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2020年 100冊目『点・線・面』

隈研吾さんの著書です。
来週末、松岡正剛さんの塾でお話を伺えます。
その課題図書です。
面白いです。


今年100冊目、20年間100冊以上読み続けたのですが、その節目にふさわしい学びの多い本でした。


ドッグイヤーをつけたところを残しておきます。

振動する弦という考えを導入すれば、点・線・面の差は振動の違いだけとなり、更に激しく振動させることで、点・線・面は、いかように拡張することが可能となり、建築も都市も超えて、世界へと到達していくことができる。

物質もまた点・線・面の振動であり、音色であり、リズムであると考えると、建築も、そして都市も全く違ったものに見えてくる。
→量子力学の世界の話と類似ですね。

20世紀は「勝つ建築」の時代であり、コンクリートという固く、強く、重たい素材を使って、環境に勝つことを目的として、「勝つ建築」が大量生産されてきた、それに代わるものとにしての「負ける建築」を提案した。
→無機質なオフィス空間に違和感を持っていたのですが、それは「勝つ建築」だったのですね。


単位が小さいということが、負ける方法の基本であった。しかし、小さいというだけでは十分でないことも分かってきた。小ささの在り方にいろいろがあり、点・線・面というあり方がまさにそうなのだが、様々な小さな物達は、相互に埋め込み合い、相互にジャンプしながら、生き生きと「負けて」いたのである。
→固く、強く、重たいとの対比で、「負ける」。しかし、この「負ける」は「負けるが勝ち」のニュアンスですね。

人間をその小さな物達と同一レベルに降ろしでこなければならないことも、わかってきた。
→ここは興味深い。主体である人間を同じレベルにする。これはそうしないと発想が湧かない、あるいは価値を見出せないということだろうか。

物理的には大きくても、あり方としては小さく、「負けている」と人々が感じられるような建築を作ることはできないだろうか。
→一義的には、小さなものの集合体として、大きなものを作るという事を言っているのでしょうか。まだまだありそう。


自分のやっていることを一言でまとめるとヴォリュームの解体。量塊を点・線・面へと解体して、風通しを良くしたい。人と物、人と環境、人と人を繋ぎなおしたい。
→建物で、人と人を繋ぎなおしたい。オフィスのしつらえ、レイアウトを変えるだけで、それが実現することを目の当たりにしました。分かる気がします。

コンクリートから木が生涯のテーマ。
→木に戻るということでしょうか。
20世紀は工業化社会であり、コンクリートの時代。
コンクリートにはあいまいさがなく、建築を商品化し、私有を確定するためには、最適な素材。

3次元ヴォリュームを作るのに向いている。
→コンクリートは「勝つ時代」最適な素材であった。
日本の木造建築は線(一次元)の木材を組み上げる。手間がかかる。
→建築を商品化、大量生産には向かない。


カンディンスキーのバウハウスでの伝説的講義が「点・線・面」
・点・線・面という分類自体が相対的であり、決して絶対的な区分ではない。
・領域破壊的分析:版画の修正=2次元に4次元(時間軸)を重ねた
・時間を運動から解放した。
・中世ヨーロッパのゴシック建築が、実は点を志向する「点の建築」
・中国独自の反りあがった屋根も、空中に消滅する寸前の点
→カンディンスキーは私にとって抽象画の画家であった。彼が建築物に影響を及ぼしていたとは。

マリオ・カルポは、コンピュータは図面と施工・制作の統合を促した。変更し続け、修正し続ける、普段のシステム=足し算のデザイン。


・ルネサンス以前は足し算であった。そこにアルベルティが登場し、作者=ア―ティストという絶対者を生み出した。

・修正不可能なコンクリートは修正・変更に適さない。

・形態のデザイン論→時間のデザイン論
→建築物を生み出して終わりではなく、それからが大事。システム開発でいうDevOps(開発者と運用者の連携)の発想。

ブルーノ・ラトゥールのANT(アクター・ネットワーク・セオリー)
・人間と物の間に上下は無く、すべてが世界を廻すアクター。
・蟻の視点から建築を眺めれば、建築は少しも固定していない。
・小さなリズムー人類学者による隈研吾論→緊密なネットワークにより建築物は旬今後も変わり続ける
→余剰次元のメタファーとしてのホースと蟻と鳥の話は秀逸。次元の高い鳥の方が、気づかない次元がある。

