りんご
結論は、"丸くて赤いりんご"がある、だ。
で、これはたとえ話だ。
丸くて赤いりんごがある、これを説明するとき俺は、
「りんごがあります。アップルパイやりんごジュースにするとおいしそうですね。このように全体が真っ赤なりんごよりも、逆さまにしておしりが黄色になってる方が熟していて甘いそうですよ。そういや四角のスイカは見ますが、四角のりんごは見ないですね。丸いです」と言う。
これに対して「このりんご見て。丸くて赤いでしょ」と言われる。
俺は「そうですね」と言う。
「じゃあ丸くて赤いりんごがあります、でいいじゃん。パイとかジュースとか甘いとか、いらないでしょ?このりんごがある、って説明がぼやけるでしょ?」と矢継ぎ早に不快感をぶつけられる。
そうですね。
合ってんだよ。
りんごは丸くて赤いからな。分かるよ。
結論はブレないんだよ。"丸くて赤いりんご"がある、だ。
ただ、"丸くて赤い"だけでは、必ずしもりんごとは言えない、んだよ。俺は。
丸くて赤い、
コーヒーの実、さくらんぼ、トマト、そういうボール、そういう花。
わかんねえじゃん。丸くて赤い、だけじゃりんごって分かんねえんだよ。
りんごは丸くて赤いよ。でも、丸くて赤いからりんご、ではないんだよ。
ただ、分かるよ。合ってんだよ。
パイなの?ジュースなの?結局何が言いたいの?ってのは分かんだよ。
すでに丸くて赤いりんごがあるんだから、そのまま丸くて赤いりんごがある、って言えば簡単なんだよ。
だから俺は「そうですね、"丸くて赤いりんご"、って説明にします」って言うんだよ。
面倒くせえじゃんだって。
丸くて赤いりんごがあるのに、何故丸くて赤いだけでりんごと言えるんですかね、なんて議論普通始めねえじゃんか。
そんなんふっかけられたら堪ったもんじゃねえだろ。不毛すぎる。
だから、いいんだよ。丸くて赤い、だからりんご、で結論出していいよ。
でもそれで終わらない。
分かる?丸くて赤いりんごがあるでしょ?だからそう言った方がわかりやすいでしょ?って説教が始まる。
だからそうだ、っつってんだろ。
そうですねっつって、そういう説明に変えます、っつってんだ。
なんだろうな、相手は最初からそういう認識をしなさい、って怒ってるんだろうが、無理だよそれは。
丸くて赤い。
パイやジュースに出来る。
このように真っ赤なものよりも、おしりが黄色い方が熟している。
四角くなくて、丸い。
どっちも結論は同じ。
丸くて赤いりんごがある。
俺は、前者の説明は情報を削りすぎてる、と思う。
りんごが見えないから、分かりづらい。
相手は、後者の説明はすげえ冗長だな、と思う。
りんごがあるという事実がぼやけるから、分かりづらい。
俺は、俺が分かるように、俺が分からない情報を補う説明をしてる。
でも丸くて赤いりんごがあるんだから、丸くて赤いだけで伝わる、と言われればそうだね、ってそれに合わせる。
どっちが良いとか悪いとかじゃないんだよ。
俺は説明によって、りんごの輪郭を出す必要がある。
相手は説明によって、りんごの事実を述べている。
認識と表現の方法であって、これは好みの問題なんだよ。
ここを責められるいわれはねえと思うよ。
前者の説明でしっくりくる人が、
「丸くて赤い、だけじゃ分かりづらいだろ?」
「丸くて赤いものなんかいっぱいあるだろ?もっと詳細に言えよ」
って言われたら、面倒くせえな、って思うだろ。
何が分かんねえんだよ。丸くて赤いりんごがあるんだから、丸くて赤い、だけで分かんだろうが、って思うだろ。
好みなんだよ。だから俺は相手の分かりやすい表現があれば合わせる、っつってんだ。
問題は、それで解決とはならねえことだ。
相手は認識を変えろ、と言う。最初から分かりやすい説明をしなさいと。
そのために認識を揃えましょう、と言ってくる。
"りんご"の説明は、"丸くて赤い"、だけが分かりやすい。
分かった、変えます。
次、"黄色いたんぽぽ"がある。
これを相手がどう思ってるか、どう認識してるか、俺は分かんねえよ。
小さい、黄色い、綿になる。春に咲く。たんぽぽコーヒー。
違う、綿になってない。春に咲く、コーヒー、はいらない情報。
小さくて黄色い、小さくて黄色いたんぽぽがある。
「小さくて黄色いたんぽぽがあります」
「小さくて黄色い?たんぽぽの花って大きめでしょ?」
誰か殺せよ俺を。
って気分になる。分かるかそんなもん。
何と比較して大きめなんだよ。知らねえよ。
これでメンタルやられねえんだから俺は凄えよ。
明日も元気に職場に向かうぞ♪フハハ、バカがよ。金よこせボケ。
たんぽぽ、に対して「チューリップがあります」だったら、それチューリップじゃなくてたんぽぽだぞ、ってなるんだよ。
これは正誤だ。好みじゃない。
注意するならこういう結論が変わる時だけ、だ。
丸くて赤いりんごがあって、説明の中で丸くて緑のりんごになるなら違うぞ、って注意出来る。
小さくて黄色いたんぽぽ
大きくて黄色いたんぽぽ
これは正誤じゃない。
どっちも合ってる。たんぽぽがあって、それを小さいと見るのか、大きいと見るのかは当人の認識、感性、主観。つまり好みの問題だ。
大きいでしょ?小さいでしょ?と責められるいわれはない。
あー、もう面倒くせえなマジで。
脳のシナプス焼き切れそう。
認識を統一させよう、とか出来るわけねえだろ。ディストピアかてめえは。