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#02 前を向いて歩こう。

「顔上げて前を向こう。」「上を向いて歩こう」つらい時や落ち込んだ時そんな言葉に沢山励まされます。もちろん私自身もそうです。止まっていて何も解決にならないのであれば、半歩でも歩みを進めた方が今の自分を奮い立たせてくれると思います。自分が今、痛い思いをしているのに歩き出すのは傷口をえぐる事にもなり、痛くて進めない時もあります。

前を向いて歩く。上を向いて歩く。一言で人を励ます言葉なので、誰かに声を掛けたい時にはこの言葉を使って「一緒に歩こう」と、この強い言葉をもって励まします。他人には声を掛けるけれども、自分にとってこの言葉はどんな意味を持つのだろうか?少し考えてみました。

下を向いていれば歩き続ける事は出来ません。前を向く、上を向く。という事は自分が知らない場所へ歩き続ける為に必要な事ですが、先ほど書いた通り、前を向けない程に傷を負った時はとても前を向いたり、上を向いたりする事は出来ないと思います。だって辛いし痛いのだから。そんな言葉で簡単に励まさないでよ。と自分であれば思ったりもします。痛いのに歩くのは辛いし嫌だから。

立ち止まった自分。痛くて動けなくても、自分にとって無情に思えるのは他人が歩き、進めているから。自分は止まっていても他の人は自分に関係なく前に歩いているのです。立ち止まっていても、目で、耳で、鼻で、他人の動きを感じる事が出来ます。痛くて動けないのに、どうして他の人は前に行くの?僕には声を掛けてくれないの?どうしてみんなはそんなスピードで歩けるの?自分の事が他人のせいに、感情を他の人にしたくなる瞬間。時として怒りに変わる事も。ポジティブな人はそんな「負」と呼ばれるエネルギーを溜め込まず、前に進むエネルギーに即、変換して前を向いて、上を向いて歩み始める事が出来るのでしょう。

それに引きかえ自分はやはりネガティブだ。マイナスにマイナスを足すとマイナスが増えていくのと同じで、ネガティブな事を思い始めると、どんどんネガティブを増やしていき、自分を麻痺させ「これでよかったんだ。」と思う様にしている。人の事を羨ましく思い、他人と照らし合わせ安心したり。立ち止まるだけでなく、後ろに出来ている道をまた戻り始めて納得させていたりしているのだろう。

前を向く、上を向く。人を一言で励ますとても強い言葉。自分にとってはどんな言葉だろうか?下を向いていたって歩く事は出来るし、横を向いていたって歩くことは出来る。立ち止まっているよりは、ずっとずっとマシなんだろう。人と比べる事をやめればもっともっと楽なんだろ。マイナスな感情はいきなり振り切る事は出来無いけれども、歩けるはずなのです。分かっている上で、あとはどうやって歩みを進めるか。0が1に変わる事は世界が変わる事だし単純ではない。せめて0が0.1でもいいけれど、やっぱり0は0。自分にとっては残酷な言葉の様に思えます。

それでもどうだろうか?そんな残酷な言葉でも解決してくれる、数ある助けのうち、その中で「人に触れる」という事は?自分が進めないのであれば引っ張ってもらったり、押してもらったり。そんな選択肢もあるのでは?自分にこうして「何か」あるのであれば、他の人だってきっと「何か」があるはず。「何か」がある他人もそうやって歩いているのであれば、その人たちに触れてみる。付いて行ってみるのも助けの一つだと私は思います。少なくとも歩き始めるきっかけにも。どうせ人のせいにするなら他人だって自分と同じ。ネガティブなんだかポジティブなんだか。そう思うようにしては。

あとはタイミング。0から歩みを進めるタイミングは人それぞれ。ポジティブな人は0になった瞬間にすぐに前を向いて歩けるし。立ち止まってしばらく時を置いて前を向いて歩く人。少し後ろを向いて戻りながらも、また前を向いて歩く人。立ち止まったまましばらく歩かない人。このタイミングは人それぞれ。今の自分はどうかな?このままいけば立ち止まりそう。ネガティブに潰されそう。今の感情は「嫌だな。また辛い時期に入るんだろうな。」こうやって書き出せるだけまだマシなんだろうが、今はネガティブな時期に少し足を踏み入れています。

散々書き散らかして結局最後に言いたい事。「前を向こう。上を向こう。」
ネガティブな時期に入ってきっと辛い事が自分を取り巻くけれども、
だからこそ人に触れ、話を聞いて歩き出そう。前を向いて歩き出せるように。根性ではありません。自分への言い聞かせでもありません。0を1に変えたいのであればそれなりの強い言葉をイメージしなければ歩みを進める事ができません。

簡単ではない。「前を向こう。歩いて行こう。」今は出来ないけれども立ち止まるのが嫌であれば「前を向こう。歩いていこう。」

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