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ケチは受け継がれる

お金の使い方は、親から子へ受け継がれるものなのだと、最近改めて思う。

私の父は私が中学生の頃に総合病院の勤務医から開業医になり、母はずっと専業主婦だった。小さい頃から、やりたいことはお金のかかることでもほぼやらせてくれたし、必要なものも必要なときにほとんど買ってもらっていて、『うちにはお金がない』と思ったことはない。お金を稼ぐ大変さを身をもって知った今、本当に自分は恵まれていたと思うし親へは感謝しかない。

仲の良い家族だったので、一緒に暮らしていた高校卒業頃まではスーパーへの買い物や外食なんかもよく家族で一緒に行っていた。子どものお金に対する価値観は、そういう毎日の暮らしの中で、特に一家の財布をにぎる人の買い物や外食での行動を見ながら知らず知らず学んでいくものではないかなあと思う。

母は生まれた家もそこそこ裕福で、お金の苦労をほとんどしたことがない人で、我が家の家計は母が握っていた。お金の苦労はないものの、買い物ではできる限り安いものを選ぼうとする。スーパーでA、B、Cという選択肢があって、内容量も対して変わらなければ、基本的に値段の安さで選択する。例えば、産地とか生産者とか、他にもなにか付加価値がついているとか、そういうものよりも、選ぶ基準となるのは値段なのだなと、私は子どもの頃から感じていた。

逆に父は、田舎の農家の家に生まれて、貧しい子ども時代を過ごしているにもかかわらず、いい物にお金を使うことを惜しまない人だ。本当に気に入った物や価値のあるものに高いお金を払うのは当然で、安物買いの銭失いではなく、少数先鋭のいい物に囲まれて暮らしたい人である。

ただ、財布を出すのは常に母なので、幼いときから母の基準を理解していてると、「好きな物を選んでいい」と言われても、欲しいものの中から一番値段の安い物を選んでいたし、それは物だけではなく、レストランのメニューなんかでもそうだった。本当はAが食べたいけれど、Bが安いからB。そういう遠慮をずっとしながら私は大きくなり、そして大人になって自分でお金を稼ぐようになった今の自分にもその価値観が植え付けられているんだと気づいたのは、旦那さんと結婚してから。その前から自分はケチだ!とは言わないけど、私ってお金に対して思い切りがないな・・・とは感じてはいた。

例えば、焼き肉屋さんとかに行っても、本当はこれが食べたいなと思っても、いつもつい値段がメニューの選考基準となり、遠慮してしまう。旦那さんはその逆で、値段というより自分の気持ちを尊重するタイプで、支払う料金が高くなっても、その場で思い切り飲んで食べて、満足できればそれでいいじゃん!今日くらいいいじゃん!ていう感じの人だ。

あかの他人が家族になって難しい場面の1つはお金を一緒に溜めたり使ったりする場面で、旦那さんに対して心の中でイラッとしたことは数え切れない。だたその逆に、旦那さんが私に対して「このケチ野郎!」と叫びたくなったことも数え切れないだろうなと思う・・・

なぜ今こんなことを考えたのかというと、事情があり私は息子と二人で実家に戻っていて、旦那さんとは長い別居生活中なのだ。もうすぐ半年になる。久しぶりに親と長く暮らすと、やはり母のケチ具合が折に触れて目について、なんだかこれまで以上に嫌な気持ちになったのだった。

ただ、母にしてみれば、全ては『節約』という名の、家族の為を思った立派な行動なのかもしれない。

ケチと節約。息子が私の行動をケチだな~と思ったら、やはり親として悲しいだろう。引き締めるべきところを節約し、使うときは楽しく思い切り。そこに思いやりや優しさ、思慮深さが見えればいいんじゃないか。お金の使い方はその人の人格を物語る、全てではないけれど1つの物差しとなり得ることなのだと思う。

息子には、そういう使い分けがきちんとできる人間になって欲しい。そのために、やはり自分の日頃からのお金に対する姿勢やつきあい方を、今いちど改めたい。





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