僕の中のグロービスのデザイン思考の。

なんば先生と、Team孤独死のみんなへ捧ぐ。

題「Be a Hero」

 男は回転椅子に座りながら、徐々に覚醒していく頭のひだを丁寧にほぐすように、昨日の夜に終わったばかりの教科について反芻していた。「デザイン思考と体験価値」これが男の受講した科目だった。40の手習いで始めた大学院も中盤に差し掛かり、クリティカルシンキング、テクノベートシンキングを受講した後に満を持してのデザイン思考の受講。もともとこの教科は存在を知った瞬間に取ることを決めていたのだが、直前のテクノベートシンキングのS教師が「思考の三宝」と例えたことが決定的だった。そうなると男にとっては是が非でも「デザイン思考」は体得しなければいけなかった。

 男には、それは呪いとすら言えた。20年前、門を叩く男に師匠はこう言い放った「考えることをサボってきたな」。この言葉に対してどれだけ抗い努力をして、見返してやろうと思っても、当の本人は呪いのことなど忘れて、すっと鬼籍に入った。そういうわけで男はどんなに「今、俺は思考をしている」とメタ認知をしても、その問答を仕掛ける、自分自身を証明する方法はもう存在せず、攻略法のわからない難しめのゲームに興じる小学生のように、言葉遊びを続けるしかなかった。結局、男は今でも墓参りに行っていない。

 男はゆっくりと回転椅子に身体を預けようとした。沈むことが無いことぐらいわかっていたのだが、万有引力と同じぐらい当然にやってくる低反発に背中を押してもらうことが必要だった。緩んできた背筋を意識し背筋を返すと、もう一度「デザイン思考」について考えを巡らせることにした。プロセスはわかる、広告業界で曲がりなりにも17年働いてきた自負もある、一時はコピーライターとしてクリエイティブもかじっていたのだ。少なからず自然にデザイン思考を自分は習得しているのではないかという期待も男にはあった。でも掴めなかった、掴みあぐねたというのが正確な表現かもしれない。

 ある人が言った「知恵の実をかじった人間は、総じて罪を犯すようになった」。あながち間違いでもない、考えることは罪であり、すべてを信じてオートマチックに行動すれば、心の平穏は訪れる、ロボットは自分を疑うことはない。だが自分は罪を犯す側でよかったと思う。そういった危うさの中にこそ、真実と発見という喜びがあった。男は逆に「平穏」は罪であると思うことにした、そうすれば自分は正しい道を歩いていられた。男の脳裏には、数年前に読んだ「デザイン思考」について書かれた本の内容は1㎜も残っていなかった。むしろ1ピクセルもと言った方がよりその学びの薄っぺらさを強調することだろう。しかも読んだのは漫画というから面白い。「絵で記憶は定着する」、この連想法の薄っぺらさを、藤田弓子さんに教えたい。連想ゲームか、ここまで考えてようやく男の口角が少し上がった。

 朝、多くの人がまどろみから抜け出せない中、男は完全に早起きを自分のモノにしていた。そうか、そういえばこの早起きすらもデザインの一つかもしれないと、男はそう思った。人生をデザインする、ライフスタイルをデザインする。デザインが誰かの課題解決であるならば、今まで夜更かしをして、肌のゴールデンタイムを見事に肩透かしていた自分の生活リズを変えてくれた「早起き」は自分でデザインしたライフスタイルといえるだろう。時間はかかったし、自分一人の力では無かったが、ありがたかった。最後に男はアップルのケーススタディを思い出した。授業ではほぼ触れられなかったあの課題にはどんな意味があったのだろうか。アップルが行った引き算のデザインは、人の人生から荷物を一つずつ取り去ったから多くの人に受け入れられたのではないだろうか。それはさながら免罪符のように、電話帳を一つずつ移し替えるのを、CDの貸し借りを口実にするのを、財布の紛失に怯えるのを、シンプルに取り除いてくれた。それほどまでに現代人は、背負いすぎているものが大きいのだ。イエスキリストは人のために自分が磔になる十字架背負い、その十字架に磔になり、胸を穿たれた。彼がせっかくしてくれた解放を、物足りないと思うように人は仕向けられた。それが自然の摂理なのかはわからない。

