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限界のありがとう。

2021年9月25日(土)

先生から言われた山を、今夜は越せた。

せん妄の症状が出ている妻を直視するのは、最初は苦しかった。
頬も明らかに痩けてしまい、げっそりとしていた。
全然食べられていないから当然だ。

寝ていたかと思うと、時折その細い腕を上げて何かを掴もうとする。
「ああ、また夢見てた。ははは。」
乾いた笑いと共にまた眠る。

目は開けていてもほとんど見えていないようだった。
前日まではスマホでやりとりしていたが、この日は傍らからスマホをほっぽり出していた。
もう、文字が読めない状態だったのだろう。

スマホが時々振動していた。
連絡が途絶えてしまい、友達が心配して連絡してくれていたのかもしれない。

もともと微熱がずっと続いていたが、37度後半から38度前半を行き来するくらいまで上がってしまっていた。




覚悟はしていたが、愛する人が変わり果てていく姿を直ぐ側で見るのは苦しかった。

誰が、何のために。
そう思わずにはいられなかった。
妻の望み通り、早く楽にさせてあげたかった。

この時の妻はもう自分の意志で闘っていたわけではなく、命が尽きるまで際限なく闘わされているように見えた。




凌くん、もういい。
あのさ。もういいかな。
いいかな。
もういいんだ。
ね。
おしまい。
おわり。

いいかな。
いいかな。
おわり。ははは。

もう、終わり。
ありがと、じゃあね。
バイバイ。
ね、バイバイ。



痛み止めによる幻覚なのか、鎮静薬によるせん妄の症状なのか、もう妻はほとんど単語でしか話せなくなっていた。
先生から幼児のような言動が出てくると思うと言われていたが、この病気と闘ってきた妻から出てくるこの言葉たちは、そのギャップの分だけ重く響いた。

ささやき声で、ギリギリの声で、それでも言葉を投げてくれた。
なんで、この状態であなたはギブアップと共にありがとうを言えるのだろうか。

頬が痩けて目が落ち窪み、皮膚が張り付いた妻の顔は本当に限界を表していた。
喜怒哀楽は、表情からはもう読み取れなくなっていた。




こうして書いているうちに当時の記憶が蘇ってきた。
人間は今後の人生を生きていくために、都合のいいように過去を解釈する。
辛い記憶から先に消えて、良い印象のある記憶は更に都合よく整形される。
それでいい。
それでいいけど、これはこれで残しておきたい。




私だけに言っているのではなく、お義母さんたちにももう終わり。ありがとう。と、似たメッセージを投げかけていた。

本当に一瞬一瞬が最後だと思って、相手が眼の前にいるうちに伝えてくれていたのだろう。

もう限界の妻と、もう限界の私たち。

それでも最後のときまで、妻のことを尊敬して支え続けられたのは、ありがとうと言い続けてくれたからなのかもしれない。

それがなければ、ショックの大きさに正直心が折れてしまっていたかもしれない。

ありがとうと伝え続けてくれて、本当にありがとう。





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