素手で食う

何故弱く振る舞わなくてはならないのか、と考えて思いついたことを書く。
これはたとえ話だ。

目の前においしそうななにか…ステーキとか、パスタがあったとする。
おいしそう!食べたい!でもフォークがない。ナイフもない。
そういう時、どうする?という話。

俺は素手で食う。

だが周りはナイフとフォークが無ければ食べない。
素手で食う俺は咎められる。
マナーがなってないから。

りんごの話でもそうだったが、自分の好みで俺を責める奴が多すぎる。
仮に、そういう奴らが「目の前に食い物があるんだから、お行儀よくやらずに素手で食えや」と言われたらどう思うよ。嫌だろ。
反論するだろ。で、決着つかねえだろ。
当たり前だ、好みなんだから。

そういう時、どうする?という話で、俺はこうすると言って、それがことごとく批判されたら、そりゃ素を出すのが嫌にもなる。


俺の日記では強い、弱い、とよく出てくるが、強さ、弱さは価値観だ。
人それぞれ違う。だから俺の思う強さを書く。

まず、でかい。そして固い。
んで持久力があって、常に上を目指す。
何があっても折れずに、何回でも立ち上がる。
これが俺の思う強さだが、いやもう途中で気づいたわ。途中から寄せたわ。
俺の思う強さの象徴は、デカいナニである。
俺にないモノだ。クソ。五次元で振り回す

では弱さとは何かと言うと、ソレじゃない状態だ。
こうだから弱い、じゃなく、そうじゃないから弱い

俺は、でかくて固い。持久力があって、常に上を目指す。
何があっても折れずに、何回でも立ち上がる。
こういう奴である。
そうじゃないかもしれない、なんて逃げはもうしない。
俺はこういう奴だ。こういう俺から逃げない。
こういう俺から逃げて、そうじゃなくなる時が、弱い時だ。


俺は弱く振る舞わなければならなかった。
目の前に食べ物があって、道具がなければ素手で食うのに、それを隠して、道具を用意しなければならなかった。
素手では食べられなかった。
自分を貫けば咎められ、食べ物は取り下げられた。

そうなれば人格以前の話だ。
性格や好みなど主張できない
素手で食う、という選択肢を避ける。
俺自身でいることを避ける弱くなる

悔しくてたまらねえよ
こういう時どうする?という質問が死ぬほど嫌いだ。
俺を公開処刑する気か?としか思えない。
こうとしか思えない俺も悔しい。
だが実際そうだったんだから、しょうがねえだろ。

俺の好きな本、ビジネス書には、「食いたかったら素手で食え!!!」ということが書いてある。
俺は「だよなあ!!!!!」と思う。
だから好きなんだ、ビジネス書は。俺に力強さをくれる。
俺がちゃんと強くなれる。俺が活かせる。

ただ、こういうのを見ると嬉しくなると同時に、胸に何かつっかえる。
ああ素手で食う俺が肯定されてる、ってのと、
こういう時どうする?普通じゃない答えを出す奴ってのがわかるから。

常に俺でいたい欲求と、俺でいてはならない焦燥がぶつかってる。
普通じゃなくていい。普通じゃないからいい。
だが普通がよかった。普通になりたかった。

俺だって、みんなと仲良くしたかった。
うまくやっていきたかった。

誰か一人でも、素手で食う俺を見て「かっこいい♥」と言う人がいてくれれば、また何か違っていた。
だがそうであれば、それはそれで、人に対して「目の前に食い物があるんだから、お行儀よくやらずに素手で食えや」という奴になっていたかもしれない。

結論としてはやっぱ、今の俺が一番いいということになるな。
今が一番いい。五次元で振り回すためにも、俺は頑張るぞ。

何故弱く振る舞わなければならなかったのか、は分かった。
次は弱くならないためにはどう振る舞えばいいのか、だ。
寝る。