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2019年16冊目『スッキリ中国論 スジの日本、量の中国』

これ、とっても面白かったです。

日本の当たり前と、中国の当たり前の違いを「スジ」と「量」で説明してくれています。

いわゆるざっくり差異を把握するのに役立ちます。

私にとっては目からうろこでした。

例えば、会社の食堂までの廊下で中国人数人が大きな声で話をしています。

それを見て、日本人は「廊下は大騒ぎするべき場所ではない。人が通れたとしても、するべきではない」と「スジ」で考え、叱責します。

中国人は「人が通れる場所があるので、何の問題もない」と通れるかどうかという「量」で判断します。

日本人上司の叱責の意味が分かりません。

窃盗に関しても違います。

日本では1円でも盗んだら、窃盗です。それが理屈、つまり「スジ」です。

しかし、「量」の中国では、額が小さいと窃盗にはなりません。

実際、警察に連絡をしても、額を聞かれるそうです。

額が小さいと、相手にしてくれないそうです。

「量」が少ないからです。

しかし、中国では、かつて(今は法律が変わってないそうですが)、自転車を200台盗んで、死刑になった例があるそうです。

「量」が多いからです。

友達との飲み会での支払いも違います。

学生時代の友人と飲んだ際に割り勘する日本。

誰かに奢ってもらうのは「スジ」が合わないからです。

その時の金持ちが払うのが当たり前の中国。

金持ち(お金の量を持っている)が払うのが当たり前だからです。

借金は額に限らず返すのが当たり前の日本。

自販機の缶飲料の代金でさえそうです。

借りたものは返すのが「スジ」だからです。

そんなお金は借りたという意識もないのが中国です。

「量」が少ないからです。

一方で、返すことができない人に返せという人は失礼だと思われます。

「量」が合わないからです。

西洋人(キリスト教徒前提)は神様が見ている。

日本人は、特定の宗教は無いけれど、お天道様が見ている。

だから、ちゃんとしようと考える。

中国人は、儒教の影響が大きい。

人として立派な人にならないといけない。

だから、マニュアルのように決まった仕事をする人は立派ではない。

自分で考える仕事をできる人が立派。

しかも、科挙の影響もあるので、ホワイトカラーが立派な仕事。

文化とは、座ってする仕事をできるようにすること。

立派な人になるために、皆が頑張っている。

ただし、立派かどうかを判断するのは自分自身。

中国人は面子の世界。

これは日本人の面子とは全く違う。

人よりも優れている、たくさん持っているかどうか。

=周りに大事にされる人材かどうか。

これが、とても重要。

この面子を潰すと、しゃれにならない。

著者は元リクルートワークス研究所の一緒に仕事もしていた田中 信彦さんです。

お薦めです。

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