 ここまで書いてみて、デザイン思考は「ヒト系」の科目かもしれないと、ひとつの仮説にたどり着いた。人の罪を知り、人の営みを尊いと思うからこそ、そのヒトを解放したいと願う学問なのではないか。この考える機会をくれた先生と仲間に感謝をして、この答えはまた次の機会に譲るとする。すっと、男のタイピングが止んだ。

 傍らの妻はようやく口を開くタイミングを得た。「まったく、さっきから呼んでいるのに全然来やしないんだから、ご飯よ」振り向くと、男の妻が腕を組んで立っていた。手に握る「おたま」が漫画から飛び出たキャラクターのようだ。男は、そういえば自分が空腹であることにようやく気が付いた。いつもの夕飯の時刻はとうに過ぎている。これでは、朝からずっと机に噛り付いていたことになる。「じっと画面を見やって、カタカタカタカタしたと思ったら、しばらく止まってまたカタカタカタカタ、何、昨日の授業の復習かしら。その煮詰まり顔を見るとどうせ半分も理解できなかったんでしょう」妻が続けた。なるほど、男のことをよく見ていた。人間、元々は他人でも20年近くも一緒にいるとなると、空気感で大体のことが図れるようになる。特に一般的に女性の方が共感力は高いと言われる。男の妻は抜群に勘が鋭かった。

 共感と観察はデザイン思考のファーストステップだ。観察対象者の言葉、態度、反応、醸し出す空気から顕在化されたニーズと潜在化しているニーズを探り、見つけることと理解している。これは当然対象者と過ごす時間が長い人の方が有利だ。では、自分たちは短い時間の観察やインタビューでどこまで対象に近づくことができるのか。いや、憑依することができるのか。キーとなるのは対象の課題を想像して知覚することだろうと男は捉えていた。つまり、自分の中の経験や知識、概念等と照らし合わせて解釈することである。観察やインタビューを聞いている最中には自己は必要ない。徹底して観察者になる。事実を記録する。その事実の中に埋もれる真実を突き止めることが次のステップというわけだ。

 男は、ようやくダイニングに行くとテーブルに腰を下ろした。メニューはキノコカレーだった。お馴染みのクミン、コリアンダーカルダモン、ナツメグ、ガラムマサラの匂いに加えて、今日はターメリックの香りまで立ち昇っていた。昨日のオンライン懇親会でウイスキーをかなり飲んだのを見透かされていたのだろう。ターメリックはウコンであり、二日酔いにも効くし、胃腸を持ち直す働きがある。まさかそこまで…だとしたら妻の観察眼と共感力に自分は及ぶべくもない。男は悔しいので、妻がなぜ今日カレーを作りたかったのかを考えはじめた。カレーは一皿で完全栄養食である。洗い物も少ない。男だけでなく、二人の子供たちにも人気。さらにカレーは熟せばおいしくなるので二日目も活躍する。ダメ押しでカレーうどんやドリアにも様相を変えることが可能だ。これほどまでに範囲の経済が効くメニューはそうはない。そうか、今週は忙しいということを言っていたからおそらく作り溜めで、ここ何日かの家事の時短をしたのだろう。家事の負担はやはり計り知れない。キッチンで早々と洗い終わった皿を片付けている妻を見て男はそう思った。