ギブソンは、世界は連続するヴォリュームではなく、無数の点や線の組合せが作る肌理(きめ:テクスチュア)の集合体だと再定義した。
→これが「負ける建築」の発想。

人間は空間に存在する点・線を用いて、空間の奥行きを測定し、自分の速度を計り、対象との距離を測っていた。
・空間に、点や線などが存在しないと、人間は不安になる。
→これを建築に取り入れないといけない。
僕たちが生きているポスト工業化社会は、木という素材によって作られる社会になる。

・2020年のオリパラの国立競技場
→だから木の素材で作ったのだ!

19世紀以前の建築家はMサイズの建築を相手として仕事をしていた。
・作れる建築の大きさに限界があった(Sサイズ=家には建築家は必要でない)
→なるほど。そういうことか。

産業資本主義のL建築、金融資本主義のXL建築
Sにとどまらず、XS、XXSに分け入っていくことで、ノスタルジーと決別できるかもしれない。
・極小と極大とが縦走する新しい量子力学的な環境を整理し、生き抜く途を探るのが本書の目標

・すべての粒子はストリング(弦)だと考える超弦理論=音楽の集合体→建築もそう理解することはできないか?

・点は大きさが無いのでいくら集めても建築物にならない。しかし振動していると考えると説明ができる。
→いやいや建築と量子力学が繋がってきた。
「点」
建築における点、まず石ころを思いつく。

・石ころになってはじめて、人間というやわで小さな存在でも扱える。

・ギリシャ人も木造だったが、森の木を全て使い、代わりに石を使った。

・細部を見ると、点の集合体だと思われる古代ギリシャ建築も、線に依存する建築であったことが分かる。点と線の境界はあいまい。
→点・線・面のAIDAは実はあいまい。
古代ローマはヴォリュームの建築←社会、経済の要請。

・柱よりも壁の表現を主流とした
→急拡大する文明は、拡大再生産を簡単にする方法を選択する。
20世紀も同じことが起きた

・ヨーロッパ「小さな場所」のモダニズム建築は、線を大事にし、柱で建築をまとめあげた。

・アメリカという「大きな場所」では、巨大なヴォリュームに付け柱を施した。

・石は点であるにも関わらず、つながりやすく、ヴォリュームになりやすいやっかいな素材。

・自然素材がヴォリュームの表面のお化粧に堕ちてしまったのが、20世紀

・組積造の建築が、どう地震に耐えているかは、計算ではなく、経験に依存している。

・点を積み上げて大きなヴォリュームが生まれるのは、神秘的な行為で、魔術的なジャンプが必要。21世紀になっても、人は魔術に頼って点を取り扱っている。

・柱や梁と言った線は計算可能なので、建築構造計算が容易い。

・コンピュータのおかげで、有限要素法、個別要素法、粒子法へと進化し、小さな点を扱えるようになった。
→歴史は繰り返す。これは田坂広志さんの未来を予見する5つの方法と同じ
20世紀建築は(ブルネレスキにより)微小な点(砂利、砂、セメント)をヴォリュームへとジャンプさせる一種魔術的工法(現場打ちコンクリート)であり怠慢な方法(積まなくて良い)が主流となった。

・仮設足場がこれの実行を促進した
→2つのイノベーションが、拡大再生産を可能にした。
鉄が作る線によって大空間の創造が可能に(鉄は国家なり)
→そこに鉄が加わり、更に拡大再生産を可能にした。

