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【眠らない猫と夜の魚】 第5話

「神様が眠る時間」①


 一週間のうちで一番やる気が出ない、木曜日。

 読みかけのミステリを開いてみたものの、文章がさっぱり頭に入ってこなくて、さっきから同じページを何度も読み返している。向かいの水鳥はヘッドホンで両耳を塞いで、開いたノートの上に突っ伏していた。ヘッドホンを片っぽ持ち上げると、JUSTICEのStressが大音量で流れていた。

「この曲でよく寝れるな」
「えげつない低音聞いてると眠くならない?」
「わかるけど悪夢見そう」

 私と水鳥はたいていの木曜がそうであるように、大学の図書館脇のカフェ『ラグーン』のウッドデッキで暇を持て余していた。みたま市でのたまり場は水鳥のバイト先である喫茶アボカドだけど、大学でのたまり場はたいていここだ。机の上にはいちおうゼミの資料も広げてあるけど、昨日発表が終わったばかりでやる気なんてなく、広げてから一度も触っていない。
 水曜の午前に民俗学のゼミが終わって、午後はそのお疲れ会、夜は私の家に集まって飲むというのが、水曜のだいたいの流れだ。昨日も遅い時間まで飲んでいたせいで、頭がまだ重い。そういうわけで、この体たらくだった。それを見越して、木曜はあまり授業を詰め込んでないんだけど。
 でもあんまり退屈だと何かをしたくなる。神様も退屈だけは我慢できないとか、そういう言葉があったっけ。
 水鳥も同じように考えていたらしく、ヘッドホンをずらしてこっちを見上げてきた。

「朱音、なんか面白いネタない?」
「こないだの死体探しみたいな?」
「そうそう、あんなの。あれ楽しかったよね」

 先月、波流の『夜歩き』がきっかけで、死体が埋められた場所を探したことがあった。埋まっていたのは死体ではなかったけど、みんなで場所を調べたり犯人と思しき人を尾行したりと、なかなか楽しかった。

「あれってどうやって解決したんだっけ」
「小夜が大学で噂を聞いてきたんじゃなかったっけ。地蔵に追われてるやつがいるって」
「そうだった。やっぱ小夜、持ってんな」

 小夜は怖い話が嫌いだけど、怖い話をしている場に偶然居合わせるという、ちょっと得難い才能を持っている。怖い話が好きすぎて集め回っている私たちからすれば、羨ましい才能だ。
「また何か拾ってきてくんないかな」
 とか噂をしていると、小夜がトレイに珈琲とシナモンロールを乗せて歩いてきた。タイミングを伺っていたみたいな完璧な登場だ。

「あー、疲れた」
 小夜の第一声はだいたいこれだ。ゆとりある私たちの時間割と違って、小夜の時間割はどの曜日もギチギチに授業が詰め込まれている。
「ねえ小夜、何か怖いネタない?」
「そんなの、私が持ってるはずないじゃない」
 小夜は自分の特性をあんまり理解していない。脳みそが理解を拒否しているのかもしれない。「持ってるわけない」じゃなく「持ってるはずない」という言い回しに、それがにじみ出ている気がする。
「あ、でも待って」
 小夜がキチンと畳んだ上着を椅子の背もたれにかけた姿勢で一時停止した。
「怖い話じゃなくて、おまじないの話なら聞いたわ。それでいい?」
「あるじゃん!」
 水鳥ががばっと体を起こす。私も怪異蒐集用のノートを取り出した。

「ほら、県道から朱音の家のほうに曲がるとこ、田んぼが広がり始めるとこに、でっかい丘があるじゃない。麓に石の鳥居があるやつ」
「うん、ある」
 確かにある。全体が木で覆われた鬱蒼とした丘で、麓に鳥居があって、その先には石段が伸びている。確か、上には小さな神社があったはずだ。前に行ったことがあるけど、そんなに面白い場所でもない。
「その神社に埋めたら、願いごとが叶うんだって」
「埋めるって何を」
「さあ? 願い事に関するものじゃないの」
「埋めるだけ? おまじないにしてはわりと楽だね」
「あと何だっけ、変なこと言ってたな……」
 小夜が記憶を巻き戻すようにくるくると人差し指を回転させた。やがてその指がピタッと止まる。
「そうそう、それね、神様が眠ってる時間にやらないとだめなんだって」

 神様が――眠る時間?