 本田宗一郎氏が、スーパーカブを生み出したのは、たった一人の奥様の買い物を助けるためだったという。毎日大変な思いをして、家族のために重い食材を持ち帰る妻を思いやって生まれたバイク。案外、スーパーカブのスーパーはスーパーマーケットの意味のスーパーだったのかもしれないな、男は思った。そしてこの一人のためのバイクは、のちに世界中で愛される代物になった。買い物をするなら前かごが必要だろう、荷台には大きな家電もくくれるようにしておこう、足は寒くないか、カウルを設けてやろう、なるほど対象のことを想えば想うだけアイディアが生まれてきそうだった。そうしたアイディアをプロトタイプ化して、フィジビリティとつけ合わせて収斂していくのだろう。このプロセスで集合知が活きてくる、多くの人に「あなただけ」の商品やサービスと思ってもらえるように、チームメンバーの共感からのアイディアを融合していき、その包含力を上げていくことでビジネスとなる。男の中で道筋が見えた気がした。妻に感謝しなければならない。食べた皿も自分で洗おう、風呂掃除も洗濯物畳みもしよう。忙しいときはお互い様だ。そうだ、その前に答え合わせをしておこう。「なあ、今日はなんでカレーにしたの」男は妻に尋ねた。「お隣さんからいただいたの、作りすぎたんだって」

 男は二の句が継げなかった。

 観察・共感のなんと難しいことか。男は20年以上連れ添っている妻のことさえ見誤った自分の観察眼の無さを恥じた。いや、実際恥じることはなかったのだ、とどのつまり夫婦とはいえ他人である。人は他者を完全に理解することはできない、それでも理解しようと務める。手にした瞬間からスルリと抜け落ちる猫じゃらしのように、その蜃気楼を捕まえる行為こそが尊い。男は自分を慰めるためにそう思うことにした。そうだ、妻のことをもう一度観察することから始めてみよう、何度だってスタートは切れる、「残りの人生で今日が一番若い日」と言ったのは誰だったか。やり直す時間はある。男は、出されたチキンカレーを丁寧に掬うと、最後の一粒まで胃袋に収めおもむろにこう言った。「チキンカレーだけに、最後までチキンと食べないとね」男はジャブを打った。この反応で妻の今のステータスがわかる。まずは、この打ち返しがパラメーターだ。ウイットに富んだ答えが来るときは、バイタリティがMAX、妻のエネルギーは上々と言える、さて。

 男は妻の返しに集中した。すると妻は「いや、食べたらキッチンと持っていってね、自分で」即座に返した。う、うまい。「チキンと」を「きちんと」でしょ、とツッコミで返すと思いきや、キッチンにかけてボケを被せてきた。自ら選んだ伴侶とは言えしなやかなカウンターパンチに戦慄した。なるほど、面白い、妻のペインとゲイン見定めてやろうでないか。ペインとゲイン、これらは旧約聖書に出てくるカインとアベルのように、妻の中の生死を浮き彫りにするはずだ。男は少し考えて、デザイン思考の授業で取り組むことにした「孤独死」について質問をすることにした。「なあ、孤独死ってどう思う」男は尋ねた。「何、いきなり」「いや、だから孤独死だよ、死後何日か経ってから発見されるあれだよ」男は説明した。「は、いや、だって家族で暮らしているわけだから、孤独死はないでしょ。最悪どちらか死んだとしても、家族の誰かは気づくわよ」妻は当然の回答をした。「でも、子供たちもいずれはそれぞれの人生を歩み始めるだろ、そうしたらさ、まあ俺たちもそういう可能性だってあるわけだろう」「そういう可能性って」妻は心底わからないという顔をする。「だから、二人とも別々に道を歩むか持ってことだよ。それでもし一人になったら孤独死しそうかと聞いているんだよ」男は、真面目な顔で聴いた。

