つわりで入院した話 #重度妊娠悪阻
妊娠に気づいたのは、5週目のこと。
そして翌週の6週目から、私のつわりは始まった。
変化をまとめると、こんな感じ。
6週〜 匂いづわり、食べづわり
7週〜 食欲が著しく減退
8週〜 吐きづわり、点滴通院
12週〜 重度妊娠悪阻と診断され大学病院に入院
初めてつわりに気づいたのは、前日に作り置きしておいたガパオをレンジで温めてレンジの扉を開けたとき。
むわっとしたガパオの香りに「うっ」と気持ち悪くなり、一瞬で食べられないことを悟ったのが始まりだった。
夫も「ついに!つわり!?」となぜか嬉しそうにしていたし、私も「うわ〜つわりってこんな感じなんだ」とどこか他人事で嬉しさもあった。
でもこれ以降、日々食べられないものや匂いで無理になってしまうものがどんどん増えていき、ベッドかソファの住人に。
ちょっと病院や区役所に行くだけでも帰宅したらソファに倒れ込み、その後は全く動けないという日々。
↑当時のTweet。
ここから積極的に食べられるもの、なんてものはすぐなくなり、8週目には既に体重が8kg減、3週間で8kgですよ、普通ならありえない。
この頃には少し起き上がるだけでも心臓がバクバクし、体力もとんでもないスピードで奪われていった。
それなのに、ほとんど何も食べれず飲むのも辛い状態で、ケトンという飢餓状態を表す数値も+4に。
これぐらいだと脱水の可能性もあるので、点滴に通わないといけない。
↑点滴に通うことになったときの夫とのLINE。
あのときの先生へ。結果的にピークじゃなかったよ。
何も飲まず食わずでただ一日一日を吐きながら苦しみながら過ごし、週2回ほど命がけのようにして点滴に通う私を見て(お迎えにも何度も来てもらった)、夫は「大きい病院に転院しよう、それで入院させてもらおう」と言った。
当時、夫は毎日私のサポートと全ての家事を在宅ワークしながら文句一つ言わずにやっていたけれど、自分が生きるのに精一杯だった私はつわり時期の夫の顔はほとんど思い出せない。
でも、つわりの私を見ていて本当に辛かった、と振り返って言う夫の顔は、あまり見たことのない顔だった。
結局、ご飯が美味しいし評判もいいからここで産もうと決めていた近所のクリニックは諦め、紹介状を書いてもらい、近隣の大学病院に転院することに。
でも、検診日に行くと先生に「つわり、もう少しすれば落ち着くと思うから、頑張ってね」と言われ、問診は終了。
診察待ち中にも朝飲んだドリンクを吐くほどで、ここまで来ても入院はだめなのか、と落ち込みました。
幸いなことに赤ちゃんは元気で成長しているようだったので、それだけが私の救い。
でも「赤ちゃんが元気なら私は我慢する」でずっと我慢していたのは、結局良かったのか悪かったのかで言えば悪かったのだと思う。
大学病院の検診後は、外出したせいか吐き気がひどく、水を無理やり飲んで吐いてみたり、あとはもう丸3日ぐったり。
週明け、12週目に入ったばかりの月曜でしたが朝から何も口にできず、とりあえずベッドからソファに移動しただただ呼吸をして過ごしていたところ「あまりにもぐったりしているから」と夫が大学病院に電話、急遽診察してもらうことに。
お昼に夫と病院に向かうと、すぐに尿検査、体重測定→診察に。
コロナ渦で今までは待合室止まりだった夫も初めて診察室に呼ばれた。
前とは違う、女性の先生いわく「赤ちゃんは元気だけど、お母さんがこれだけ(妊娠前から-12kg)体重減っちゃうとね。すぐに入院しましょう」。
-8kgとばかり思っていたけど、またそこからどんどん体重が減っており、この日には-12kgになっているとは。
自分でも驚き、そして入院して常時点滴してもらえるから死ぬことを心配することはないんだなとようやく安堵した。
