それだけの話

目の前においしそうなステーキがある。
おいしそう、食べたい。
でもナイフとフォークがない。
そういう時、俺は素手で食う。
周囲は諦めるか、道具を用意してから食う。

この例えだと、少し俺に隙がある。反論の余地がある。
素手で食べるなんてみっともない、となる。
だが本質は、好みの話だということだ。そして人目を気にするかどうかだ。
だから例えを変える。

なにかやりたいことが見つかった。
楽しそう、やりたい。
だが上手なやり方が分からない。
そういう時、どうするか。

俺は上手じゃなくても、やりたければやる。
周囲は諦めるか、知識を用意してからやる。

ナイフとフォークは、知識と教養だ。
それらがなくてもやる奴と、それらを用意してからやる奴がいる。
これは、ただの、好みだ
どちらがいいとかではない。
俺はすぐやるが、知識と教養を用意してからやりたい人もいる。
そもそも、やりたくない人もいる。
それだけの話だ。それを人に押し付けたり、押し付けられたりするからおかしいことになる。

俺がよく読む本には、上手じゃなくてもいいからやれ、と書いてある。
だがこれはただの好みだ
やりたい人がそうやれ、という話だ。
俺は上手じゃなくてもいいからやりたい。
だから俺はこういう本が好き。
上手じゃなければやりたくないなら、上手になってからやればいい。
そういう人向けの本を読めばいい。

動きながら考える奴と、動く前に考える奴がいる。
俺は、動きながら考える奴だということだ。
まず肉を素手で食って、熱くて火傷したら何か道具がいると思いつく。
まず食うのが俺だまずやるのが俺
動く前に「何か道具がいるかも」と考えれば、それは俺じゃない。

ここで、
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
の言葉が思い浮かぶ。

これはドイツの鉄血宰相と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクの格言です。「愚者」は自分で失敗して初めて失敗の原因に気づき、その後同じ失敗を繰り返さないようになるという意味で、これでは経験したことからしか学べない。それに対し、「賢者」は自分が経験できないことも先人たちが経験したこと、すなわち歴史を学ぶことで多くの経験を身につけることができる、ということだと思います。賢者は過去の他人の失敗から学び、同じ失敗をしないようにするというわけです。

この言葉を額面通りに受け取って賢者のフリをすれば、俺は俺でなくなる
ここで賢こぶるな賢く生きようと思って、俺は弱くなった。

俺は、経験から学ぶ奴だ。過去の他人の失敗など興味がない。
俺が失敗するわけがない。俺に失敗なんかない。
成功するまでやれば成功になる。とにかくやる。
それが俺だ。

で、本気でそう思ってるわけがねえだろ俺だぞ
危機管理能力は人並み以上だ。
だから失敗しねえんだよ。
まずやって経験で学び、やりながら歴史で学ぶんだよ俺は。

そして、これは好みだ、ということで終わりだ。
ここで俺が、まず経験しなきゃ分かんねえだろ経験しろ、と説けばおかしなことになる。
これは好みだ個人的な話だ。
これが俺の生き方で、俺はそうするという話だ。
それで終わり。

俺が賢者の生き方を良いと思って真似したって、弱くなるだけ。
万人に当てはまる正しい生き方はない。
ただ唯一、自分自身で生きれば強くなれる
自分が自分であれば強く生きられる。自分自身でなければ弱くなる。
俺は経験から学ぶ愚者であることを受け入れれば、強く生きられる。

それだけの話だ。
生き方を間違えるな