 「は、いや、それなら私じゃなく自分でしょ。あなた掃除も料理も満足にできないじゃない」妻は切り返した。おうおう、そう来たか。確かにそうかもしれない、自分の方がもはや一人で暮らすことに不安しかない、男は自らの胸に手を当ててみた。妻に捨てられるという表現は、あながち別次元の話ではない、女性は強い。割り切って新しい生活を始める姿が目に浮かぶ。「確かにそうかもしれないけれど、君は一人でも寂しくはないのか」男は質問を続けた。「うーん、まあそりゃあ寂しいかもしれないけれど。息子も娘もいるわけだし家族って一生家族ではあるわけじゃない。しかも私、子育て終わったらやりたいことがあるのよね、やることがあると人間なかなか死なないんじゃないかと思うわ」と、妻は答えた。「やりたいこと。知らなかったな、何がやりたいんだ」男は尋ねた。今までキャリアを追及して上昇志向だった妻に本当にやりたいことがあった、男は気になった。

 「私、子育てが終わったら、英語を近所の子供に教えたいのよ」妻は嬉しそうに答えた。「おお、知らなかった、そんなプランがあったんだ。でも、なぜそれをやりたいの」男は理由を深掘りした。「うーんとね、生きている限り、何かに貢献したいと思うのよ、おそらく共同体に所属している人はすべからく、貢献をしたいんじゃないかな。私はこの町が好きで、子供がもしこの町を離れたとしても、この町に関わって、この町を良くしたいと思っている。もちろん自分ができる範囲でね。そう考えると得意な英語を活かして、近所の子供たちに英語を教えて、その結果もしこの町にインターナショナルスクールができたり、外国人がよく訪れる街になったりしたら、国際地方都市に名乗りをあげるかもしれないじゃない、それって政治家じゃない私の力ってことになるわよね」「君はそんなことを考えていたのか」男は目を丸くした。自分は英語と聞けば、シンガポールに移住して税金逃れるぜーつるセコと思っていたが、妻は地元を愛し地元に所属意識を持っている、自分とは違う。「まあ、たいそうなこととは思わないけれど、自分が蒔いた小さな種が、花開いて、その花粉が日本中に飛んで、また広がって。教育って一番大きな効果が見込める、幸せの連鎖だと思うの」妻はにこやかに答えた。

 他者への貢献が、自分への報酬か。そう思える妻は孤独に一番遠い人種のように思えた。そして男はそんな妻を愛おしく思える自分に気が付いた。望むか望まないにかかわらず孤独は生じる可能性がある。しかしたとえ自然発生的に分断されたとしても、自らがエネルギーを発することができれば、繋がりを引き寄せることはできる。まるで、磁石のNとSのように、つながりの引き寄せも科学的に証明できるはずだ。そう考えると、孤独死は地場、磁力の影響を受けることも考えられる。男は思考を進めた。孤独死が多い地域はどこになるのか。想像では寒冷地だ。体が縮こまり、内向きになり、自分にしか目が行かなくなることが想像できる。日本で言えば北海道や東北地域が孤独を引き寄せているはずだ。男はスマホをいじって検索を始めた。そしてある調査結果にたどり着き目を見張った。ダイヤモンドオンラインによると2019年の孤独に悩む人が多い都道府県別ランキングの結果は1位福岡県、2位新潟県、3位山形県とあった。食も文化も豊かな福岡が1位。2位3位は想像通り寒い地域ではある。新潟は豪雪地域だし、山形は東北だ。まてよ、逆にこのランキングで下位のワースト3は何県なのか。セオリーで言えばこちらも同様に暖かい地域と寒い地域と両方が入っているはずだ。男はそう思った。

 スクロールする指が震える、おそるおそる結果を観ると、スクリーンには47位愛知県、46位愛媛県、45位三重県とあった。意外と内陸、と思った瞬間、男の中にある文字が飛び込んできた。まさか、そんな、ばかな偶然にしてはできすぎている47位にも46位にも「愛」がある!愛は孤独を遠ざけるのか!男は茫然としながらも、頭の中に一筋の道が見えた気がした。まだ、薄く頼りない道であるが確かに見えていた。目の前にはいつの間にかコーヒーが出されていた妻が話しながら入れてくれたのだろう。カップはまだ温かかった。男は一口コーヒーをすすると45位の三重県は「見栄」にしとくかと早々に自分を納得させて、妻の「愛」の余韻に浸ることにした。

