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中野処方図書局、開局前夜

私は喋らなかった。
頭の中に言葉はたくさんあった。
使い方が分からなかった。
触っていいものなのか分からなかった。

同い年の子供たちが砂場で彼らの城を建立するとき、使い方の分からない言葉の交信相手に絵本を選んだ。絵本は雄弁に知らない世界の話を教えてくれる。
私は満足した。

「はい」「いいえ」の意思表示を記号のように操ることができるようになった日、同い年の子供たちは、九九の七の段を暗唱しようと懸命だった。私は、答えを求めない児童書に、その話をした。

少しの定型文を手に入れた私に、中学の数学も英語も、高度すぎて些末だった。私はヒアリングの設問をBGMに、小説へ旅に出た。教室は、古代にも未来にもなった。

日本語ネイティブに擬態した私に、高校の授業もスカートの丈の短さも、奇妙な異文化だった。私は学術書の中の天才に、その原動力を問うた。

私はとても賢くなった。皆が知らない時代のジョークや、南国の樹木や、不倫のいじらしさを知り、とても教養深く、実用性の低い生き物になった。

私は何でも知っている。でも何も知らない。
濡れた砂場の足の気持ち悪さも、教科書の重さも、先輩に告白する体育館裏の湿度も。


大人になって触った現実世界の様々な事象はとても歪な形で手に取ると壊れやすく、脆く、温かかった。それをひょいと肩に担ぐ人たちは軽やかなステップで、マジシャンのような手さばき。

やはり私の手に乗るのは言葉だけだった。
言葉しかなかった。

コピーライターになった。
編集者になった。
ライターになった。

でもやっぱり私は何も知らない。

砂場で王国を築いて、陸上トラックで悔し涙を流し、文化祭で徹夜して、履歴書の書きすぎで腱鞘炎になって、合コンで目が合って、海で口ごもって、市役所で戸籍謄本を取り、我が子の一歩目に拍手した彼らたちへ。

「もしもし、
こっちは風の強い夜だよ。
たくさんの話があるんだ。
君の手触りと交換しないかい?」


こうして中野処方図書局は、開局に至る。

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