引き受けなんだんや?

いとし:僕が大学教授になったら、もう一人の人間はどうやって生きていくねん。漫才以外の何のとりえも無い男ですよ

こいし:それはもうええねん!君が私のことまで考えてくれていることはよくわかったから

いとし:「こいし君もそちらの大学で面倒見てもらえるなら、私は大学生を教えましょう」と言うたんや

こいし:大学側はどう言うた?

いとし:「わかりました。こいしさんには付属幼稚園に行ってもらいます」

こいし:ちょっと待てや!君が大学生教えて、なんで私が幼稚園の生徒を教えないかんねん。差がありすぎるやないか

いとし:幼稚園の生徒を教えるのと違いますよ

こいし:ほな「幼稚園に行ってもらいます」と言うのは?

いとし:子供たちのアイドルやったヤギが死んだんや。ヤギの代わりに、君にそのヤギ小屋の中に入ってもらういうことやったんや

こいし:アホな!私はヤギの代わりかい

いとし:教えんでいいから楽ですよ。ただ小屋の中で「メェー、メェー」と鳴いてたらええだけやから

こいし:誰がやるかい!あのな、この際ハッキリ言うといたるけどな。君が漫才辞めたいのやったら辞めたらええねん。私のために辞められへんやなんて、そんな恩着せがましいこと言われたないわ

いとし:それで君かまへんか?僕と離れて、君生きていけるか?・・・首吊らへんか?

こいし:吊るわけないやろ!私は私でちゃんとやっていくわい

いとし:そう言うてもらえたらありがたいねえ、ほな僕は、これを機会に思い切って、セブンショックしますわ

こいし:なんやそのセブンショックて

いとし:セブンやなかった。セブン、エイト、ナイン、テン・・・テンショクしますわ

こいし:最初からすっと言え!しかし、転職するて、今さらどういう職業に転職するいうねん

いとし:実は僕は昔から、ハマグリにあこがれてましてね

こいし:ハマグリ!?

いとし:ハマグリやなかった。アサリでもなし、シジミでもなし、ほら、こういうのをまとめてどう言う?

こいし:カイかい

いとし:会社員にあこがれてましてね

こいし:・・・会社員いを言うのに、なんでハマグリから出て来なあかんねん!

いとし:昔から、サラリーマンになりたかってね

こいし:えらい平凡な人間やなあ、サラリーマンにあこがれる理由は?

いとし:漫才という仕事は、トマトが全くないでしょう

こいし:トマト?

いとし:トマト違うわ。カボチャでもなし、キュウリでもなし

こいし:またかい!漫才には何が無いねん!?

いとし:紫色の、漬物にしても煮ても炒めてもおいしいアレ

こいし:ナスかい

いとし:漫才にはボーナスがないでしょう

こいし:・・・ええ加減にしとけよ

いとし:ところが、サラリーマンにはボーナスがあるがな。サラリーマンになってボーナスをもらってみたいねん

こいし:・・・しかし、ようそんな理由で転職なんて考えるなあ

いとし:君から借りた本にも書いてあったよ

こいし:私が貸した本て「チャレンジ精神のすすめ」いう本かい?

いとし:そう、あれに「転職も恐れずにやってみよう。若いうちならなんでもやれる」て書いてあったしね

こいし:だから若ないねん君は!だいたい、君みたいな年寄りを雇てくれる会社がどこにあるねん

いとし:ところが、この前見た求人広告に、年齢不問て書いてあるのがあったんですよ

こいし:年齢不問なら君でもええわけや。八十五歳までの方って書いてあったら、君はアウトやけど

いとし:そこまでなってへん言うねん!

こいし:で、その会社いうのはどういう会社や?

いとし:会社が何台ものトラックを持っていて、そのトラックで受け取った荷物を運ぶ会社でして

こいし:トラックで荷物を運ぶ運送会社かいな

いとし:うんそうや

こいし:シャレかい!しかし、君みたいな人間雇てもらえるか?

いとし:面接に行ってみよかと思てるねん

(以後、コントのような形で)

こいし:ホー、君がうちの会社で働きたいという人かね

いとし:いえ、別に働きたいとは思ってませんけどね

こいし:ほな、働きたないもんが、なんでうちへ面接に来たんや?

