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東川スタイルを感じに行ってきた。文化を軸に愛に溢れたまちでした。

壱岐市が連携している慶應義塾大学SFC研究所の玉村教授にご縁をいただき、北海道東川町に行ってきました。(当然、地方創生に関する自治体連携や、大学
・企業等との連携、事業化手法など学びに)

セントピュアⅡ前にて

北海道東川町、旭川空港から車で10分ほどにある人口約8,500人のまち。
写真文化首都「写真のまち」
北海道の真ん中、大雪連峰「旭岳」の麓に広がる天然水100%のまち。
3つの道がない(鉄道、国道、水道)まち。

写真文化首都宣言にはじまるまちづくり

「自然」と「人」、「人」と「文化」、「人」と「人」それぞれの出会いの中に感動が生まれます。

そのとき、それぞれの迫間に風のようにカメラがあるなら、人は、その出会いを永遠に手中にし、幾多の人々に感動を与え、分かちあうことができるのです。 そして、「出会い」と「写真」が結実するとき、人間を謳い、自然を讃える感動の物語がはじまり、誰もが、言葉を超越した詩人やコミュニケーションの名手に生まれかわるのです。

東川町に住むわたくしたちは、その素晴らしい感動をかたちづくるために四季折々に別世界を創造し植物や動物たちが息づく、雄大な自然環境と、風光明媚な景観を未来永劫に保ち、先人たちから受け継ぎ、共に培った、美しい風土と、豊かな心をさらに育み、この恵まれた大地に、世界の人々に開かれた町、心のこもった"写真映りのよい"町の創造をめざします。 そして、今、ここに、世界に向け、東川町「写真の町」誕生を宣言します。

1985年6月1日 北海道上川郡東川町

https://higashikawa-town.jp/portal/photo/panel/16

この宣言文だけで、惹き込まれてしまう。
こんな素敵な宣言が、1985年(まだ生まれてないや^^;)

写真甲子園

賛否両論、紆余曲折ありながら続いている写真の町の取り組み、学生がまちに、田畑に訪れ、切り取る景色、人、暮らし。
いつしか、町の人も被写体になることで、生産者として、商売人として、それぞれの立場でプライドが育まれていっているそう。

東川町文化ギャラリー

ちょうど第4回写真の町東川賞を受賞された植田正治さんの写真展「植田正治を変奏する 田中 仁 RESEARCH/TRIBUTE」が開催されていました。写真を通して、伝わる文化を体感する空間でした。

せんとぴゅあⅠ

1961年に建設された東川小学校を改修し、ギャラリーやコミュニティカフェやラウンジなどをはじめ、全国初の公立日本語学校「東川町立東川日本語学校」がある施設。2階の教室では、多くの外国人留学生が地域の一員として、学んでいました。

ギャラリースペースも素敵

まちの至る所に芸術が溢れていて、すごく心地いい

織田コレクション

せんとぴゅあⅡ

東川町が有する「写真文化」「家具デザイン文化」「大雪山文化」など世界に誇るコンテンツ展示スペースや5万冊の図書を収納する図書機能が融合した複合交流施設です。

グリーンヴィレッジ東川

住宅地が少ない東川町。人口は増加してるけど、家を建てる土地がない(農地が多くて、宅地がない)役場が計画的に整備して、分譲しているそう。東川らしい街並みを守るために、景観条例も定められています。

絵に描いたような空間
家と家の間には緑地があって、自然と交流も生まれてる

東川地域交流センター「ゆめりん」と併設の東川小学校

さすが、北海道。広い。空間が贅沢すぎる。こどもたちも伸び伸びと走り回ってました。併設の交流センターには、安田侃さんのオブジェ。旭川家具。自然体で、身近に芸術や文化がある環境って、言葉にはできない良さがある。

隈研吾氏設計のサテライトオフィスKAGUの家

隈研吾さんも東川スタイルに魅かれ、連携されてるのだそう。KAGUの家の1棟は設計事務所にもなっていて、4名ほどスタッフの方がいらっしゃいました。関わりたくなる町ですし、人と人の間に新しい価値が生まれて、町がどんどん洗練されていっている。そんな印象を強く受けた施設。

構造が家具になってるらしい。1棟あたり、、、

北の住まい設計社

市街地から少し離れて、白樺の林や、葡萄畑を横目に車を走らせると廃校になった小学校を使った家具工房。ショールームやカフェ&ベーカリーも併設。(DEAN&DELUCA?って思うぐらいオシャレすぎる商品がたくさん。)
オーナーさんは、東川スタイルの伝道師というか、ここを訪れることで、共感して移住する人も多いのだとか。

校庭に自分達で植樹したそう。元々あった森のような素敵すぎる空間。

まだまだ、たくさんあるのだけれど、今はこの辺まで

東川町役場は、壱岐市役所のベンチマークだった

滞在中、たくさんの職員の皆さんが、案内や事業説明、意見交換をしていただきました。30歳前後の主任級の方から、課長、副町長、町長まで。

印象的だったのは
松岡町長の「出会いの数に比例して、まちが元気になる。」
だから、職員は東川のために必要と感じたら、その人に会いにいくために出張にどんどん行かせる。

職員の皆さんの「”東川らしさ”これを常に意識しています。」
町長はじめみんなが意思疎通できているので、自分の裁量で物事を決めることができる範囲が明確になっている。だから、東川スタイルのために、必要だと思う人に会いにいくし、スピード感もってプロジェクトを創っていくことができる。

課長さんの「課長同士の横連携できているので、分野横断的な案件も問題ない。」議会には2か月に1回ぐらい、これから取り組んで行きたい構想段階のものなども説明する時間を作っていて、議会も東川スタイルという共通目的があるので、協力的、一緒にまちづくり。

そして皆さんが、地方創生等の交付金制度、地方債、特別交付税(省令に定められるルール分)の知識を持っていて、ふるさと納税、企業版ふるさと納税などの資金調達手法も有効活用している。東川スタイルのために必要な施設は、有利な財源で一般財源負担を少なく整備するし、官民連携で、民間資金も有効活用している(PFIっぽい感じ)

町役場だから、ジョブローテーションで、オールラウンダーが育つ。その人財が、「東川スタイル」という「文化」のもと、能力を最大限発揮している。簡単に
いうとそんな感じなのかな。

皆さん、芯があって、地域を愛していて、すごく楽しそうでした。

僕の「壱岐なみらい研究所」での研究テーマは、共創人財の育成。離島公務員をアップデートして、オモシロイ市役所を創っていくことで、共感の連鎖で地域が盛り上がっていく。そんな仕掛けづくり。東川町の職員の動き方は、まさに、目指してる姿でした。

さいごに

じつは今、壱岐らしさ。壱岐スタイル。とでも言うのか。「共通言語」となるビジョンを創りたいなと動いていたところで、この東川町との出会いでした。
皆さんが共感して、大枠では同じ方向を向けるような未来像(まずはたたき台になるものを)
多様性があっていい。道が違っていい。それぞれの色でいい。一人ひとりが自分らしく光ってたらいい。結果、壱岐島が魅力的で、豊かに暮らし続けていける社会になっていく。
目先の不安だけじゃなくて、少し先の未来に目を向けながら、前向きに挑戦していける。そんな取り組みをしていきたい。

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