 「ねえ、おとうさん、レゴやろうよ」。コーヒーのタンニンを丹念に堪能していると、5歳の息子が話しかけてきた。「おとうさん、べんきょうとかいってレゴをしてたじゃない、ずるいよぼくもやりたい」と、息子がすねる仕草をした。「遊んでいたんじゃないぞぉ、勉強だぞぉ」男は、おどけながら答えた。そういえば、自分には家族がいる、特に子供が小さい今の時期は、孤独を感じるどころの騒ぎではない。むしろ一人の時間が欲しいくらいだ。男は、ふっと孤独死をする人たちの気持ちを想像した。孤独死に関するネット記事に出てくるキーワードは「セルフネグレクト」や「無気力」、「面倒くさい」などネガティブな言葉が目についた。元々頑固な人、あまり人に好かれる行動をしてこなかった人という性格的な点も挙げられていた。人間自分から行動することは大事だが、同じように人に働きかけてもらう力も大切ということだろう。気にされ力、愛され力とでもいうのか。誰かを大切にしたら、誰かから大切にされる、それは四則演算のように、小学生でもわかる公式だ。しかし、人は歳を取るにつれてそんな当たり前の計算ができなくなる、数字の大小にこだわるようになる。その道幅はどんどん狭くなり、自分一人で歩く分しかなくなるかもしれないのに。

 「そうだな、レゴをやろう」男は、自分のこの環境が時限的なものであることを自覚したかのように優しく息子に語りかけた。「おとうさん、こっちへきてよ。はやくはやく」息子は手招きして、すでにレゴの海を広げた洋間に体を滑り込ませた。ゆっくりと後に続きながら「何をつくろうか」男は息子に聞いた。「ぼくはね、スパイダーマンとアイアンマンのおうちをつくるよ」言うが早いが、息子はガチャガチャとブロックをあさり始めた。「なぜそれを作ろうと思うんだい」男はさらに尋ねた。「だって、スーパーヒーローはおそとでたたかうでしょ、つかれたらねなくちゃぁならないからね」息子は手を動かしながら答えた。男はその答えに虚を突かれた思いがした。普段見ているアニメーションでヒーローが家に帰って一人寂しい夕食をとったり、夜更かしをして寝坊をしたりというシーンはまずない。しかし、息子はヒーローにも衣食住があり、彼らも普通の人たちと同じように暮らし、生活があると考えている。

 「でも、スーパーヒーローは強いから寝なくても平気なんじゃないか」男は突っ込んだ。男には風呂場でシャンプーが目に入って焦るマイティ―・ソーは想像できない。「そんなことないよ、おとうさんだってつかれてねてるじゃない、おんなじだよ」息子は、当たり前じゃんという顔で答えた。言いながらも動かす手は止まらなかった。参った、こいつの中では、俺もアベンジャーズの一員ってわけか。それじゃあ、誰かの味方でいなくちゃならない。お困りごとを解決するスーパーヒーローってやつにならなきゃカッコ悪い。男はプレッシャーを受けたはずだが、なぜだか自分の中心にあたたかいものを感じた。「家の壁はどのブロックを使うんだ」男は息子の思考を紐解くように質問を続けた。「えーとね、あおかな」息子が返した。「なんで」男が再び転じる。「あおは、おそらみたいだからね、ひろいんだよ」息子が真剣な口調で答えた。青は広い、なるほど、安心や安全というイメージよりも息子の中では青は広さの象徴であるのか。男は、息子の回答に一人納得した。「おとうさんはなにをつくるの?」今度は僕の番と息子が聞いてきた。「そうだなあ、おとうさんも家を作ろうと思う」男は答えた。「どんなおうち?」「横から見ると周りが全部壁で出られない家だ」「なんで、こわいね」「そうだろう、この中に入って目覚めた人は、あれ。どこにも行けないぞって思ってしまう家だ」「ぼくやだなそんなの」息子は寂しそうな顔をする。「ところがどっこい、この家には秘密があって上から見ると実は、外に通じる道があるんだ。そしてその道はたくさんの人が待っている公園に続いているのだ」男は話しながら息子に負けまいと手を動かし始めた。「いいね、それならこわくないね」息子がようやく笑顔になった。

