【中村美郷(なかむらみさと)/自己紹介】 生い立ち・経歴について
こんにちは!
中村 美郷(なかむら みさと)です。
2021年2月からnoteを始めて、ところどころ期間が空いてしまったり、更新を忘れてしまったりしましたが、はや3年半弱経ちました。
2012年11月に私の社会人生活が始まり、
2022年11月にフリーランスを経て、法人化。
自分の人生がこんなにも好転して、豊かになっていくなんて、社会人1年目には考えられていなかったです!!
noteを定期的に書いていますが、そもそもわたしがどんなバックグラウンドがあって、なぜ会社を起こすことに至ったのか、このnoteを通してどうしていきたいのかを全く書いていなかったことに最近気づきました。
今更ですが自己紹介と、今後についてを書いてみたいと思います。
中村美郷(なかむらみさと)のプロフィール、経歴・実績
山形県山形市の生まれ
山形県立西高等学校 卒業
新潟大学経済学部経営学科 卒業
現在は、フリーランスとしてIT系のPMOの業務委託で請け負いながら、法人化して、SES(フリーランス)のキャリア相談・転職サポート、小売流通販売業などの仕事をしています。
社会人として、文系からIT会社に就職しました。
当時、文系からSE、エンジニアになる女性は珍しかったと思います。
2017年頃から、フリーランスへ転身。
PMO業務に携わる傍ら、会社以外の時間で飲食店や小売流通販売業のブランディングやSNSマーケティングをインターンで参画し、経験。
2022年11月に法人化。
美容や健康に関わる素敵な商品やサービスを取り扱いながら、自己実現の分野で貢献できる事業展開を構想しています!
売上50万円以上まで軌道に乗せ、2025年3月にはITの請け負いの仕事を辞め、働く場所と仕事の時間を選べるような状態にしようとチャレンジ中です!
山形県で2番目に頭のいい「山形県立西高等学校」へ進学
山形出身で、高校までは祖父母と父母と自分という家族構成で、ひとりっ子のため家族の愛情を一身に受け育ちました。
山形の中でも西の山のふもとにある小学校で、全校生徒が約120人ほど(今では全校生徒が10数人のようです)の田舎の地区!笑
小学校までは勉強そっちのけで遊びまくり、鬼ごっこやドロケー、おままごとなど特に外遊びが大好きでした。
そのため、勉強らしい勉強をしていなかったのですが、中学に上がるタイミングで親に「勉強しておかないと出遅れるぞ」と言われて、素直にみんなに追いつかないと!と思い、春休みに勉強しまくりました。
おかげさまで、中学入ってからほぼずっと学年約60人中2位か3位の学力でした。
高校を選ぶ際には、成績優秀だったこともあり、父から「女子校(進学校)だし、西高がいいんじゃないか」という提案され、西高を受験しました。
進学校の女子校だったので、みんな勉強や部活を一生懸命取り組む子しかおらず、成長意欲が高く、なんでも楽しむような子達ばかりでした。
一緒に勉強も部活も頑張れ、のびのびと過ごせたのがとてもよかったです!🗽✨
誰と一緒に過ごすかが大事、人は周りに影響される生き物なんだと学んだ時期でもありました!
部活はバレーボールをしていて、自分ひとりの力ではなく、チームで力を合わせることで競合にも勝てるという経験だったり、仲間と目標を共有して一緒にやるから辛い練習時間も、そのあとの苦手な勉強タイムも楽しくなるという経験をしました!
新潟大学へ進学!八方美人で目標なし、自己肯定感が低かったドン底時代
進学校だったため、ほぼ大学進学!
