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日記など






日記 2024年4月23日



ありえない。もう限界だ。こう書くとさぞ酷いことやとんでもないことに巻き込まれているのではと感じると思う。そう僕の住んでいるところでは四日も雨が続いているのだ。なんだそんなことかと思う人もいるだろうが僕にとっては大問題なのである。

天気は僕の心をかなり激しく左右するのだ。雨の日のどんよりした雰囲気と外の暗さはどんどんと僕の心をネガティブに染めていき気力はすっかり底をつく。つまり何日も雨が降り続くというのは心にとって死活問題なのである。

そのなかでも一番の問題は散歩が出来ないこと。僕にとって太陽の下で自然のエネルギーを受けながら散歩することはストレス解消であり僕のとっ散らかった心を整理してくれる最も大切な趣味なのだ。しかし雨幾度となく邪魔してきて出来ないでいる。

最初は久しぶりの雨で風情があった雨音もこうも何日も聞こえてくると腹が立ってくる。建物の硬いところに当たって「バチッ」と大きな音を立てる雨音、じゃぶじゃぶと人工物を流れていく雨水がとても不快に感じてきたのは雨が降り続いて四日目だったと思う。天気予報が正しければ昼からは晴れだと聞いているのでそれを期待している。燦々たるあの太をを小さい頃にクリスマスを待っていたあの時のようにまだかまだかと雨が降り注ぐ空を睨みながら待ち望んでいる。


決心


今僕は何度目かの重い腰を上げて日記をデジタルにも記録しようと決心しパソコンでその日の考えたことや思いを綴っている。前は三日坊主にも到達しないでやめてしまていった。しかし今回は前回や前々回の決心よりも硬いような気がするし継続できると自信がある。これは根拠のない自信ではなくちゃんとした根拠がある。

前回はまだ迷いがあった。自分の中でどうしようもないくらい複雑になった悩みそれに優柔不断な性格特性とこれからの人生をどうしたらよいかという迷いがあった。悩みは時間術のこと学習法のことや読書法のこと夢中になれるものがないことである。迷いはどう時間を使っていくか?どう生きていくかという壮大な迷いもあった。

これらの悩みが完全に解消したわけではないがかなりシンプルになった。そして自分がどうして悩んでいるかも分かり対処法もわかった。だから自分の中で頭を悩ますことがほとんどなくなり選択もシンプルになった。そしていろいろなものを諦めてあわよくばという期待を少しずつだけど時間の流れと一緒に消えていったからだと思う。

一部をnoteにこうしてメモとして記載していくことにする。

身体性


来る日も来る日もスマホで毎日ゲームをやっていた。楽しいし面白い。気づけば時間は過ぎていて今日も一日が終わる。とても充実しているような気がするがなんだかもやもやする。有名な芸術家は「充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらしてくれる。」と言ったとかなんとか。どうも幸せな眠りにつけそうにないので少しだけ心の声に注意を向けるとどこか空虚な気持ちが漂っている。満足していない自分が存在することに気づく。

どうしてかなと昔のことに考えをめぐらせてかなりの時間過去の時間を注意深く観察していると分かったことがあった。僕は昔から外や自然の中で遊ぶことが好きだった。サッカーや野球や釣りや鬼ごっこなどは服が汚れることなんてお構いなし。農作業に夢中になり穴をこれでもかとアホみたいにがむしゃらに掘ったことを思い出して一人でにやける。アナログゲームも好きでボードゲームやカードゲームは大好きだったし夢中になった。あの物理的なものを操作するたまらない感覚にとりこになった。しかしデジタルのゲームにはアナログゲームほどの関心を示さなかった。過去を見渡すとこれらのことが分かった。

ここからわかることは何だろうか?灰色の脳細胞が自慢の僕はしこたま考えた。結論が出た。それは身体性を伴うことが大好きでありそこに満足感を感じるということである。常々外に出るとゲームをやっているときよりも精神が何かで満たされるような感覚があった。掃除や料理などをしていると心が満たされていた。これは身体性からの刺激で心が満たされていたのだと思う。

僕はこれからスマホとの距離を見直そうと思っている。ゲームも楽しいがやめようと思えば別にすぐにやめれるものだ。暇つぶしにやっていたものである。半強制的にドーパミンを出させられてあたかも充実した時間を過ごしたと勘違いするものに僕はお別れをする。なるべくアナログなどの時間を増やすことを意識していく。どうやら僕は自然や外の中で動いたり体を動かしたり物理的なものから真の偽りのない満足感と充足感を感じるみたいだから。

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