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釜石ラグビー『高橋』列伝

🐯がおっす🔥!
釜石シーウェイブスの新加入選手がまたひとり発表されましたねがお!
髙橋泰地(たかはし たいち)選手!

「高橋さん」は全国的にもおおい苗字ですが、岩手県をはじめ、東北各県は『高橋さん率』が高いのですがお。
*ちなみに「高」と「髙」(いわゆる"はしご高")の方がいたり、「橋」の字も他にいろいろあるらしいですねがお。このnoteではその辺はちょいと表記にばらつきがありますがお。何卒ご容赦のほど....。

🐯調べによると、釜石ラグビー部、シーウェイブスに所属した高橋さんは9人!

髙橋泰地選手の新加入を祝して、釜石ラグビー高橋列伝をまとめてみましたがお!🔥

高橋純治さん(盛岡工業出身)

1959年の創部メンバーのお一人ですがお。

『釜石製鉄所ラグビー部10年史』

こちらに高橋純治さんの記した文章が掲載されています。

『初試合山田ラガーに勝つ』

高橋純治さんは盛岡工業ラグビー部のご出身だったそうですがお。

高橋哲さん(黒沢尻工業出身)

釜石ラグビー部が同好会としてスタートしたのが1959年。正式に部となったのは1960年だそうです。この年、黒沢尻工業から釜石ラグビー部へ加わりました。
*「10年史」には、高橋哲さんの欄に「松尾鉱山」と記されている箇所もありました。1969年まで現在の岩手県八幡平市にあった松尾鉱山のラグビー部に高校卒業後に入部したのち、釜石ラグビー部にやって来たのかもしれません。

10年史に掲載されている高橋哲さん(山崎哲さん)が記した文章を紹介いたしますがお!

高橋千紘さん(秋田工業、立教大学出身)

3人目の高橋さんは1963年入部の高橋千紘さん。
秋田工業から立教大学へ進んだのち、卒業後は釜石ラグビー部へ!

2020年、高橋千紘さんのお名前を思いがけずお聞きする機会がありましたがお!

徳増浩司さんの著書『君たちは何を目指すのか』の挿絵をお書きになっている齊藤恵さんは、高橋千紘さんが叔父様なのだそうです。

「父は秋田出身で、6人兄弟の5番目でしたが全員ラグビーをやっていて、父は花園に行ったと聞きました。父の弟(叔父)の髙橋千絋(ちこう)は秋田工業高校から立教大学、新日鉄釜石でラグビーをしていました」

RWC2019の感動のエピソードが満載のこの本。
でもこの本は『あの時はよかったなあ』と過去を懐かしむだけの本ではありませんがお!
まだお読みになってない方はぜひ!

高橋博行さん(秋田高専出身)

秋田県出身の高橋博行さん。中学生の頃は吹奏楽部でトロンボーンを吹いていたそうです。秋田工業高等専門学校に進学後に、ラグビーボールに初めて触れました。1976年の春。秋田高専卒業後に新日鐵に就職し、釜石製鉄所に配属となりました。入社同期には石山次郎さん、そして松尾雄治さんも。

釜石製鉄所に配属になった博行さんは、寮の前のグランドで練習をしている釜石ラグビー部の練習にくぎ付けになりました。
「自分もラグビー部に入ってみたい」

釜石製鉄所の管理職の皆さんからすると、技術職で採用した博行さんがラグビー部に入るなんてことはまったくの想定外でした。

博行さんはほんとうにほんとうに真っすぐな人なんです。
「猪突猛進」って言葉があるけど、それとも違う。
何も考えないで、周りも見ないで突進するわけではありません。
ただただ自分の気持ちに正直に真っすぐ、確実に歩んでいく。それが博行さん。

そんな博行さんの相談に乗った松尾さんも会社側に話をしてくれて、博行さんの熱意が実り、入部することになりました。

でも、釜石ラグビーのメンバーからすると博行さんのラグビー経験値はほぼゼロ。最初は体力的にも練習についていくことが出来ないし、スキルもまったくなかった博行さん。

🐯のよく知っている人は、当時釜石南高校のラグビー部でした。
釜石南高校ラグビー部は、釜石ラグビー部と同じグランドで練習させてもらっているのですが、博行さんが釜石ラグビー部の練習前に早出してきて、高校生に交じって練習をすることがよくあったそうです。
博行さんが高校生にラグビーを教える、のではありません。
高校生が博行さんにラグビーを教えていたそうです。

どんな人にもフラットに、自分の心のままに真っすぐに。
博行さんらしいエピソードですがお。

ああ。涙が。
この先はこちらからお願いしますがお。
大友信彦さんが博行さんの記事をお書きになっていますがお。

高橋善幸さん(黒沢尻工業、明治大学出身)

ゼンコーさん!ですがお。
1987年入部。
🐯が聞いたことのある話では、黒沢尻工業卒業後に釜石ラグビー部に入ることになっていたのですが・・・・。
あの北島監督が善幸さんにほれ込み、明治にかっさらわれたそうなんですがお(笑)
明治大学時代はNo8で物凄い突進をしていたんですが、4年生では北島監督がPRへコンバート。
善幸さんが主将を務めた1986年度の早明戦前夜のニュースはこちら。
リポーターは......。めざましテレビのあの方ですねがお!