 「もし、朝起きてこの家に一人でいたらどうする?」男は質問した。「えー、いやだなあ、ぼくにげだしたいよ」息子は頭を抱えながら口をあける。そうだろう、5歳の子供が耐えられる現実ではないはずだ。視点をずらすことの難しさ、卵から生まれるわけではない人間は自分の殻を破るということを、身をもって体験したことはない。男が何か言おうとした瞬間、息子からさらに声が発せられた。「でも、やっぱりだいじょうぶ、だっておとうさんがたすけてくれるから、ここにみちがあるよって、みんながこっちにいるよって、おしえてくれる、そうでしょ、おとうさん」男の手が止まった。そしてゆっくりと息子を抱き寄せた。目の前にある幸せ。世界では、ロシア、ウクライナでは大変な状況が続いている。自分たちと同じような家族も中にはいるだろう。直接的に何かをしてあげることはできないが、せめて彼らの無事と幸せを願おう。今この瞬間、息子は自分のことを信じている、信じてくれる人が周りに一人でもいれば、人は孤独に打ち勝つ。自分を大切にすることだろう、それは生きる活力につながる。8秒きっかり男はカウントして、息子を抱く両の手をひらいた。開放された息子は、少し濡れた瞼をぬぐう男の顔を、不思議そうに眺めていた。

 息子を抱きしめていた腕をほどきながら、男は授業で学んだ「ストーリー」について思い返していた。ちょうどいい、息子を壁打ちに、ストーリーについて考えてみよう、男はその場に胡坐をかくと、思慮深い僧侶であるかのように、息子に向き直った。「どうしたの、おとうさん」息子が怪訝そうな顔で尋ねた。「ちょっと、父さんの前に座ってくれるか、これから一緒にお話を考えてみよう」「えー、おもしろそう。わかった」息子は目を輝かせて、父親の目の前にドッかと腰を下ろした。「さて、さっきの話だけど、スーパーヒーローは疲れているんだよね」男は始めた。「うん、そうだよ、たくさんわるものがあらわれるからね、たいへんだよ」息子が口を尖らせて答えた。「だとしたら、例えばスパイダーマンは何に困っているのかな」「うーん、わるものをたおすのはおしごとだから、しかたないとおもうんだ」「なるほど、お仕事はやりたくてやっていることだからね」男は息子に同調するよう頷いた。「そうなんだ、だから、こまっているとしたら、おようふくだとおもうんだ」「え?スパイダースーツのことかい。青と赤の」男はいきなりの息子の飛躍した考えに目を見張った。「そうそれ」「なぜそう思うの」「だってさ、あのおようふくは、ぴったりしているでしょ、ぬぐのがたいへんだよ。でもあせをかいているから、かえったらすぐにぬぎたいはずなんだ」息子は、我が意を得たといった顔をした。

 なるほど、顧客をスーパーヒーローにした場合、お困り事はコスチュームが脱ぎづらいことときたか。じゃあ別のコスチュームやTシャツにでもすればいいじゃない、夏はクールコスチュームで半袖半ズボンでいいじゃない、という意見もあるかもしれないが、スーパーヒーロー側にしてみたらそうはいかない。スーパーマンは胸にSの文字が、バットマンは蝙蝠のイラストがあるからこそ彼らなのだ。電車の中吊りに踊る「決定版!7日間7着コーデ!」というファッション雑誌の特集のようにはいかない。彼らにはコスチュームが脱ぎにくいことで「疲れを癒すまでのリードタイムがかかる」というペインがある。ゲインは「汗や匂いを気にせず、格好よく人助けに集中したい」だろうか。もちろんインタビューをしないとその裏は取れないのだが、まずは仮定で話を進めてみよう。実際にスーパーヒーローにインタビューはできないのだから練習だ。次に、フレームワークのVPCに当てはめると、ペインリリーバーは、「帰宅後のスムースな着替えの実現」であり、ゲインクリエイターは「清潔感が持続すること」と置いてみた。そこから考えられるソリューションは、「長時間戦っても汗を抑える強い制汗剤ヒーロー御用達」。こんなプロダクトはどうだろうか。男は一通りの思考をしたところでふと我に返った。