いとし:ボーナスが欲しいんです。働かずにボーナスが貰えると、一番ありがたいんですが

こいし:誰がやるかい!一生懸命働いてこそ、ボーナスは出るんじゃ

いとし:ほな働きます。よろしくお願いします

こいし:・・・それにしても、えらい年寄りが来たなあ。年齢不問なんて出すんやなかった

いとし:まあまあ、そう言わずに雇ってください

こいし:うちはトラックで稼いでる会社ねん。もちろん君は大型を持ってるやろね

いとし:はい、大型を持ってます

こいし:大型やで、普通ではあかんで

いとし:わかってます。うちの嫁はんは、昔は普通でしたけど、三十キロも増えて、今では立派な大型です

こいし:誰が嫁はんの話をしとんねん!運転免許証の話や

いとし:残念ながら、そういうもんは持ってません

こいし:なんや、何にも持ってへんのか?

いとし:何にも持ってへんのかとは失礼でしょう。私かてこれだけのトシですよ、持つもんは持ってますよ

こいし:何を持っとんねん

いとし:神経痛を持ってるし、リュウマチも持ってるんですよ

こいし:病気の話やないねん!免許は?

いとし:一切持ってません

こいし:ほな運転手としては雇えんなあ

いとし:助手でもいいんですよ、ボーナスさえ貰えたらいいんです

こいし:しかし、この体で大丈夫か?

いとし:大丈夫です。自信あります。どんとこい!(と胸を叩いた後、咳込む)ゴホッ、ゴホッ!

こいし:ほんまに大丈夫かいな!・・・当然君は、力仕事をした経験はあるんやろね

いとし:チカラ仕事は何度もやりました

こいし:ホー、どういう力仕事をしたの?

いとし:若いころは忠臣蔵で、大石内蔵助の息子のチカラ役の仕事でしょ。それから、もうちょっと年齢とってからは、湯島の白梅のオツタとチカラのチカラでしょ

こいし:力仕事いうのは、芝居に出てくるチカラの役のことやないねん!
いとし:と、言いますと?

こいし:君はかついだことがあるんかい?かついだことが

いとし:しょっちゅうかついでますよ

こいし:ホー、それは頼もしいなあ

いとし:十三日の金曜日は、仕事は一切いたしませんしね

こいし:ゲンをかつぐ話やないねん!荷物をかついだことあるのかと聞いとんねや

いとし:荷物をかつぐのは、重さ五十までは平気でかつげます

こいし:ホー、五十キロかつげるか?

いとし:五十グラムです

こいし:・・・たった五十グラム?

いとし:最近、ネクタイが重くて重くて、首が凝ってしゃあないんですよ

こいし:・・・ようそんなんで、うちへ面接に来たなあ

いとし:ボーナスが欲しいんです

こいし:現場の仕事は無理やなあ

いとし:現場の仕事と違ごても何でもいいんです

こいし:何でもいいというと?

いとし:ボーナスをもらえたら、社長の仕事でも、専務の仕事でも、なんでもいいんです

こいし:アホなこと言うな!となると、経理の仕事しかないなあ

いとし:経理なら任せといてください。大穴をバッチリ当てますよ

こいし:競輪と違ごて経理や!

いとし:経理、おまかせください

こいし:言うとくけど、今は帳簿が付けられるいうだけでは、経理はでけんよ

いとし:と言いますと?

こいし:(パソコンを打つ姿で)打ってるか?

いとし:毎日打ってます

こいし:ホー、毎日打ってるか

いとし:病院の注射でしょ?・・・たまに点滴も打ってますよ

こいし:コンピューターを打てるかどうかを聞いとんねや!

いとし:コンピューターは駄目ですわ。コンピラさんなら、先日嫁はんとお参りに行きましたけど

こいし:コンピラさんは関係ないねん!君は経理の仕事も無理やなあ

いとし:ほな、お宅の会社の経営コンサルタントとして雇ってくれませんか?

こいし:経営コンサルタント?

いとし:はい

こいし:ホー、そこまで君はキレるんかい

いとし:はい、私はキレますよ。私のニックネームは「キレモノ」ですよ

こいし:「キレモノ」・・・頭がキレるんやな

いとし:息がキレるんです

こいし:あかんわ!


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