わたうみの冒険

 僕のおうちは温泉旅館。お父さんは四代目なんて呼ばれててかっこいい。僕が継いだら五代目になるみたいだけど、四代目の方がカッコいいからなんかずるい。旅館は山の上にあるんだ。カラマツに囲まれたくねくね道をスキー場まで上がったらもうちょっと。そこから先は不思議な三角のタイヤで雪の上を登っていく。雪上車って言うらしい。朝早く起きるとね、山の下の街はもくもくの雲に覆われて沈んでしまうんだ。お父さんは雲海って呼んでいるけど、僕はわたうみって言う方が好き。だって、大きなわたあめみたいでね、絶対触れると思うんだ。でもわたうみのところまでは遠くて行けない。いつかあの中を泳ぎたいなと思っているんだけどね。チャンスはいつか来るはずだって、テレビのヒーローが言ってたから、僕はじっと待ってるんだ。

 お父さんは忙しい。お客さんのお世話どころか、従業員さんのお世話までしないといけないんだ。うちの旅館には住み込みのお兄さんやおじさんがいて、そんな人たちのごはんは僕のお母さんが作ってる。お父さんは新しい温泉掘りであっちへ行ったりこっちヘ行ったり。だから僕はちょっぴりさみしい。だからそんな時はね、わたうみの中を泳ぐ想像をして、どこまで行けるか挑戦するんだ。

 朝のわたうみはあったかくてやわらかくて、泳いでいるうちにまだお布団で眠っているような気になってくる。ひとかきすれば僕の体はふわふわ浮かんで飛んでるみたいに進んでいく。学校のプールは苦手だけどね。ゆらゆら揺れて酔っちゃうんだから。でもわたうみは、僕がどこへ行きたいのか知っていて、僕の進む方へずんずん体を押してくれる。僕はお日様に向けてぐいぐい進んでいくんだけど、あんまり近づきすぎると暑くてたまんないから、ちょっと進んだら方向転換。今度はあっちの山まで行っちゃおう。

 雲を泳ぐ手が、何かにコツンとぶつかった。相手が「ニャー!」と叫ぶから、僕はびっくりして溺れるかと思ったけど、ひっくり返るとお尻がやわらかい雲のうえにポンと乗っかって、そのまま跳ねて一回転。なんだか綺麗に着地が決まって、自分で拍手したいくらいだった。

「何するんだ!」

 ひとりで笑ってたら、さっきのニャーの声が怒ってきた。そっちを見ると、雲みたいにふわふわの真っ白い猫さんが立ち上がって可愛らしく両手を上げてこねこねしてた。

「君はここに住んでるの?」
「君とはなんだ!おいらにはわたねこというれっきとした名前がついているんだぞ!」
「かわいい!」

 僕はわたねこさんとお友達になった。彼は照れ屋さんで、触ろうとすると雲に紛れて隠れてしまうんだけど、尻尾がゆらゆら揺れているから目を凝らせばすぐに見つかる。本当に雲みたいな猫さん。でもね、尻尾を掴んじゃダメだよ。本当に怒って雲の下に潜っちゃうんだから、そうしたら僕にはもう見つけられない。おーいって呼んでもしばらく出てきてくれなくて、もうちょっとで泣いちゃいそうだった。だけどわたねこさんは優しいから、僕が悲しそうな顔をしていると、またひょっこり尻尾を見せてくれるんだ。

「あんた、どっから来たんだ?」
「あそこの温泉旅館だよ」
「そりゃいいね。夜な夜な忍び込ませてもらってるが、あれはいい温泉だ」
「そうなの?今度僕のお部屋にも遊びにおいでよ」
「無理だね、体がなくなっちまう」
「たいへんなんだね」
「あんたこそ、大丈夫なのか?」
「何が?」

 わたねこさんはかわいいおててで僕の足の方をこねこねしていた。見てみると、どうしよう、僕の足が雲みたいにふわふわゆらゆら!

