愛憎相半ば

愛の反対は憎しみではない。無関心である」という言葉がある。実に、これは至言である。愛も憎しみも、その対象に対して強烈な関心を持たずにはいられない。そういう意味では、愛と憎しみは対義語どころか、同義語というべきかもしれない。

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4月26日、第3回口頭弁論があり、その後マレさんの番組に出た。池田議員の発言がとても印象的で、番組終了後もっと話をしたかったが、僕と鵜川さんには次の予定があってすぐに新横浜駅に向かった。コロナワクチンで身内を亡くしたある遺族に会うためである。鵜川さんがインタビューさせて欲しいとお願いしたところ、快諾してくれた。しかも、動画撮影もオッケーだという。弟を亡くしたお兄さんが言う。「弟が生きた証を残したいんです
鵜川さんの作ったドキュメンタリー『真実を教えて下さい』をすでに見た人は、このお兄さんの証言を見ているだろう。僕も以前、記事にまとめたことがある。
https://note.com/nakamuraclinic/n/nfb02e7b3014e
この記事のなかの、2番目の症例(49歳男性)こそ、このお兄さんの弟にあたる。僕は、医者としての立場から、弟さんの死に至る経過を詳しく聞いたり、僕なりの所見を述べたりした。鵜川さんが様々な質問をし、お兄さんがひとつひとつ丁寧に答えた。
ひと通りの対話を終え、動画撮影が済んだ後、鵜川さんが聞いた。「さて、これからどうしますか?もう帰られます?私と中村先生、まだ夕食をとってないんですが、よかったら一緒にどうですか?」「ええ、ぜひお願いします」とお兄さん。
新横浜駅のすぐ近くにある中華料理屋に入った。ビールで乾杯してから、小籠包や餃子をつつきながら、お兄さん、こんな話をした。
「私も弟も野球をやっていました。弟は私より年下ですが、負けん気が強くて、チームのレギュラーを私と本気で争っていました。「年下だから」とか「弟だから」という理由でなめられることが許せないんですね。

性格は私と正反対なところがありました。たとえば私は、自分のプライベートなことを親にも弟にも一切隠しません。これまで私がお付き合いしてきた彼女のことを、親も弟も全部知っていますよ。結婚することを決めたときも、すぐに親と弟に言いました。
でも弟は完全に秘密主義です。そういうことを全然私たちに言ってくれない。そのせいで、私、ひとつ大きな失敗をしました。弟が亡くなったとき、葬儀にひとりの女性が来られました。『家族葬だから部外者は入れるな』と葬儀屋に伝えていたものだから、その女性は焼香を手向けることもできなかった。弟がお付き合いしていた女性に違いないんです。せっかく来てくれたのに、帰してしまった。連絡をとろうにも、弟の秘密主義のせいで、名前も連絡先も分からない。本当、後悔しています。

弟は小学生以来、ずっと野球を続けました。甲子園出場はなりませんでしたが、高校でもやっていました。大学には行かずに就職しましたが、社会人になってからも草野球チームで野球を続けていました。
私は13歳のとき肩を壊して以後、野球をあきらめて、柔道を始めました。さらに、投げ技だけではなく打撃系でも強くなりたいと思って、マーシャルアーツも始めました。
ほら、鵜川さんと私、50代前半の同世代ですが、ビーバップとか流行ってて、不良がカッコいい、みたいな文化がありました。学校では生徒指導の先生が竹刀を持ってたり、体罰とか当たり前でした(笑)そういう時代の雰囲気もあって、私は強くなりたかったんです。それで、柔道やマーシャルアーツにのめりこみました。

弟とはしょっちゅう兄弟げんかをしていました。しかし私が柔道を始めてからは、兄弟げんかも変化してきました。殴り合いや取っ組み合いのけんかになれば、私が必ず勝つ。弟に勝ち目がなくなったんです。でも弟は、負けん気は人一倍ある。それで、あるときこんなことがありました。激しいけんかになって、私が弟に胴締めチョークスリーパーをきめたんですね。ちょうどこんな具合です。

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すると弟が手近にあった刃物を持って私の腹をめがけて刺した。間一髪、私がよけたから助かったものの、あと1センチずれていたら、腹に穴があいていたところです。

そう、けんかのときはお互い真剣に、殺したいくらいに憎み合っていますよ。一歩間違えば、実際どちらかが死んでいたかもしれない。それぐらい激しい弟なんです。

でも弟は、私の息子にはこの上なく優しかった。息子は今中学3年生ですが、小さいときから弟が野球を教えていました。息子のほうでも弟になついていました。弟がうちに来れば、息子のほうから「まあくん、キャッチボールしよ!」と飛んでいきます。
だから、弟が亡くなって、息子もそれが心底こたえたようです。

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天の邪鬼というか、弟はあえて私の逆を行くようなところがありました。私はこのワクチン、危険だと思っていたので、両親にも「絶対打つな」と言っていました。それで実際、私も両親も打っていません。しかし弟は打ってしまった。職域接種だったので、半ば強制的に、というところはありましたが、私の向こうを張って打つ、という意識もあったような気がするんです。「兄貴が打たないのなら、じゃあ俺は打とう」みたいな。

弟の死後、弟の勤務先の女性社員から私に電話がかかってきたことがあります。弟の身辺整理の件での電話だったのですが、そのとき、その人とこんな話をしました。
「息子さん、先月の試合で大活躍しましたね」ええ、そうです。
「2安打1打点。チームの勝利に貢献して」はい。
「ヨコハマホークスの柱ですね。あとは内角高めの速球を打てるようになれば、怖いものなしですね」あの、息子のこと、なんでそんなに詳しいんですか?
「弟さん、ずっと私に自慢してたんですよ。きのうの試合はここがよかった、とかいろいろ息子さんのプレーを私に説明するんです。2年くらい前からそういう感じでした。我が子みたいに思ってたんでしょうね」
その女性社員が涙ながらにそういうことを言うわけです。たまらない気持ちになって、私もつい、もらい泣きしてしまいました」

弟が兄に抱く感情は愛憎相半ば。愛が強ければ強いほど憎しみも強く、またその逆も言えるだろう。
この弟さんはお兄さんのことが大好きだったが、不器用さのせいか、あるいは羞恥のせいか、それを素直に表現できなかった。しかしお兄さんの息子相手なら、遠慮なく愛情を注ぐことができた。

こういう話を聞けば、「人間が死んだんだな」と思う。
「接種後死亡者:1名」ではない。数字では何も伝わらない。人口統計によるとワクチンで何万人という人が亡くなった。亡くなったそれぞれに、人生ドラマがあったはずなんだ。僕はこういうドラマを拾い上げたい。そして、多くの人に知らしめたい。

しかし動画撮影したインタビューは、いかにも固かった。初対面の僕への警戒心もあっただろう。お兄さんは緊張して、慎重に言葉を選んで話した。
一方、ビールを飲んで中華を食べながら話したときには、とてもリラックスしていて、弟さんへの本音があふれていた。
インタビューと食事、順番を逆にすべきだったなぁ(笑)