隈健吾さんが、トビケラ(身近な素材で巣を作る)とブルネスキ(ずらす、帰納法的建築)にヒントを得たのがポリタンク、ウォーター・ブランチ。=線ではなく線分。
・中の液体を循環できるようにする。いわば生命のように。
→ブロックのようで、それを繋ぎ、中に液体を流す。思いつかない。
メタボリズム:パーツを取り替えたり、足したり、引いたりしながら、生物のように緩やかに変化していく→カプセル建築=中銀カプセルタワービル。←交換の単位が大きすぎた。
→アイデアは同じ。しかし、DevOpsのOpsが不味かった。
中国で現場に搬入された不揃いの材料を見て、ばらつきを生かしたデザインがあるのではないかと考えた。
・バラツキの激しい瓦

・最初からバラツキ、傷、汚れがあるのは、点を自由な存在として解放する。完成後の汚れも許容してくれる。
→ばらばらを制約条件にすると、発想が広がる。

編むTSUMIKI(松葉のようなV字型で端に切り込みがある)
→子供たちが積むの楽しそう。

市松模様(離散的状態):点とは極めてサステナブルでフレキシビリティの高いデザイン
→そのように見た事が無かった。

サハラのコンパウンド(離散的住宅)がある意味理想の状態
→理想の一夫多妻制。
「線」

20世紀は柱と梁という線的要素を組み合わせる工法がデフォルトになった。
コルビュジェはコンクリートを用いたヴォリュームの表現を極めた。欧州、インド。

ミースは金属を用いて美しい線を描くことを極めた。アメリカ。
→勝つ建築の代表者
フレームシステム:コンクリートや鉄骨で線を作る、その線でフレーム(骨格)を組む建築。間隔10mで柱や梁は1m×1mが最も効率的→武骨で殺風景な空間。

・コンクリートの牢獄
→柱が大きくて、かなり武骨
日本の伝統木造の線は、単に細いだけではなく、自由に移動できるものであった。これは未来的な手法でもあった。生活の変化で自由に動かすことができた。
・屋根裏の和小屋という骨組みによる。(←14世紀の日本が発明)
→柱を自由に動かせる。DevOpsの最たるもの。
柱の芯おさえの建築から(畳の出現により)面おさえの建築になる。
ブレネレスキは、断片化により解決した。
中世の工匠は、ツイン・コラムや束ね柱で解決した。
→隈研吾さんは重ね柱がお好き。
インゴルドは、線には糸(生きた線)と軌跡(取り残された死んだ線)があると整理した。

・芯おさえ(生きた木材である線)、面おさえ(平滑な製材された殺された線)

・西洋の硬筆で書いた線は、死んだ線。軟筆はズレが生じ、生き続けている線。
→かなり硬質筆は分が悪い。

「面」
リートフェルト:面と面と線を組み合わせれば、閉じていなくても家具になる。大きな家具という発想からシュレダー邸を建築。
→軽やか!
ミースは鉄柱の柱をエッジの立った十字型断面とすることで細い線にすることに成功した
→勝つ建築の代表者も、新しい試みに取り組んでいた。
ゼンパーは、編むという行為に高い関心を寄せ、独自の建築理論を打ち立てた。
隈研吾さんは、布(ゴア社製テナラ)の二重膜の間に空気を入れる茶室を考えた。
→これ凄い。場所の概念を無くせる。

20世紀は自然災害が比較的少ない、運のいい時代であった。
・これからの大災害の時代に、布で人を救う事ができないかと考え始めた。
・Casa:イタリア語では家。日本語では傘。
・雨が降ったら傘をさすようにしなやかさで、災害が来たら家を建てて身を守る。

・傘を持って逃げて、皆で繋いで家を作る。
・15個の傘を繋ぎ合わせてドームを作るのが、木が核的に見て、理にかなっている。
・傘は6枚の三角形だが、あと3枚あるとうまくつながる

・生物はフレーム(骨格)と考えていたロジエ主義的生物観
・点・線・面がネットワーク的に統合したものが生物の体を支えている、ゼンパー主義的生物観
・ETFE+ナマコの無数の地位な骨片+磁石=現代の方丈庵
→仲間が見つけやすい。これホントに画期的!

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