「落っこちちゃう!」

 僕は驚いてわたねこさんに抱きついた。そんな僕を見てわたねこさんは大笑い。

「まったく、まぬけな坊やだね。ほら、ひと泳ぎしてきたまえ。すぐに良くなるよ」

 僕は言われた通りわたねこさんのまわりをぐるぐる泳ぎ回った。急いでぐるぐるしたから目が回っちゃった。

「もうだめだ」

 わたねこさんは雲のうえにバタンと倒れた僕の目を上から見つめてまた大笑い。

「こりゃまたポンコツの坊ちゃんだね。連れてってみんなに見せてやろう」

 わたねこさんはふわふわの尻尾を伸ばして僕の右腕に巻きつけると、ずいずい歩き始めた。

「どこいくの?」
「ちょっといいとこさ」
「そりゃいいや」

 ふわふわ引っ張られているうちに僕は眠たくなっちゃって。だって雲があったかくてね、とっても気持ちよかったんだ。こうやって雲のうえでゆらゆら流れながら寝られたら、とっても素敵だろうなっていつも思ってたし。せっかくだったからね。

 それで、目がさめると、目の前に大きな鼻があったからびっくり。それが僕を吸い込もうとするようにずずーっとやるんだな。

「わあ!」
「あら、起きちゃった」

 小さな白い象さんがクツクツ笑ってた。僕は何が何だかわかんなくて、とりあえず足があることに安心して、辺りをキョロキョロ。わたねこさんを探そうと思ったんだ。そしてビックリ!いろんな動物が僕を囲んで笑ってた。みんなふわふわ真っ白で、何が何だかわかんない。

「よお、起きたな?」
「あ、わたねこさん」

 彼は象さんの頭の上に乗っかってた。おんなじ色だから声をかけられるまでさっぱりわかんなかったや。

「温泉旅館の坊ちゃんなんだって?」
「人間ってやっぱり変だね」
「爪も弱そうだし、牙もない」
「まあ、僕らには爪も牙もきかないけどね、ふわふわだから」

 あっちこっちでみんなが話しているけれど、真っ白けっけでさっぱり見分けがつかないや。わたねこさんがふんわり飛び降りて、僕を立たせてくれた。

「ここはどこ?」
「それは秘密さ」
「でも、気に入ったよ」
「変わった坊主だな」
「でも、でも」

 また目が回りそうな僕を見て、わたねこさんはしっぽでペシンと叩いてくれた。

「まったく、どうしたって言うんだ?」
「みんな真っ白で目がくるくるしちゃう。そうだ、みんなに色を塗ってあげようか?」
「色?そんなこと、太陽のおっちゃんにしかできないよ」
「そんなことないよ、見てて」

 僕は少し元気になった。グーパーしてみるけど、手はしっかりそこにあったし、ぴょんぴょん飛び跳ねることもできる。だからちょっと気合を入れてぴょーんと跳ねて、お空から青色を取ってきた。

「それをどうするんだ?」

 わたねこさんはおもしろそうにしっぽをフリフリこっちを見てる。僕は象さんに頼んで少ししゃがんでもらった。そうして鼻から丁寧に青色をぬりぬりしていく。象さんは少しくすぐったそうだったけど、もうちょっとだけ我慢してね。

「できた!」
「おお、こりゃ……」

 わたねこさんは大きな目をまんまるくしてお口あんぐり。みんなも気づいてこっちを見てた。

「ど、どうだい?」

 象さんは少し恥ずかしそうにみんなの方を振り向いた。せっかく青で塗ったのに、ほっぺが赤くなっちゃった。

「素敵だ!なあ坊や、俺も色をつけてくれよ!」

 虎さんが立ち上がって拍手しながら飛び跳ねてきた。僕は少し考えてから、太陽さんの周りの光る黄色を掴んでぬりぬり。虎さんは目をつむってる。間にかっこよくギザギザ青も塗りつけて、完成!と思ったけど、大丈夫かな?

「ど、どうかな?」

 虎さんはピカピカ眩しい光の黄色と青のギザギザ模様の体を眺めて、舌をぺろり。僕は唾をごくんと飲み込んだ。虎さんがジロリとこっちを見るので、わたねこさんの手をぎゅっと握った。

「最高にクールじゃねえか!ちょっと走ってくるぜ!」

 お気に召したようで、虎さんはぐんぐん飛び跳ねてどっか行っちゃった。ほっと胸をなでおろすと、他のみんなが「私も!」「僕も!」と駆け寄ってきてびっくり。

 僕は小さい子から順番に、頑張った。亀さんには光る黄色と青を混ぜてなんかピカピカの緑をぬりぬり。たぬきさんには太陽さんの真ん中の赤とお空の向こうの黒を持ってきてこねこね、茶色っぽくしてぬりぬり。なんだかひりひりするみたいだけど気に入ってくれたみたい。燃えなきゃいいけど。その次のキリンさんは恥ずかしがり屋で、虎さんみたいなピカピカは嫌だって言うから、その辺の雲とこねこね混ぜてあげたら、なんとか控え目な黄色ができた。たぬきさんに塗ってあげた茶色にも雲を混ぜたらなんだかいい感じにひりひりもなくなったみたい。だからその二つで点々をいっぱいつけてあげた。これでよかったのかな?