私も大学進学の道しか考えていなく、将来やりたいことなし、行きたい大学・学部なしだったのでどうしようかと悩んでいると…
高校の先生から「新潟はいいぞ〜、米もうまいし、魚もうまいし、酒もうまいし、海も近いぞ」と言われ、「え!めちゃいいじゃん!!」と安易に志望校を新潟大学に決め、必死に勉強し、見事合格しました。
大学に入れたことに満足していて、最初の1、2年はそれを楽しんでいました。
ただ、大学入学が目標になっていた私は、ふと、就職についてちらついてくると、「やりたいことないな」「特に行きたい企業もない」「自分はなにが向いているかわからない」と将来について希望も、夢も、目標もなくなっていたことに気づきました。
やる気がないまま就職活動をしていたため、エントリーシートは受かるものの、集団面接で落ちるループにハマり、どうしたらいいんだろうと悩みました・・・
それに反して、周りでは内定をもらっていっている人や教員・公務員試験の勉強を熱心にしていて焦りました。
結局、大学3、4年と時が過ぎ、「よし!留年しよう!」と決断したのですが、卒業条件を満たしてしまっていたので、就職先が決まらないまま卒業してしまいました!笑
(留年しようとしてニートになった話は長くなるので、また気が向いたらnoteに書こうと思います!笑)
卒業して、新潟にいる意味もなかったので、山形の実家に戻ったのでした。モラトリアム期間が延びたからといい、やりたいことが見つかりませんでした。
しかし、やる気もそこそこに、ゆるりと就職活動を続けていた中で、たまたま東京のITの中小企業の会社に内定をいただき、一回就職してみるのもありかなと考えて、軽い気持ちで、中途秋採用のような感じで就職しました。
経済の経営学科という文系のところから、ITという理系の分野へ就職したこともあり、1、2年目はPCやITについての基礎知識や、Word、Excel・・・学ぶことがたくさんあり、成長を感じて楽しかったのを覚えています。
社会人3年目。これからの人生の方向性を定めるきっかけとなった経営者、矢内綾乃さんに出会う
ふと、2年目の終わりになった時に「このままでいいのだろうか?」と考えるようになっていました。
仕事はリリースに合わせて残業が100時間を超える月もあれば、残業が全くなくお給料も低いという波が激しく、体も土日はたっぷり寝ないとやっていられないほどに疲れていました。
このまま続けていけるのか?という疑問から始まり、会社に30代の女性ってほとんどいないなぁ。どうして辞めていくんだろう?など・・・
元々、第一志望というわけでもなく、ITがやりたかったわけでもない私は、これから考えるんだったら、24、25歳のこのタイミングかもしれない!!とまたやりたいことがないなループにハマっていきながらも、今後について考えるようになっていました。
そのタイミングで、友人に紹介してもらった経営者である、矢内綾乃さんとの出会いをきっかけに私は「人生を逆算して考える」という視点を教えていただきました!
・私はゴール(目的地)を決めずに、乗り物(手段)を選ぼうとしている
・転職は一つの手段でしかない
・働き方の選択肢が狭いまま決めるより、広げてから決めた方が良い
自分の利益など関係なく、私の人生について一緒に根本から考えて、アドバイスをしてくださる親身な方に出会い、東京も捨てたもんじゃないなと思った記憶があります。笑
(それまでは東京の人はちょっと冷たいと感じていました笑)
なぜ会社を起こすことに至ったのか、このnoteを通してどうしていきたいのか
矢内綾乃さんとの出会いをきっかけに自分の将来について考えました。
・自分のこれからの仕事のこと
・父や母のこと
・これからの家族になりうる旦那さんや子どものこと
・自分がこの1回しかない人生でなにをどのくらいやりたいのか、欲しいのか
・どんなところに行ってみたいのか
会社員としてもできないことはないですが、取捨選択しないといけないなと感じていました。
時間やお金の上限があって、何か蓋をされるような感覚があり、でもそれが当たり前という感じに慣れていってしまっている自分がいたのです!
会社に依存している働き方では、自分が叶えたいことの一握りしかできないことに不自由を感じました。
どうせだったら、1回しかない人生でヨーロッパ、南の国(ハワイやモルディブ、ボラボラ島など)、47都道府県たくさん行ってみたい!
どうせだったら、東京と山形を行き来するような2拠点生活、強いては47拠点生活してみたい!
どうせだったら、とことんのめりこめるような、情熱を注げるような仕事を一生やっていきたい!
どうせだったら、生涯の仲間(仕事も遊びも全力でできる)と呼べるような人と一緒に働ける仕事がしたい!
こんな願望を叶えるためのチャレンジをしていきたいと思い、会社を立ち上げ、自分のために働くことを考えるようになってきました!
ビジョンを達成していく、幸せな日々の中で感じていること、大事だと思っていること、日常などを日記のような形で記録していくべくnoteの更新も頑張っていきたいと思います。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました!
今後ともよろしくお願いします。
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