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そうだ、クレジットしてもらおう

今日これからここに書き記す事はファクトチェックに基づかない、全くの個人的な見解、空想、想像、あるいは妄想であり、日々インターネットに撒き散らかされているフェイクやデマ、陰謀論と変わらないものではあります。けれども、ひとつ個人の視点として何かを書き記しておくこともメンタルヘルス的に良かろうかと思いキーボードを叩くことになった次第であります。

こんな枕で大変恐縮ではありますが、本題に入りましょう。

インターネットを眺めていると「トランプの番組にはウィットがない。ジョークは全て人を笑うもの」という証言が流れてきました。

おそらくは「アプレンティス」のことなのだろうと思ったのですが、僕はそのリアリティーショーを見たことがなかった。なので日本語版のページを探して眺めに行きました。そしたら掲載されている写真、その絵面を見ただけで失笑。これとそのまんまのものが前政権では繰り広げられていたのだと思うと、今更ながら目眩クラクラとなってくるのであります。完全に今更って感じで申し訳ないのですが、エスタブリッシュなものに、あまりにもふざけられてしまうと我々道化が何もできなくなるじゃないですか、勘弁してくだされ。

リアリティーショーのままだったらこれはこれでアリだったはずなのにリアル政治にそういうのを持ち込むと、どんだけバカバカしい風景がそこに広がるのだよ?と、その思いを深くしたのであります。

アプレンティスのトランプ版は評価が芳しくないという話や、視聴率は高かったなどなど両極端な意見がインターネッツにバラまかれていて、その真偽を確かめるほどの体力には僕にはありませんから評価について何かを言うつもりは全くないのですけれど、こういう情報を眺めていて脳裏に鮮やかに蘇ってくるものが「ジョーカー」っていう映画の褒められたもんじゃないワンシーンだったり、ラストシーンだったり、先日見たばっかりの「マンク」のことが思い起こされたりもするので、なかなかに不思議なものだったりします。あとはマネーの虎ですかね。

「人を笑う」ということと「キャラ」については、日本でもしばしば話題になります。

話題のひとつとして「笑い」の方の話をすると、「自分が笑われるのではなくて、人を笑うようになった時代の変化がある」というのは有名な話。そういう時代がある程度進むと「いじりは愛情」「ポリコレはクソ」「何でもかんでもハラスメントで息苦しい」という意見が出てくるようになります。これ、僕は半分くらいは同意できる部分があるにはあるし、コミュニケートの手段の王道として従っていた時期もあるにはあるのですが「そういうものはつまらない、嫌だと」いう意見が堂々と出てくる時代になっている事は確かなことで、これはとても健全な事だと言えるのではないでしょうか?

あとはキャラ立ちについての問題。キャラは立ってた方がいいに決まってるんですが、米国大統領だった男のSNSアカウントは誰が書いてるかなんてわかんないです。別の人がたまに投稿する事もあるだろうし、本人が肉声で文字変換してるケースもあるかもしれません。Twitterで言ってることが面白いといっても「あれは単なるアカウント、あるいはそういうキャラクター」ということでしかなく、正直なんなのかわかりません。それに世界中が振り回されていた時期があるのだと思うと「オルタナティブなメディアってなんだろう?」みたいな気持ちになってくるには、なってくるのです。ついでに言うとリアリティーショーにあんまマジになるなし。

ここまで書いてみて、僕は物書きではないので、もう既に何かを調べたり体系立てて他のものと比較してみる体力と集中力とやる気とスキルが完全に尽きてしまっているのですが、ジョーカーやマンクを改めて見てみると初見とは違った発見がまだまだありそうな気もしてきたので、のんびり眺めてみたいと思っています。マンクについては「投票」や「共和党」だけでは浮かび上がってこない何かがあると僕は感じていますが。

というわけで極右の、いや虚構の(笑)ショーの時間はおしまい。極右は言いすぎました。冗談です。言葉遊びってやつです。

冗談はさておき。きちんとひとりの人間として僕らもクレジットに入れてもらおうじゃありませんか。

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