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平野恵里子選手 ~いちばん新しい釜石ラグビーの🌸~

ラグビー日本代表🌸
日本でラグビーをしている、していたひとならだれもが憧れるチームですがお。釜石にゆかりのあるラグビー日本代表キャップ保持者は以下の皆さんですがお🐯
※敬称略ですがお。( )はキャップ数!
※富士鐵釜石、新日鐵釜石、釜石シーウェイブス、釜石高校、釜石商工高校、釜石南高校、釜石北高校、釜石工業高校、釜石商業高校でラグビーをプレー、もしくはコーチとして在籍した方々

🌸今村耕一(5)🌸伊藤正義(1)🌸宮田浩二(4)🌸森重隆(27) 🌸松尾雄治(24) 🌸小藪修(1) 🌸小林一郎(18) 🌸和田透(8)🌸村口和夫(2)🌸畠山剛(9)🌸瀬川清(3)🌸南村明美(1)🌸洞口孝治(24)🌸谷藤尚之(14)🌸石山次郎(19)🌸千田美智仁(26)🌸小林日出夫(7)🌸桜庭吉彦(43)🌸小村淳(4)🌸伊藤剛臣(62)🌸アンドリュー・マコーミック(25)🌸吉田尚史(4)🌸松原裕司(23)🌸北川勇次(6)🌸ピエイ・マフィレオ(1)🌸ヘイデン・ホップグッド(11)

そして、いちばん新しい釜石ラグビーの🌸は、

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🌸平野恵里子(9)!!
釜石ラグビースクール(釜石シーウェイブスJr)➡釜石高校➡日本体育大学ラグビー部女子➡YOKOHAMA TKM➡現在は奥州アテルイブロッサムス所属ですがお🔥

お父さんが若いころ、新日鉄釜石ラグビー部はV7全盛期。その影響を受け、きょうだいはみなこどものころからラグビーに親しんでいたそうですがお。平野恵里子選手も小学校1年生から松倉グランドで釜石ラグビースクールに。

その後、シーウェイブスJrから釜石高校へ。釜石高校2年生のとき、2009年12月に行われたU18花園女子エキシビジョンマッチで花園の芝も踏みましたがお。
そして、2011年3月に釜石高校を卒業。日本体育大学への進学がきまっていましたがお。その数日後。2011年3月11日が来ました。

「クルマを借りたからな。お前は東京へ行け」

母親と兄、姉は釜石市内の、波の来ないところで働いていたはずだ。しかし祖母は一人で家にいたはずだ。大丈夫だろうか。恵里子は父とともに、必死で避難所を回り、祖母を探した。夜になって、ようやく無事に避難所にいるところが見つかった。
津波は故郷のすべてをのみ込んだ。大槌町は、宮城県の南三陸町、岩手県の陸前高田市とともに、市域のほぼすべてが津波にのまれた、最も被害の大きい自治体のひとつだった。恵里子の家族は両親と兄と姉、祖母とともに避難所に入り、一日一日を過ごした。こんな状況では、進学なんて考えられない・・・・・・誰に相談したわけでもなかったが、恵里子はぼんやりと、故郷に残ることを考え始めていた。何よりも、瓦礫だけになった故郷をおいて、自分だけが東京の大学へ行くことは考えられなかった。

震災から十日ほど経った頃だった。父から「入学の用意をしろ」と伝えられた。
「クルマを借りたからな。お前は東京へ行け」
有無をいわさない言葉だった。
家の自家用車は津波で流されていた。大槌から釜石に出るJR山田線は跡形もなく消えていた。釜石と内陸を結ぶJR釜石線も、東北新幹線も、まだ動く気配もなかった。父は会社のクルマを借りてくれた。いったん用意した入学準備品はすべて流されていた。恵里子は荷物をまとめ直した。学用品であれラグビーの道具であれ、大槌や釜石で手に入る品はほとんどなかった。身の回りのものだけをかき集めて、恵里子は父が用意してくれたクルマに乗り込んだ。避難所にいた友人たちやその家族が、手を振って見送ってくれた。

『釜石の夢 被災地でワールドカップを』(大友信彦さん著)
※大友さん。ちょっと長めに引用させていただきましたがお。

あのときの恵里子さんの気持ち。お父さん、お母さん、おばあちゃん、きょうだいの皆さんの気持ち。ずっとずっと恵里子さんは忘れることはないんでしょうね・・・。

2017年2月9日に大元よしきさんがお書きになった記事も併せてお読みくださいがお🐯

🌸日本代表へ

日体大進学後は2年連続優勝に貢献し2年連続MVP受賞、香港女子セブンズに日本選抜として出場、世界学生セブンズに学生日本代表として活躍。

卒業後はYOKOHAMA TKMでプレー。
そして、2016年5月に秩父宮ラグビー場で行われたアジア選手権・香港代表戦で15人制日本代表デビューを果たしましたがお🌸
2017年8月にアイルランドで開催されたラグビーワールドカップにも出場しましたがお🐯

ヨーロッパへ!ラグビーワールドカップ2021へ!

そして。いま。
来年、ニュージーランドで行われるラグビーワールドカップ2021に向けた日本代表候補合宿に参加しているんですがお。

今後、来年のワールドカップにむけて自分自身のレベルアップのため、日本代表のラグビーワールドカップでの勝利のため、ヨーロッパのチームに移籍する予定なんだそうですがお。

いちばん新しい釜石ラグビーの🌸

この🌸はいちばん新しい釜石ラグビーの🌸。
この🌸を咲かせて、さらに美しく、たくさんの🌸を咲かせるのは、もちろん平野恵里子選手自身の努力、熱意、そして、平野さんがもって生まれた運にかかっていますがお。

その🌸の根っこの先っぽからは、釜石ラグビーを愛するたくさんの人々が声援を送っているはず。
60年以上前、1959年の4月に昭和園で🏉をもって走り始めた製鉄所のラグビー部の皆さん、V7を打ち立てたみなさんをはじめとした釜石ラグビー部のみなさん。釜石ラグビースクール、シーウェイブスJrや釜石の高校でラグビーをしてきたみなさん。シーウェイブスのみなさん。そのひとたちを応援してくださったすべてのみなさん。
そして、ラグビーワールドカップ釜石開催を応援してくださったみなさん。
そして、そして・・・。ご家族の皆さんや、あの日、避難所から平野さんを送り出したみなさん。
みんなみんな、心の底から平野恵里子選手に声援を送っています。

来年の秋。ニュージーランドに大きな大きな釜石ラグビーの🌸を咲かせてくださいがお🔥
その🌸を誰よりも咲かせたいと思っているのは、平野恵里子選手ご本人のはず。その願いをかなえるために声援をおくることが、ぼくらにできるお手伝いのひとつですがお🐯


みなさまもご声援をよろしくおねがいいたしますがお🔥
#超がんばれえりこ

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