現在はシーウェイブスのシニアアドバイザーを務めていますがお!

高橋竜次さん(盛岡工業、日本大学出身)

2001年、「釜石シーウェイブス」が結成されたときに岩手東芝ラグビー部から釜石へ!
ポジションはPRとNo8!
PRとNo8って、普通はあまり両方できる選手はいないのですが、ゼンコーさんと同じく竜次さんもなんですねがお。

シーウェイブスが設立されたのは2001年4月25日。
新日鐵釜石ラグビー部から釜石シーウェイブスRFCに生まれ変わったチームは、釜石製鉄所に勤務している人だけではなく、広く開かれたチームになりました。
高橋竜次さんはシーウェイブス設立時に加わった、クラブ化したチームの象徴的なメンバーなのですがお!

高橋宏助さん(不来方高校出身)

不来方の お城の草に 寝転びて 空に吸はれし 十五の心

石川啄木/一握の砂 より

不来方(こずかた)とは、現在の盛岡周辺を指す地名ですがお。
1988年、盛岡市の隣町である紫波町に開校した県立不来方高校の校名に使われました。

高橋宏助さんは不来方高校卒業後に東北電力ラグビー部へ。
2002年に釜石シーウェイブスへ加わりました。

大友信彦さんが著したシーウェイブス設立から7年間の軌跡を描いた『釜石ラグビーの挑戦』には、2002年6月のプレシーズンマッチ(対船岡自衛隊)に出場した高橋宏助さんのことがこう記されています。

東北電力からテスト参加したウイング高橋宏助は、まったく無名の岩手・不来方高校出身の25歳だが脚力は抜群。船岡戦の終了間際には自陣深くから80メートル独走の圧巻トライを決めてみせた。昨季はフィニッシャー不足に泣いただけに、本格的なクラブへの参加が待ち遠しい豪脚ランナーだ。

『釜石ラグビーの挑戦』/大友信彦さん

シーウェイブス加入後にはバンバントライを決めてくれましたがお!

高橋拓也選手(黒沢尻工業出身)

さあ、お次は現役選手!
高橋拓也選手ですがお!
クロコー出身ですが、小学校の時には釜石に住んでいたことがあったそうですがお。
2010年入部。2010年当時の写真はこちらですがお。

うーん。わかい!

2018年シーズンに、かまいし情報ポータルサイトの『縁とらんす』で紹介された際の記事ですがお!

現在は文字通りシーウェイブスの大黒柱!

好きな場所は「お布団の上」(笑)
がんがん眠ってまだまだ大きく成長してけろ!

さあ、お次が現時点での釜石ラグビー高橋列伝ラスト!

高橋聡太郎選手(釜石高校、明治大学出身)

そーーーーーーーーーーたろーーーーーーーーーーー!
ですがお!

2017年入部。
釜石シーウェイブスJrから釜石高校ラグビー部!
明治大学卒業後にシーウェイブスへ戻ってきましたがお!

もちろん🐯はシーウェイブスの選手全員を応援してます。
でも、……
やっぱり高校の後輩でもあるソウタロウは、どうしても特別に応援したい気持ちがありますがお🔥

日経の谷口誠さんによる記事のご紹介ですがお。

もうひとつ。
高橋拓也選手と同じく、2018年シーズンに、かまいし情報ポータルサイトの『縁とらんす』で紹介された際の記事ですがお!

2011年3月11日。聡太郎が釜石高校の3年生になる直前の春でした。
あれから12年。

聡太郎が活躍するところをみるのが本当にうれしいですがお。
もちろん一番うれしいのはゼンコーさんでしょうけどねがお(笑)

🐯一口メモ🐯
新日鐵釜石、釜石シーウェイブスの親子2代選手は3組!
🏉佐野正文&竜介親子!
🏉ソロモナ&マイケル・トロケ親子!
🏉そして高橋善幸&聡太郎親子ですがお!

髙橋泰地選手!ようこそ釜石へ!

髙橋泰地選手!
ようこそ釜石へ!

釜石ラグビーのすべての『高橋』さんが髙橋泰地選手の活躍を祈念しておりますがお!

🐯なかぴー🐯なかりんも🐈フライキーもがっつり応援しますがおおおおおお!!!!

どんとはれ。

*次回列伝予告は『佐々木』ですかねがお(笑)