私はすぐに入院前のPCR検査をし、車椅子が来て(!)診察室からそのまま病棟へ。
夫は入院の荷物を取りに帰宅、帰路でとても心配していた夫実家と私の実家に連絡をしてくれた。
私の実家はのんきなものだったけど、夫のお母さんは「なんでもっと早く入院できなかったの、そんなに痩せちゃって……」と心配して泣いてくれたそう。
その話を聞いて、結婚したての嫁のことをここまで思ってくれるのか、とその気持ちが嬉しくてちょっと泣いた。
その後も夫に入院用のパジャマやらカロリーメイトやらを預けてくれて、本当に助かった。
そこからほぼ丸1ヶ月入院することになるのですが、その間楽だったかと言われると全然そんなことはなく……家で苦しんでいるのと同じ状況が続き絶望。
点滴と何か生命の危機があったら、赤ちゃんに異変があったら、すぐ見てくれるという安心感は今思えば最強ですが、夫にも会えず吐き気止めも効かず、苦しい期間が既に2ヶ月続いていたということで徐々に精神が蝕まれていく感覚だった。
↑夫に八つ当たりしたときの謝罪LINE。思い出しても辛い。
入院中は24時間点滴をし、気持ち悪い瞬間は天井を見て過ごし、吐き、夫とLINEし、ごくたまにどうしても参加必要なMTGに談話室から参加する生活。
暇なときはiPhoneで漫画を読んだり、カメラロールを整理して過ごした。
またつわりには波があるようで、入院から3日後あたりは少し良くなったか?と思いお粥を勧められ食べてみるも、翌日に撃沈。
胃がびっくりしたのかまた何も受けつけられなくなり、そこから「お粥なんて食べなきゃよかった」という後悔と地獄の吐き気が続いた。
その後も、良くて口にできるのはルイボスティーひと口とグミ1〜2粒程度。
夫にいろんなものを差し入れてもらっても、先生にプリンを勧められても、食べられないものはどうしても食べられない。
ベッドの周りの片付けもできずシャワーにもあまり入れず、看護師さんにはとてもお世話になった。
↑シャワーに入るときは、点滴を抜いてグルグル巻きに。
回復の兆しが見えてきたのは、安定期と呼ばれる16週に入ってから。
助産師さんに「ご飯よりパンの方が食べられる人いるんだよね。パンとか食べてみる?」と聞かれ、入院食の食パンを一口食べてみると、久しぶりに「食べられる!!」という感覚に。
夫にサブウェイのサンドイッチやケンタッキーも差し入れてもらい(それなら食べられそうな気がした)、それも少しずつ食べた。
本当に本当に、嬉しかった。
入院食(食パンだけだけど)が食べられるようになり、体重も減ってない(増えてもないけど)ということですぐ退院が決定。
ちなみに、退院前の血液検査で甲状腺の数値異常が判明。
もともと少しだけ高かった甲状腺の値が、妊娠ホルモンとつわりのせいで一気に上がり、そうすると重度妊娠悪阻になる可能性も高まるよう。
つわりが落ち着くとともに甲状腺の数値も落ち着いたので問題なしと診断され、その後受けたバセドウ病などの検診も問題なしだった。
でも、甲状腺がつわりと関係あるなんて知らなかった……!
ちょうど退院した日はクリスマスだったので、夫が張り切って私が食べられるものを用意してくれた。
久しぶりの夫と我が家、そして美味しそうと思えるご飯に、ガリガリだけど少しだけ丸くなってきたお腹。
こんなに幸せなクリスマスはなかった。
今まで甘えて生きてきた私が人生で一番辛いと思ったつわりだったが、それを乗り越えて少しは強くなれたと思う。
でも、経験してよかった訳では当然ない!!!!
いつかつわり・重度妊娠悪阻の特効薬が開発されますように。
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