見出し画像

俗っぽいもの

これはもしかしたら多くの人に共通する普遍的なことなのかもしれないけれど、自分は、(いくつかの”自分らしさ”と自分が認識するものや好むものを除いて)多くの部分が日々絶えず変化して生きている気がする。ここは譲れないと思っていたものも、いとも簡単に変わることだってある。それくらい、日々揺れ動き、発色を変える生き方な気がする。その微妙な変化に真っ先に気付くのは自分だけなのか、周囲の人間なのかどうかは、定かではないが。たった数ヶ月、1週間、1日、数時間、数秒で変わることもある。

最近、ようやく、”俗っぽい”(と自分自身で定義してきた)ものを楽しんでいる自分を素直に認め、許し、受け入れ、そんな自分自身を眺めるのも楽しくなった。特に、映画がそれである。以前は、「映画なんて」と思っていた。「映画なんて、暇な人が観るものでしょう」


今。私は日々忙しい。しかし、楽しい。週末はアマゾンプライムで映画を観るのが日課だ。日に2本以上も珍しくはない。暇じゃないはずなのに、つい観てしまう、いや、観ざるを得ないと言っていいほど、映画に心癒される生活なのである。

ある映画から直接、あるいは映画をきっかけに学ぶこともあれば、話のタネとなり新たな友人ができることもあった。一人でくつろぎながらゆったりと楽しむ映画の時間は、思っていたよりも好みだった。それに気づいたら、また少し楽になった。気がする。

逆説的な言い方になってしまうが、私なりの言葉で言い表すと、「世の中の人々はたぶん、子供の頃わたしが思い描いていた以上に俗っぽいことをしながらも、別の時間に自分独自の道を切り開く進捗を生んでいる」ことがなんとなくわかった気がした。俗っぽいことって大事だね。なんて分かったようなことをいう22の小娘

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?