 水鳥がこっちを見て顔を傾ける。
「眠るってことは夜? あ、でも神様だよね。神様って寝るっけ?」
「さあ……ていうか、あそこの神様ってなんだっけ」
「はい、この話、以上。おしまーい」
 小夜はそう言うと、頭の中から話を追い払うようにシナモンロールにかぶりついた。仕入れてきた怖い話はさっさと忘れるのが小夜のポリシーだ。
「んー、怪異蒐集に加えるにはちょっとふわっとしすぎてるなぁ。実際におまじないやってみたAさんの体験談とか欲しいんだけど」
「私に言われても」
「小夜、何か願いごとない?」
「私やんないからね!?」
「ねぇねぇ」
 水鳥がテーブルをトントンと叩いて私と小夜の注意を引く。
「あの子、またこっち見てるね」

 水鳥は視線だけを右手のほうに動かす。つられて顔を動かすと、ニットのカーディガンを着たおさげの女の子が、中庭のベンチに座ってこちらを見ていた。女の子は私と目が合うと、さっと顔を伏せた。
「こんだけ頻繁に見られてるってことは、朱音、時間割把握されてんな」
「朱音、昔から女の子にモテるよね。高校のときは、黒崎先輩に渡してくださいって何度手紙を受け取ったことか……」
 小夜が珈琲を飲みながらボヤく。
「あれ、私を見てんのかなぁ」
「そうでしょ。一回くらいお茶でもしてあげたら?」
「いや、私には波流がいるし」
「そこは亜樹くんじゃないんかい」
 水鳥に突っ込まれたところで、その亜樹が歩いてくるのが見えた。みんな舞台袖で登場のタイミングを待っているみたいだ。

「亜樹、もう授業終わり?」
「うん、帰るところ。帰りにみたまストア寄ってくけど、買う物ある? 夕食用の魚と、あと柔軟剤とごみ袋を買う予定だけど」
 みたまストアというのは亜樹のホームグラウンドであるスーパーの名前だ。魚介類の品揃えに定評がある。
「えーと、ハンドソープ切れかけてたような」
「ストックがあるから、帰ったら出しとくよ。他には?」
「あっ。いかり豆。こないだ水鳥が食べ尽くした」
「ごめんて」
「わかった、買っとく。じゃあ」
 亜樹はみんなに片手をあげると、ウッドデッキから降りて、中庭を行き交う生徒の中に回遊魚のように紛れていった。

「同棲中の大学生カップルっていうより、夫婦っぽい会話だな」
「亜樹くん、もともと落ち着きすぎておじいちゃんぽいとこあったけど、朱音と暮らしだしてからさらに磨きがかかった気がするわ」
 水鳥と小夜がしみじみと言う。
「最近なんて私より私の爺ちゃんと過ごしてる時間が多いよ。週末も二人で釣り行ってたみたいだし。そのせいでおじいちゃん化が加速してるのかも」
「ちょっと寂しい?」
 水鳥が面白がるように聞いてくる。

「寂しいっていうか、もうちょっと若さゆえの情熱っていうか勢いっていうか、そういうのがあっても……って思わなくもない、ちょっとだけ」
「でも、ああいうフラットなところが亜樹くんの魅力だしな」
「わかってるよ。私も満足してるけど、ごくたまにそういうとこ見たいなって、思うってだけで」
「ノロケかよ」
 小夜が、水鳥の突っ込みに大きく頷いて、顎先を中庭のほうに向けた。
「そんなふわふわしたこと言ってると、あの子も勘違いしちゃうわよ。自分にもチャンスあるかもって」
「そんなこと言われても、私にはその気ないからさ」

 そう答えながら中庭に視線を向けると、いつのまにか、女の子はいなくなっていた。

    *

 晩御飯はカレイの煮つけと筑前煮、お吸い物、それに菜花のおひたしだった。亜樹の作る筑前煮は私の好物で、里芋が入っていてトロっとしている。それが白米にマッチして、ついつい食べすぎてしまうのだ。
 この家では、ご飯は亜樹が作る。私もたまに作るけど、からあげとか餃子とかお好み焼きとか、気合いでえいやと作る料理しか作れない。あとは豪快に肉を焼くとか。

 亜樹が作るご飯は魚料理が多い。その半分は自分で釣ってきた魚だ。庭には小さな菜園があって、野菜や薬味を栽培している。料理だけでなく食材にも詳しくて、旬の食材や食材に合った料理を教えてくれる。亜樹と暮らしていると、その季節の旬である魚や野菜が自然に頭と胃袋に入ってきて、自分が季節の中を生きているということを、ふと思い出させてくれる。

