”大切”が増えて気付く自分の性分の断片

(日記のようにたまに少しずつ書き足していくので「あ、また増えている」とお気付きになられる方が現れたら嬉しい限りです)
2020/10/27/00:38
私は普段誰かと常に一緒に行動したり集まって何かしたりするようなことは好かない。自分の好きな考え方で自分が求める方向へ自分の思うままに自由に動きたいからだ。自由に生きたいからだ。要は広義の我儘ってやつである。多分。

そんな私にも大切な友達は複数人存在し、なんだかんだで様々な局面でお世話になってきたし、何より一緒に過ごす時間がとても楽しかったり面白かったり幸せだったり穏やかだったりするから、彼ら彼女らのことが大好きなのだ。こんな月並みな言葉でしか感想が出てこないくらい、今脳が眠りそうになっている。という言い訳くらいは許されるかな。

大切な人はすぐ傍にいるとは限らなくて、それは物理的な距離だけじゃなく、しばらく連絡を取っていなかったりもう二度と会わないであろう人だったりして、そういう人たちとは接触が無いとしても、共に過ごした時間や空気感、それらを何らかの糧にして私が前へ突き進む、そんな駆動力もしくは原動力みたいなものかもしれない。あるいは今の私を形作ってきた人たちと言ってもいいかもしれないね。

私の恋愛の変遷は半年ごとにクルクルと移り変わってきた。周囲の友人も母親も笑ってくれる。けれどもう本当に終わりにした。したいではなく、した。自分の意志で。

大切な人が増えた。けれどその分、心配事も増えた。
彼が散歩に行ってくるとき、「車に轢かれないように気を付けてね」と毎回言う。それは家族に対しての声かけと同じである。大切な人を失いたくないという我儘なのだ。勝手な感情なのだ。でもそれを否定はしない、自分を甘やかしている点の一つである。他人を愛する自分を許しているのかな。

2020/11/25/20:43
ここ一週間くらいだろうか、彼と毎日のように喧嘩をしていた。毎日のように喧嘩、というフレーズを使う日が来るとは思わなかった。この数日をふりかえってみると、いや昨夜その喧嘩が終焉を迎える直前に、こんなふうに喧嘩できることの幸せを想った。彼だからだ。彼と一緒に過ごせたから、喧嘩できた。喧嘩してぶつかり合っても、簡単に壊れないくらい、彼は強くて優しい人だから。安心してぶつかることができる人だから。彼は既に、私にとって不可欠な存在になっていた。

2020/11/28/19:52
今日、彼は遠くのお姉さん(勿論インド国内。インドはでかい笑)を訪れるために長旅をしている。出発前に突然連絡してきた彼の発言は私の胸を詰まらせ、泣かせた。でも、彼に聞こえぬよう静かに耐えた。

いつも君が僕の部屋にいるわけじゃないのに、この部屋を出て遠くへ行くことが寂しいと感じてしまう。まるで君が本当にずっとここにいたみたいに。きっと君に告白したのも毎日の電話もこの部屋だったからだね。

彼には言わなかったけれど、私も同じ経験がある。実家を出てこのアパートに来た時、実家の自室で電話していた人との思い出にはいつもその部屋の風景、匂い、空気感が随伴しているということに気付いたのだった。今ではもう懐かしいどころか思い出す瞬間も殆どなくなったが。

少し話が変わるが、音楽に関しても似たようなことが言えるような気がする。前提として、私自身はある曲の情緒とそれを聞いているときの自分の情緒が必ずしも一致しない。というかほぼ一致しない。そういう聞き方をする習慣を持っているのだ。この習慣をベースとしてどんな現象が起きるかというと、ある時期に聴いていた曲を再び聴いて鮮明に思い出すのはその当時の出来事、自分の当時の感情であるということ。簡単に言えば、その曲が悲しい曲だとしても当時が楽しい思い出に満ちて入ればその思い出だけを脳裏に思い浮かべるだけなのだ。明るい曲だとしても失恋した時期に聴いていた曲なら当時の悲しい気持ちを思い出す。そういうことなのだ。なんなら匂いも一緒にくっついてくる。音、匂い、風景(聴覚、嗅覚、視覚)これらは全て1セット。脳はよくできている。各部位の機能的統合が上手くいっている証拠であろう。

私は、曲の情緒に全くと言っていいほど左右されない聴き方、あるいはインプットの仕方を選んでいる、もしくは無意識にそうしているのだろう。

おそらく、同じような方は少なからずいると思う。

ここまで書いて再確認したが、先の例と何が同じなのかというと、前者は「場所」に「その場所で接点を持っていた人の情報」が付随していて、後者は「曲」に「その曲を聴いていた当時の環境や情緒」が付随しているということである。あれ、対応関係がおかしい?間違えているだろうか?混乱してきたのでまた後でゆっくり考えたい。つまり放置。

おやすみなさい。どうか良い旅を。

2021/01/21/22:18
先週、もうだめになっちゃうんじゃないかっていうくらいの大喧嘩をした。とても焦っていた。焦って、気持ちを落ち着かせることに全集中して、その結果、なんとか君との糸をつなぎとめたような気がした。君は分かりにくい。私は愛しているといいすぎなのかい?なぜ言いすぎちゃいけないんだい?愛している人に言えずに、誰に言うんだい?人生はいつ終わるかわからないのだよ。愛している人がいて、しかもその人に伝えられる状況にあるのなら、遠慮なく愛していると伝えたい。

そしてそういう私は、わかりやすく愛されたい人なんだなぁと。そのまんまでしょ?愛していると正直に伝える、そして自分もそんなふうに愛されたい、そう、私はわがままな21歳。恋人に甘えすぎてしまう21歳。早く大人になりたい、とまだごねている21歳。


210426

私ひとりだけ、ずっと君が好きだったよ。不安定でごめんね、いっぱい迷惑かけたね。本当に面倒くさい人間だろうけれど、君は完璧だったよ、私にはね。ありがとう。

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