過去記事の検索はこちらから

noteの更新が長らく止まっていますが、noteでの情報発信をやめたわけではありません。今みなさんが読んでいるように、告知などにこれからもnoteを使っていきます。ただ、メインのプラットフォームをnoteからDMMに切り替えたというだけです。DMMで記事を更新しているので、興味のある方はフォローをお願いします。
https://lounge.dmm.com/detail/6960/

なぜ、プラットフォームをnoteからDMMに移したのか。
一番大きいのは情報の検閲ですね。note社は、検索しても僕の記事を上位に出ないようにしています。ググっても出てこないし、note社の検索エンジンを使っても出てきません。

noteの検索ウィンドウで、たとえば「ナカムラクリニック」で検索してください。僕の記事を引用した誰か他のクリエイターの記事はヒットするけれども、僕の記事はひとつも出てこない。
たとえば、「中村先生、以前、五井野プロシージャーのことを書いてて、あれもう一回読みたいな」と思ったとする。検索ウィンドウに『五井野プロシージャー』と入力すれば、普通は僕の記事が出るはずですよ。でも出ない。
あるいは、「前に、ワクチン未接種者を絶賛する記事を書いてたな。確か『ワクチン未接種者の人たちへ』っていう記事。あの文章、もう一回読みたいな」と思ったとする。検索ウィンドウに『ワクチン未接種の人たちへ』と入れて検索すれば、出てくるはず。でも出てこない。

note社は、僕の記事を絶対に上がってこない設定にしてるんです。これって、まぁまぁひどい情報検閲ですよ。
でもこの会社自身は、それを検閲だとは思っていない。それは、この会社のトップ(深津貴之氏)のワクチンに対するスタンスを読めばよく分かる。
『noteにおける反ワクチン記事の方針について』
https://note.com/fladdict/n/ne9c89e31d040
子宮頸癌ワクチンを推進している村中璃子を持ち上げていることから、だいたいどういう人なのか分かります。
文章の最後のところで、こんなふうに言っている。

「反ワクチン情報をオススメに入れない自由」(中略)を行使していく、とのことだから、検索しても僕の記事がヒットしない操作は、彼から見ると、検閲ではなくて、プラットフォーマー側の「思想・言論の自由」という認識のようだ。

こういう認識の違いはどうしようもない。抗議したって議論したって、平行線をたどることは見えている。
一時は裁判しようかと息巻いたこともあったけど、弁護士に相談して、自分の不利を知らされて、思いとどまった。これについては過去記事に書いたことがある。
https://note.com/nakamuraclinic/n/n2c07fa98d238

「裁判しても無駄」それが弁護士の結論だった。そういうことなら、仕方ない。僕としてはデタラメを飲み込んだ格好で、辛抱した。ググってもヒットしないしnoteの検索ウィンドウで検索しても出てこないけれど、辛抱して、noteでの情報発信を続けてきた。
でも、コロナも5類化して、ひと段落。僕の情報発信も一定の役割を終えた。
そろそろ潮時かなと思って、プラットフォームをDMMに切り替えた。そういう経緯なんですね。

noteは2020年3月から使ってきました。つまり、このプラットフォームには、3年以上にわたって僕が発信してきた情報が詰まっているわけです。
今になってみれば、時間の経過に耐えず使い物にならなくなった情報がある一方で、今もなお古びることなく有用な情報もある。玉石混交のちゃんぽんという感じです。僕自身、「昔書いたあの記事を読みたい」ということがあって、過去記事を検索できればな、と思う。しかし、玉石混交の山というのは、結局のところ、ごみの山なんです。欲しい情報をすぐ引っ張って来れず、「この山のどこかに埋まってるよ」では、完全に無意味。多忙な人にとって、ひとつひとつの記事をしらみつぶしに探すわけにはいかないんです。
そんなとき、救世主が現れた。
https://note.com/nakamuraclinic/n/nfb3ddd3be367

僕の情報発信の有用性を認めてくれる有志の人が、こんなふうに言ってくれた。「独自でサーバーを借りて、そこで記事の発信を行ってはどうでしょうか?そうすればもっと多くの人が先生の記事を目にすることになると思います。私はそのお手伝いがしたいのです」
ありがたい提案です。
仮に、万が一、note社が「危険情報」として僕の記事を一方的に全削除したとしても、並行して独自のサーバーで情報発信していれば、情報を残すことができる。
その独自サーバーは、ここです。
https://nakamurablog.jp/
ここでは、検索がきちんと機能しています。キーワードさえ思い出せれば、過去記事をすぐに掘り起こすことが可能です。
名前は出せないけれども、有志の方、ありがとうございます。

もうひとつ、プラットフォームを変えて有料化した理由として、読者を選びたかったというのがあります。
noteの記事を読んだ人から、多くのメッセージをいただきます。クリニックに直接お手紙やハガキでいただくこともあれば、メールでいただくこともあります。その大半が、心あたたまる応援メッセージですが、なかには、そうではないメッセージもあります。あたたかいメッセージを読むと、当然心があたたまります。しかしそうではないメッセージを読むと、、、
傲慢と言われるかもしれないけど、読者を選びたい、という気持ちが芽生えてきたんですね。これまでnoteでは基本、無料で情報発信してきましたから、クリックすれば誰でも読めます。文字通り、誰でも、です。老いも若きも、男も女も、富める者も貧しき者も、すべての人に対して僕の文章は開かれていました。そして、いつの頃からか、僕は、この full openness は必ずしも好ましくないと思うようになりました。
うぬぼれと言われようとも、あえて断言すると、僕の文章の魅力が分かる人というのは頭がいいです(笑)論理的になってロジックを追いかけることもできれば、シャレとかユーモアが分かる感性も持ち合わせている。きっと、人間味のある人です。
一方、分からない人がいます。一応日本語ネイティブなので「読める」みたいだけれども、全然分からない人がいる。僕の文章がこういう人の目に触れてしまうことは、不幸の始まりです。双方にとって。
熱心に手紙を書いてくる。読む人を不快にする手紙を、異様な熱心さで。なぜこんなことにエネルギーを使うのだろう。書いてるあなた自身、不快の念に心が焼かれて、大変ではないですか。
そう、僕の文章を読むべきではない人がいて、こういう人を退けたい。そして同時に、分かる人を大事にしたい。有料化はそのふるいです。ご理解いただければ、と思います。