 夕食を終えてお風呂からあがると、亜樹はちゃぶ台で生酒を飲みながら、図書館から借りてきた民俗学の資料をめくっていた。
「お風呂あいたよ」
「うん」
 亜樹が短く答える。亜樹はもともと饒舌ではない。そのせいか、亜樹といると時間が静かに流れる。余分な音が消えて、自分の心臓が普段よりゆっくりと動いているような気になる。
 まるで、人の形をした夜といっしょに暮らしているような、穏やかで、少し寂しい気分になることが、たまにある。それはそれで、悪くない感情だ。

 私もぐい呑みに生酒を注いで亜樹の向かいに腰掛ける。昼間の小夜の話を思い出したので、聞いてみることにした。
「ね、神様っていつ眠るのかな? ていうか、そもそも眠るもの?」
「北欧とか日本の神様は眠りそうだよね。人間的な性格が色濃いと、人間みたいに怒ったり笑ったり、眠ったりするイメージ。急にどうしたの?」

 私は小夜に聞いたおまじないの話を話した。
「ふうん。それって眠るっていうか、神様に見られないようにやらなきゃいけないって意味なんじゃないかな」
「ああ、なるほど。それだとわかりやすいかも」
 つまり、神様が見ていないうちに、こっそりおまじないをしなければならないということか。

「神様に見つかったらどうなるんだろ」
「願いが叶うっていう利益を考えると、相応の反動があるのかも。願いが叶わないだけじゃなくても、もっと……例えば他人を呪うような願いの場合は、その呪いが自分に降りかかったりとか。まあ、例えばの話だけど」
「なんか丑の刻参りみたい。あれってどうして自分に戻ってくるわけ?」
「もともとは見られたら効力がなくなるって言われてただけで、自分に戻ってくるってのは、陰陽道の逆凪の思想だよ。丑の刻参り自体が、陰陽道の信仰と混ざって人形を使うようになったから」
「そうなの? 藁人形に釘を打つってのは、もともとなかったの?」
「ないよ。藁人形ってのは依代だから、陰陽道の影響。ただ丑の刻に神仏に参拝すると成就するってのが本来の丑の刻参り」
 そうなんだ。私の中では、あの藁人形こそが丑の刻参りだったのに。
「あれ? 参拝するってことは、神様にお願いしてるわけ? 丑の刻参りって、別に神様が見てない時間にこっそりやってるわけじゃないんだ」
「神社を使うんだったらそれじゃ意味がない気がする。願いを神様に聞いてもらいたいから神社を使うわけで」
「そう言われればそうか。じゃあ、神様に隠れてこっそりやる……みたいなおまじないって、何か聞いたことない?」

 亜樹は沈黙して、テーブルに広げた手をじっと見つめた。考え事をするときの亜樹の癖だ。私が好きな、亜樹の所作のうちのひとつ。

「知らないなぁ。けど、誰かが勝手にそういう条件を付けたりするかもね」
「勝手に?」
「おまじないってさ、クリアする条件が難しいほど、叶いそうなイメージあるよね」
「わかる」
「だからおまじないが流行る過程で、誰かが勝手に条件を増やしたりすることってあると思う。より願いが叶うように、自分でハードルを上げるっていうか。そういうの、みんな無意識にやるじゃない」
「このゴミがゴミ箱に入ったら、みたいな?」
「そうそう。それが他の人に伝わって、効果ありそうだと思われたら残って、あんまり意味なさそうだって思われたら消えて……」
「そうやって新たなおまじないが生まれていくと……何か、都市伝説の伝播みたい」
「そう考えると、興味深いよね」
 とすれば、『神様が眠ってる時間』という条件も、誰かがあとからくっつけたんだろうか。どういう過程でそういう条件がついたのか、ちょっと気になる。

「あの場所、なんとなく雰囲気あるし、過去にもそういう噂が流れたことあるんじゃないかな。吾妻さんに聞いたら、何か知ってるんじゃない?」
「確かに、土地の噂だったら爺ちゃんの右に出る者はいないな……。明日の朝、ランニングついでに爺ちゃんのとこに行ってみるか」
 吾妻ってのは私の爺ちゃんで、爺ちゃんは市内で黒崎不動産という不動産屋を営んでいる。みたま市は小さな不動産屋がたくさんあって、爺ちゃんはそういう地場の不動産屋の取りまとめ役みたいなことをやっている。そのせいで普段は表に出ないような土地の噂が、爺ちゃんのところに集まってきたりもする。

 爺ちゃんに聞けば、あの神社にまつわる情報がもっと手に入るかも。

(第6話に続く)


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