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与えるオッサン


関東の地方都市の駅から歩いて5分、人通りの多い商店街近くに居を構えたその居酒屋では、オッサン達が昼間っから酒をかっ喰らって競馬に興じたりパチンコで勝った負けたと騒いでいるのが日常茶飯事だった。三枚扉の引き戸のガラスには地域の少年野球チームのメンバー募集や、地元出身の演歌歌手とかお笑い芸人のライブのポスターが貼ってある。店に入るとカウンター席だけで立ち食い蕎麦屋ならぬ立ち飲み屋。椅子は脚の長いパイプ椅子が何脚かあって座れるのは早い者勝ちだが、女性や年配のお客さんには自主的に誰かが座って下さいと声をかける。店側の徹底したサービスより、譲り合いの精神。
そこで俺はアルバイトしていた。注文を聞いて配膳するいわゆるホール担当なのだが、別にテーブル番号も伝票もないため、満席で忙しい時は何処から頼まれたオーダーなのかわからなくなるのはしょっちゅうで、自分の要領の悪さも相まってよくお客のオッサン達にもツッコミをいれられていた。
元はラーメン屋の居抜きで開業したらしい店は、壁はタバコで煤けた色になっているし(店長が市に喫煙所許可をもらってる)、毎日掃除をしていても中々清潔とは言い難い。でもそんな昨今の飲食店の「きちんとした」感からは程遠いその店だったからこそ、俺は何年もそこで働き続けることができた。働く人もお客さんも、ユルかったのである。

その日も俺はいつものように帰ったお客さんが半分以上残してしまった煮物をこれ幸いとばかりにつまんでいると威圧感のある低い声が飛んできた。

「おい、お前、俺の目の前でそんなみっともないことしてんじゃねえ」

常連のKさんだった。歳は70前後くらいだが背丈は170代後半はあるだろうか、体格が良い。格好はいつも決まってニット帽を被っていて、くたびれた青い化繊のジャンパー。建築現場の現場監督のような仕事をしているらしく、顔はいつも浅黒く焼けていた。

俺が呆気に取られて
「すいません、腹が減っちまって・・・」と言うと、
「ならどうして俺や他のお客に『ご馳走して下さい』の一言も言えねえんだ」
「え?そんなこと・・・」
「お前、何が食いたいんだ?」

お客さんの残り物をつまみ食いするのは店長も黙認していて、そんなことを言われたのは初めてだった。
当時、飲み屋のつまみのメニューがあまり食べ慣れていなかった俺は唐揚げを頼むと、厨房から店長が気を利かせて大盛りにしてくれた揚げたてをKさんの払いで、勤務中に食べさせてもらった。常連のお客さんからお菓子なんかの差し入れがあることはあったし、Kさんとは一応顔見しりではあったが、こういう形で『ご馳走になる』というのも初めての体験だったかもしれない。

居酒屋や夜のお店で「ご馳走する」「ご馳走される」と言うと、昔の俺のように居酒屋やバーに通う習慣のない人にとっては不可解な文化かも知れないが、わかりやすく言えば、いわゆる「あちらのお客様からです」をお店の店員さんにやるということだ。居酒屋の店員や、コンパニオンの女の子に、客側の支払いで、店で提供している酒や料理を振る舞う。(キャバクラとかの水商売のお店は大体そのシステムで利益を上げている)古い映画やドラマのセリフにありそうな「おう、兄ちゃん!男前だねえ、一杯どうだい!?」なんてワイルドなやり取りもこの類型だろう。

俺は最初、そのシステムが全く奇妙に思えてならなかった。だってそれって「ご馳走する側」、もとい奢る側にメリットがなくない?と。
そういうのっていわゆる「男の見栄」みたいなもんで、例えばキャバクラで一本数千円する焼酎のボトルなんて、業務用スーパーに行けば4分の1くらいの値段で買えてしまうのだ。不合理の極み、とKさんに唐揚げを食わせてもらうまでは思っていた。

100円で仕入れた鶏肉を500円の唐揚げとして売る。1000円で仕入れた焼酎の酒瓶を3000円のキープボトルとして売る。
意識高い気取った人達はこのことを「付加価値」なんて呼び方をするかもしれないが、俺はこれを「優しさ」だと思っている。
おつまみのポテトサラダが腹一杯食いたけりゃ、近所のスーパーで買ってくればいいんです。酒でもなんでもそうだろう。でもそこを敢えて少し余剰の金額を払って、外食したり、店員にご馳走したりする。それは経済的なお金の循環だけじゃない、この社会の「優しさ」の循環だ。

俺に唐揚げを食わせてくれたKさんもそうだろう。最初にご馳走になった時、Kさんは「そんなみっともねえこと、二度とすんなよ」と言って、その後店に来るたびに、俺に何かを食わせてくれた。「男の見栄」という部分は確かにあったかも知れない。俺の他に働いている女の子にもしょっちゅう、果物やお菓子の差し入れをしていたが、「お前にはやらねえよ」と言いつつ、なんだかんだで俺にも差し入れの分け前をくれるのである。ツンデレである。

Kさんの風体は何処にでもいるようなオッサンだったが、その精神は、ミュージカル『レ・ミゼラブル』で主人公ジャン・バルジャンがかつて荒くれ者だった頃、盗みを働こうとして、「貴方が必要だったなら、この銀の食器も持ってお行きなさい」と言った神父と同じ気高さを感じた。居酒屋で客の残り物を漁っていたゴブリンのようだった俺が、人間らしさにまた一歩近づくきっかけを作ってくれたのだ。

漫画『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』の主人公、黒木智子は高校の先輩である今江恵美と卒業式の別れの後、先輩から受け取っていた優しさに気付いて涙するシーンがある。

最初から最後まで 与えられてばかりか・・・
来年は与える側に なれるとは思えんが
今 卒業できる資格は どう考えてもないな・・・

このエピソードを転換点として同作は漫画としての作風がすさまじい変遷を遂げる(が、それをガチで考察して語ろうとすると本が書けるくらいの気合が必要なのでまたの機会に)。
自分に気付かない所で優しさを受け取っているというのは誰しもの人生にあり得る側面だ。俺が幸運だったのは、その優しさを目に見える形で与えてくれた人がいることだ。店長やKさんをはじめ、数々のオッサン達が人生に惑っていた俺を応援してくれた。

技術が発展して便利な社会になるにつれ、人を喜ばせたり、何かを『与える』側に回るのはこの先どんどん難しくなっていくのかもしれない。世の中は、空腹のときに食べ物を差し出されて狂喜乱舞する俺のような単純な人間ばかりではない。しかしだからこそ俺はかつての俺のような至らない人間、何処か抜けている人間に対して寛大でありたいと思っている。この先、自分の後輩や若い奴らにメシでも軽く奢れるような器の大きな男になりたいと思っている。世の飲食店も今は大変なことになっているが、ウチの店は常連のメンツでなんとか席を埋めている。病気になったら一発でお陀仏じゃないかというジジイもいる。そんな命知らずな酒飲み達が、この店が潰れちゃ困ると言わんばかりに集まってくる。それが優しさとか、人情の力ってものだと思う。

その世界の優しさの循環に、俺も入れるだろうか、どうすれば与えるオッサンになれるだろうかと、ずっと考えている。

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