人生に刺激は必要か

 日本は平和である。少なくともTVでは連日緊急性の低いニュースが流れ、多くの日本人は緊急の生命危機に瀕することも無い。例えば誰かが明日攻めてきて、銃や剣を持って戦わなくてはならないなんてことにはまずならない。将来的には分からないが、少なくともここ数年では起こらないはずである。日本の報道自由度が低いから日本人の危機感が薄いなんて説もありそうだが、本当のところは僕にはわからない。

 さて、そんな平和な世の中で生きていると、何故か心が疲弊してくる。人間はわがままな生き物である。自分は何故生きているのか、自分はどうあるべきかといった疑問に心を悩ませ、死んでいく人も多いわけである。人間は本来危機的な状況にいる方が自然なのかもしれない。富士急ハイランドがずっと人気なのはそういった理由なのかもしれない。

 ヒトは非日常を求めているのだろう。現代人には脳内麻薬が分泌される状況が必要なのである。脳内麻薬が出る環境というのはどのような場か。本来は自分が主体である状況下での非日常な体験がそれにあたるのだと思う。テストで高得点を取ったり、部活で県大会に行ったり、自分が主体である非日常は脳汁を出してくれる。そこには努力や運が必要であり、確実に得られるものではない。ただ、現代では様々なエンターテインメントでそれが代替可能であるようになってきた。スポーツ、小説、ゲーム、アニメ、音楽...色々あるが、自分が主体ではないのにもかかわらず脳内麻薬が分泌される。必要な対価は金である。金を出せば脳汁を出せる現代は最高だと思うし、僕も積極的に利用している。

 しかし、たまにそれでは満足できないことがある。コンテンツを消費しているだけでは満足できないことが出てくる。自分が主体となって非日常を経験したくなってきてしまう。その非日常はいろいろな種類があるし、人によっても異なる。ただ、程度に依れど限界ギリギリを攻めた方が脳汁も出やすいと思う。僕の場合そこで問題が一つあって、自分に甘いので限界ギリギリを攻めるのが大体できない。そこに矛盾が生じるわけであるが、その解決方法としては限界ギリギリを攻めざるを得ない環境に身を置くことだと思う。一緒にいる友人が限界を攻めるタイプの人であればそういう生活が送れるだろうし、なかなかカオスな地域に旅行すれば色々危機的な体験ができるはずである。富士山に登ればそれなりに限界を迎えそうである。

 というわけで、人生は意識しないとマンネリ化しやすいなと最近思った次第である。ちなみに僕は意識が低いのでよくマンネリ化する。

 

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