【真夜中の哲学】過程と結果

 近年の世の中は過程ではなく結果を重視する風潮が強いように思う。自分もまさにそうだった。努力してても、結果が出せなかったらゴミだ!!過程が大事なんて結果ぎ出せない奴を慰めるための、ただの綺麗事だ!!とそう思っていた。でも、本当にそうなんだろうか。

「過程」とはただの時間の積み重ねではなく、本人にとって意味があるものなんじゃないか。

 人を応援するときに、よく「自分を信じて」という言葉を耳にする。でもそう簡単に自分のことなんて信じられないよ…と思うじゃない?自分も確かにそう思う。自分を信じることは難しい。大抵の人は誰かに何かを言われたり、自分より優れた人を目にしたりすれば、たちまち自信を失ってしまうものだ。ならば、どうすれば自分を信じられるんだろう。自信とは、どこから出てくるのか。それはね、努力だよ。つまり過程なんだ!!

人は過程があるからこそ自分を信じられるのだ。

(ここで突然の自分語り)私は昔から要領がいい子供だった。それに加え、恵まれた環境にいたもんだから、あまり自分が頑張らなくても大抵のことはなんとかなっていたのだ。(自慢?)だから、私は自分に自信がなかった。その理由はさっき話した通り、努力をしていなかったからだ。もう死んじまうよってくらいの努力をしていれば、誰になんと言われようと自分はここまで努力してこれたんだ、と胸を張っていることができる。だがしかし!!私は努力をしていなかった。まあ、申し訳程度の小手先努力はしていたが、それも長くは続かず…たとえば、受験に成功したのも、それなりの要領の良さと親が塾に通わせてくれたおかげだ。自分の努力のおかげではない。故に、私は自分の結果が信用できず、常に自信がなかったのだ。
 努力に裏打ちされていない「結果」というのは薄っぺらだ。そうやって結果を出したとしても、それは長くは続かないだろう。そして、結果が出せなくなったとき、自分に対しての自信をすぐに失ってしまうだろう。それでは意味がない。太く長くというものを目指すにはやはり「過程」が大事なんだなあ。「過程が大事」という言葉はただの綺麗事ではなく、こんなふうにしっかりとした理由があった…のかもしれない。

 長くてうざったらしい文章を最後まで読んでくれた優しいお方がもしも居たのなら、感想や自分の意見をお聞かせ願う。
明日は月曜さ。辛いけど頑張るしかないね。
おやすみ。

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