 どのくらいそうしていたのだろうか。息子はすでに興味が移って絵本を読んでいた。カヴァーが取り外されているところが今風だ。妻が「読み終わったらきれいな状態だとメルカリで高く売れるから」と、男の家では絵本のカヴァーは全てとりはずされて大切に保管されている、こういった2次販売も意識されるのは最近の消費者の傾向だろう。今回のように日用品となるプロダクトの場合は、2次販売を意識することは必要ないが、リセールのしやすさというのも今の新製品には大事な視点である。顧客を考えるということはそういう今の消費者の特徴もケアするべきだ。しょうがない、一人でやってみるか。男は、きびすを返すと、再びダイニングテーブルの椅子に腰を下ろした。目の前には8つのコマに折り目がついたA4の紙が置かれていた。これは先ほどの授業で習ったばかりの、アイディアを書きつけるストーリーボードの折り方だった。

 まず、シナリオを考えるうえで大事になってくるのは、コンフリクト候補である。つまりユーザーにどんな争い、対立、問題、葛藤があるかだ。コンフリクトは、ひっきりなしの戦いで着替える暇がないが、汚れた状態で戦うのはヒーローとして見栄えが良くないと思っている。こんなところだろうか。せっかく華麗に女性を助けたとしてもひどい匂いであったら、「はひがおうほざいます」と鼻をつままれて感謝を述べられるかもしれない。そんなシーンを想像して、男の表情がほころんだ。続いてのキーワードは、感謝、人助け、使命、責任、憧れ、自尊心、正義の味方、正当性などがパッと思い浮かんだ。男も子供の頃、ムテキングのようなスーパーヒーローに憧れていただけに、この辺のキーワードはすぐに思いついた。そして、シナリオのポイントは、1回の大きな谷があり、2回の小さな谷があることだった。今回のケースだと、1回目の大きな谷は汚れたコスチュームを変えずに誰かを救助した時にあからさまに嫌がられるシーンなどだろうか。2回の小さな谷には、ようやくコスチュームを脱いだ直後にまた出動する羽目になったとか、コスチュームの汗が気になって、パフォーマンスが下がり、普段なら喰わないダメージを負ったなどがありそうだ。ここから、コンフリクトと合わせて、時間的要素、環境的要素、物的要素を加えながらシーンごとのシナリオを作っていく。ここで大事なのはコンフリクト候補は複数用意するべきということである。そして、受け手に伝わる表現として最も印象的であるものを採用するのだ。

 男はいくつかのコンフリクトを書き出して、試しにシナリオを組んでみた。一見完璧に見えるスーパーヒーローにも、葛藤や対立があり一人の人間として豊かな感情の波があるのだということが実感できた。そしてこの波こそが、人の共感を生む要素となるのだろう、そう思った。男は3期前に受講したLEVの授業を思い出していた。あの授業では、自分のライフラインチャートを書いた。山あり谷ありが人生。まさしくギザギザに書かれた自分の歩んできた軌跡は、落差があるからこそ愛おしく見えた、おそらくはそういうことなのだろう。ギャップを作る、そこに人は惹きつけられる。そして、このシナリオを、映像として表現すればよいわけか。男の中で更なる道筋が見えた。これからのグループワークで、これらを仕上げていくという期待感が膨らんだ瞬間だった。

