読み書きをするということ

思い立って、noteを書くことにした。

かなり前の話だが、中学生のころ、ブログを書くのが好きだった。おそらく、ほとんど毎日書いていたと思う。
内容は、当時大好きだったロキノン系バンドのこと、深夜ラジオのこと、誰にも相談できなかった家庭のことなど、多岐にわたっていた。

そのブログの存在を知っていたのは、一番仲の良かった友達一人だけで、誰かに読んでもらうという目的も、まして訪問者数を増やすという目的もなかった。
ただ、自分の頭の中にあることを言葉にして、外に出すという行為そのものが楽しかった。

その後、mixiを皮切りにSNSを利用するようになると、アウトプットの先もブログから「日記」に変わる。
ここでは、リアルの友人に“読んでもらうこと”が前提となる。趣味の話は変わらず書いていたけど、あまりマニアックすぎる話題は、無意識のうちに書かないようになっていった。もちろん、シリアスな悩み事や問題については触れない。友人・知人の共感が得られるもの、自分のことをよりよく知ってもらうためのトピックスが日記の中心になる。
ここでは、日記はリアルの人間関係を補完するものとして機能した。話し下手で、書くことのほうが得意だった当時の私にとって、テキストで人間関係を補完できるというのはありがたかった。

大学生の終わりごろにはスマートフォンがすっかり普及し、同時に、LINEやメッセンジャーでのコミュニケーションが一般的になった。メールよりも気軽にメッセージのやりとりができるようになり、人間関係の構築において、書くスキルの重要性は話すスキルのそれに限りなく近づいたように感じた。

私は今でも、話すよりも書く方が得意だ(と、自分では思っている)。
研修講師という「話す」職業に就いたことで、人前で話すことが得意だと思われがちではあるが、そもそも講師ができるのは、元はそれが苦手だったからだ、と考えている。

このnoteは、話すことが苦手な人間が、思ったことを言葉にして外に出すという、自分の楽しみのためだけに始めることにする。
いつか、書くスキルがもうちょっと上がったら、他の誰かの役に立つようなことも、ほんの少しは書けるかもしれないが。


「読み書きができるということは、人類の最大の仕事に参加しまたそれから利益を受けることを学ぶことである。」
(S.I.ハヤカワ『思考と行動における言語』)


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