「はあ、疲れた」
「お疲れさん、大活躍だね」

 わたねこさんがふわふわ近づいてきてゴロンと寝っ転がった僕の胸の上に乗っかる。

「みんな楽しそう?」
「うん、お祭り騒ぎさ。それで、おいらのことはほったらかしかい?」
「わたねこさんは、そのまんまが一番素敵だよ」

 そう言うと、彼はまた目をまんまるくして、不機嫌そうに横向いてプシューって息を吐いていたけど、尻尾はふりふりご機嫌そう。頭をなでなでしても逃げていかなかったから、ちょっとは仲良くなれたみたい。それから僕らはまたしばらくお昼寝した。

「たいへんだ!」

 わたねこさんの声で目が覚めた。どういうわけか、自分の尻尾を追いかけてくるくるくるくる回ってる。

「どうしたのわたねこさん」
「みんなが下へ降りちゃった!」

 僕は目をこすりながら辺りを見渡した。見渡す限りのわたうみで、みんなの姿はどこにも見えない。たいへんだたいへんだ、とわたねこさんはまだまだくるくる。

「なにがたいへんなの?」
「おいらたちはあんまり遠くへ行っちゃいけないんだ!ここから離れすぎたら体がふわふわ消えて失くなっちゃう。けどみんな浮かれて自分のそっくりさんを探しに行っちゃった!」
「それはたいへんだ!」

 僕たちは慌ててわたうみに飛び込んで下の方まで潜っていった。やがて顔がポンと雲の下に出た。どこまで行ったんだろう?

「あ!象さんだ!」

 わたねこさんは雲に鼻がひっかかってもがいている象さんを見つけてすいすい泳いでいく。僕は落っこちないように慎重にそっちまで進んだ。わあ、象さんの鼻が雲の下から突き出してるや。

「坊や、そっちから引っ張ってくれ!おいらはこっちから押すから!」

 うんしょ、うんしょ。象さんは雲でもやっぱり重たいな。うんしょ、うんしょ。僕はなんだかどこか引っかかってることに気づいた。よく見ると、象さんの牙が邪魔をしてるんだ。だから僕はその辺の雲を手にとって、牙にぬりぬり。雲は石鹸みたいにあわあわして滑りやすくしてくれた。

「そうれ!」

 一所懸命引っ張ると、象さんはズボボーンと雲の中へ戻ってきた。

「ああ怖かった」

 ブルブル震えて鼻から雲を吹き出す象さん。わたねこさんはやれやれと肩をすくめてる。けどまだ象さんしか見つかっていないから、安心してる暇はないよね。

「いや、象さんが見つかればもう大丈夫」
「どうして?」
「象さんはみんなを呼び寄せるのが得意なんだ」

 あとは任せた、とまだ震えている象さんの上にわたねこさんは乗っかった。僕は象さんに近づいて、安心するまでよしよしとお鼻を撫でてあげた。するとようやく象さんも落ち着いたみたいで、ようし、と息を大きく吐き出した。

「がんばれ、象さん」

 象さんは勇気を出して鼻の先をズボンと雲の下に突き出した。そして勢いよく息を吸い込んだ。ズオーン!ものすごい音!近くの雲がたくさん集まってきた。僕とわたねこさんは雲から顔を出して下の様子を眺めた。

「あ、キリンさんだ!」

 長い首を心配になる程くるくる回転させながらキリンさんが戻ってきた。その次はたぬきさん。結局下に行っても居眠りしていたみたいで、まだぐーすか鼻ちょうちんを作ってる。そして最後に亀さんがスポン、と象さんの鼻の穴に吸い付いた。

 雲の下から鼻を抜いた象さんがふしゅっと亀さんを飛ばして、ようやくみんな雲の中へ避難できた。よかったよかった。あれ、でもまだ誰か足りないような……。

「おーい、助けてくれえ!」

 雲の下から虎さんの声がした。みんな雲から顔を突き出して下を見た。あれ、大変だ!虎さんがもくもくふわふわ広がり始めている。これじゃ象さんが吸い込んだら元に戻れるかわかんない。

「しかたないな。坊や、力を貸してくれ」
「え?いいけど、どうするの?」

 わたねこさんはスポンと雲から抜け出すと、うにょうにょ広がって本当にわたあめみたいな小さな雲の塊になった。

「さあ、上に乗ってくれ!」
「え、でも雲には乗れないってお父さんが……」
「おいおい、今更何を言っているんだ。おいらを信じろ」

 僕は下を見てごくりと唾を飲み込んだ。町が遠い。落ちたら、どうなるだろう。でも、友達だもんね。だから、僕は思い切って雲を抜けて飛び乗った。ぶわん、と弾力のある感触がして、僕の体はわたねこさんから跳ね返った。目の前には遠い町。落っこちる!