 それから3か月後、男のチームは、なんとかアイディアを形にしてプレゼンまでたどり着いた。

 男はグループワークのポイントはアイディアの発散よりも収束にあると学んだ。チームメンバーは6名。それぞれが個性的でいい意味で多様性があった。だからこその議論の広がりを愉しみたいのが本音ではあるが、男はリーダーとしての役目を果たそうと、議論の収束を担った。30回近くに及ぶチームのディスカッションは、実に山あり谷ありだった。Facebookメッセンジャーもフル活用した。つまり、議論はリアルで合わなくても、非同期であっても、前に進める意思さえあれば進むということだ。男たちが選んだテーマは「孤独死」。共感や観察に端を発するデザイン思考のプロセスでは、インタビューに重きが置かれ、インタビューが無いと話にならない。その意味では孤独死をした人にインタビューができるわけもないし、孤独死をしそうな人にインタビューをするのも困難である。そうなるとその手前、孤独死の予備軍としての「孤独」にフォーカスを当てることが第二の道となる。男たちはターゲット設定をして、彼が孤独を感じないという観点から思考を進めた。ターゲットのペルソナは「Aさん。空調取り付け技術の仕事を退職し、没頭する趣味は無く、松戸の賃貸アパートに住み、貯蓄は500万円。独居で離婚しており、元妻のところには子供が2人いる。経過観察の健康状態で中肉中背」とした。

 それから顧客カードを作り、共感マップキャンパスを行ったが、そこからVPCにうまく落とし込むことができなかった。「事実」と「解釈」が入り混じってしまって、うまく当てはめることができなかったのだ。JAMボードのポストイット機能で色分けをして丁寧に分類をしていった。そして、足りないと思ったところには追加でインタビューし何とかVPCが出来上がった。ゲインは、1日の予定をしっかり立てる、誰かに頼られると孤独を感じない、面倒を見ると張り合いが出る、ペインは、価値観が合わない人に囲まれると孤独を感じる、誰も話し相手がいなくて何もしていないと孤独を感じる、どうせ言っても伝わらない人がいる。そして、ジョブは暇な状況から回避すること、楽しみ・目標を持つこと。他者とのつながりを感じること。と置いた。一方で、ゲインクリエイタ―は短期的な楽しみを持つ方法、他者に対してやるべきことで予定が埋まる方法、若干の(10万円)定期収入が得られる方法とした。ペインリバーバーは自分を理解し言うことを受け入れてくれる人が周りに集まってくる方法とした。

 結果、男たちが導いたアイディエーションは、経験を活かした仕事と、自分を理解してくれる仲間と、感謝とのマッチングサービスである。ここに至るまでに、サードプレイスとしての、誰もがヒーローになれるヒーロー農園というアイディアも出た。一時は着地したかと思われたが、新規性と実現性を考えてプラットフォーム型のビジネスへ舵を切った。一度は進んだアイディアでもきっぱりと捨ててまた次を描き直す。その際にVPCとの整合性を忘れてはいけないが。男は、アイディエーションを形にしていく中で、顧客の声との整合をとらないと前に進んではいけないということを学んだ。あくまで事実ベースで進むことで、「誰が買うの?」という外からの質問に、少なからず「ペルソナは買います!」と答えることができる。整合性は実に重要なファクターだ。これをBMCに落とした時にはマネタイズの計算に苦労をした。仕事紹介の手数料が500円として5,000件の仕事で社員3人を抱えられるという規模感である。ただ全体を俯瞰して観ると、プロセスモデルも作成して理解が進んだ。これもデザイン思考の醍醐味であった。

 こうしたプロセスを経て一つのサービスの種が生まれた。男はこの種が大きく花開き、沢山の人を孤独から解き放つと考えると正直ワクワクしてきた。そう、なぜなら自分もいつかたどり着くかもしれない未来であり、そのリアルな感情を解消してくれるサービスであろうと男は信じていたからだ。

さあ、チーム孤独死のプレゼンの幕が開ける。

⇒to be continued…

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