 その時、わたねこさんがひょいっと現れて、僕を乗せると虎さんの方へびゅんびゅん降りていった。

「わあ、わたねこさん!」
「どうした?!」
「最高だよ!」

 僕らは笑い出した。それはとっても気持ちいい空のお散歩だった。そして僕は虎さんの元にたどり着くと、こねこねこねこね、体を固めてあげた。眩しくてよく見えなかったから、少し前よりもブサイクな顔になったみたいだけど、顔は自分じゃ見られないから、大丈夫だよね。

「よし、戻るぞ」

 わたねこさんはちょっとしんどそうだった。

「大丈夫?」
「ああ、心配ない」

 でも、心配あった。その瞬間、わたねこさんが薄くなって、僕の体はすり抜けて下へ落っこちていった。

「わああ!」
「坊や!」

 ダメだ、と思ったけど、僕の体はまだ空の中に浮いていた。恐る恐る目を開けると、象さんの鼻に掴まったキリンさんの首に掴まったたぬきさんの尻尾に掴まった亀さんが、頑張って僕の服に噛みついていた。亀さんはなんとスッポンだったのだ!

「がんばれ、がんばれ!」

 象さんが一所懸命引っ張りながら、わたねこさんを抱えた虎さんが頑張って下から押し上げてくれる。よいしょ、よいしょ。みんなで力を合わせて、僕たちはなんとか雲の中にたどり着いた。

「ありがとうみんな!」
「まあ、俺のおかげだな」

 虎さんが何故か自信満々にそんなことを言うから、僕たちは目を丸くして彼の方を向いた。僕が作り直した虎さんは、きっとキメ顔だったのだろうけど、なんだかへんてこな顔になってしまっていた。僕たちは緊張からとかれたせいか、一斉に笑い出した。虎さんはよくわからないけれど、みんなが楽しそうだからいいかと思うことにしたみたいだった。それからクシャミをすると、いつもの虎さんの顔に戻った。

「わたねこさん、大丈夫?」
「ああ、ちょっと疲れただけさ」

 僕はわたねこさんを胸に抱いて、優しく撫でた。わたねこさんは気持ちよさそうに眠ってしまった。元気になればいいけれど。それからみんなを振り返る。僕を助けるために無理をしたから、みんな色が落ちて真っ白に戻っていた。だけどもう、真っ白でも、僕はみんなのことを見分けることができた。

 それから雲の上の方までみんなで泳いで戻ったころには、わたねこさんも元気になって自分で泳ぐって騒いでたけど、僕がぎゅっと抱きしめたら、諦めたみたいにあくびをひとつして大人しくなった。

「さあ、そろそろ帰りなよ」
「わたねこさん」

 もうすぐすっかりお日様が昇って、わたうみもすっかり消えてしまう。せっかく友達になれたのに。

「泣くなよ、また会えるさ」
「本当?」
「だって、おいらたち、友達だろ?」

 僕はわたねこさんを見た。わたねこさんはいつもみたいにそっぽを向いたりせず、こっちを向いてにっこり笑っていた。

「うん!」
「今度は、部屋に遊びに行くよ」

 僕たちはもう一度ぎゅっと抱きしめあった。わたねこさんはとってもあったかくてふわふわで、それで、僕は眠たくなっちゃって、なんだか笑われてるみたいな気がしたけれど、そのまま眠っちゃった。

「こんなところにいたのか」

 目を覚ますと、お父さんがいつものハチマキを巻いて、僕の頭を撫でていた。

「おはよ」
「風邪ひいたらどうするんだ。さあ、朝ごはんだよ」
「僕ね、わたうみの中を泳いでたんだ」
「そりゃいいね、今度はお父さんも連れてってくれよ」
「友達もできたんだよ!」

 僕は朝ごはんを食べながら、わたねこさんのことをお父さんとお母さんに教えてあげた。でも、こっそり温泉に入りにきてることは、ちゃんと秘密にしておいた。友達だからね。

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