谷崎潤一郎「夢の浮橋」のBLにしてBLな未来

11月15日猫町オンライン月曜会谷崎潤一郎「夢の浮橋」回。

ただのおっぱい小説と思われているけど、年表作ると実はそうではない、高度に政治的、社会批評的小説だということがわかります。
猫町オンラインシネマテーブル課題映画「東京物語」「ベルリン・天使の詩」同様、当時の読者は現在の我々とは違い、こうした時代背景にも影響され我々とは異なった感想を持ったはずです。
作中の記述を手がかりに年表を作ってみると、谷崎がこの小説に込めた戦後日本へのメッセージが見えてきます。

【年表】谷崎潤一郎「夢の浮橋」|中宮崇@中年童貞 #note https://note.com/nakamiya893/n/n9a3825af9990

本作は敗戦後14年が経った1959年に発表されています。世の中がそろそろ「60年安保」の左翼テロにより騒がしくなり始めた時期です。
谷崎が戦争中の右翼的馬鹿騒ぎを尻目に細雪等の耽美な世界を紡いでいたことは有名ですが、本作においても彼は、太平洋戦争の馬鹿騒ぎを何ら反省せず60年安保闘争という裸踊りに熱狂する愚人どもを尻目に、耽美な変態物語を世に出しましたw。後の70年安保を舞台とした倉橋由美子「夢の浮橋」は、源氏物語よりも谷崎のこうした超然とした生き方にインスパイアされた作品と言えるでしょう。

本作では主人公糺(ただす)は、女中が3人に乳母までいるブルジョア家庭に生まれました。銀行重役で資産家の父の下で、早くに実母茅渟(チヌ)を亡くし、実母そっくりの継母経子のおっぱいを吸って、18、19歳になるまでその生乳をながめたりコップ母乳を飲んだりして育ちますw。
その後父は結核で死にますが、その遺言により糺は同年のおにゃのこと偽装結婚をし、継母と(作中ではぼかしているが)実質的に夫婦生活を営みます。しかしどうやら偽装結婚の妻の陰謀で最愛の継母は殺害され、その後糺は離婚し、継母の実子が里子に出されていたのを引き取ったところで小説は終わります。

あらすじだけ見ると、ラストは(父のコネで銀行行員にはなりますが)遺された莫大な財産でなに不自由無く暮らせて、愛した継母の面影を遺す弟と(兄弟関係ではなくおそらくBL的な)暮らしができてある意味ハッピーエンドにしか見えません。しかし年表とにらめっこしてみると、実はオラの大好物な「一見ハッピーエンドに見えて実はバッドエンド」な黒い小説だと言うことがわかります。BL小説にしてBLackな作品なのです。

小説は、主人公糺の手記という体になっています。
手記は1931年の6月27日(継母の命日)、約25歳時点で終了しています。1929年にアメリカで始まった大恐慌の影響で、日本でも昭和恐慌の真っ只中です。つまり銀行員で資産家の主人公はこの後経済的に大打撃を受ける可能性が大です。
更にこの年31年9月には、満州事変の発端となる柳条湖事件が発生しています。
そこから計算すると、主人公が愛する弟武は遅くとも敗戦前年の1944年には満20歳に達し、徴兵検査を受けて激戦地に送られる、そして助からぬ運命にあります。この時糺も38歳ですから、下手すると同じように赤紙が来る可能性もあります(徴兵年限は40歳)。このように、一見ハッピーエンドに見えた二人の未来には実は暗雲が立ち込めているのです。

実際の谷崎潤一郎同様、主人公の糺は世間のそうした軍靴の足音に無関心です。手記にはおっぱい話変態話等オレがオレがの自分語りだけで、世の中の動きは全く出てきません。当時多くの日本人がそうだったであろう、そうした社会的無関心が日本を破局に導き、結局主人公もその報いを受けることになったわけです。
例えば愛する継母が(おそらく妻の陰謀により)百足に噛まれ死んだことを嘆き悲しみながら、同年1928年に起きたはずの張作霖爆殺事件には一切触れません。
1925年に糺が18、19歳にして継母のコップ母乳を飲んで興奮していた年にはムッソリーニ政権が誕生しヒトラーが「我が闘争」を出版していますが、性的興奮に囚われた主人公は無関心です。ここには、社会への無責任無関心により国を破滅に導いた戦前の日本人への強烈な批判の眼差しがあるように思えます。

ところで、主人公糺のお父さんについてですが、年表を作ってみるとわかるように、おそらく日露戦争に出征しています。そして糺は、彼ら復員兵によるベビーブームの熱狂の中で生まれたらしい。そして父が実母の写真についてうっかり漏らした「これはな、お母ちゃんがお父ちゃんとこに嫁さんに来る前、十六か七の時に撮ったんやて」とのセリフから、糺はどうもできちゃった婚で、妊娠後に結婚式を挙げたのではないかとの疑惑が生まれます。ひょっとしたら実子でさえないのかも知れません。
冒頭に出てくる実母による「夢の浮橋」の色紙、それも「この歌は決して秀歌と云える程のものではあるまい」と言われつつも何故か「その色紙は越前の武生から取り寄せた、古代の手法に依った本式の 墨流しの紙で」と不思議に大切にされ、「母なる人の詠歌と云うものは、これ以外には伝わっていない」わけです。そして父は臨終の際にうわ言で「「茅渟」 と、母の名を呼ぶ声と、とぎれとぎれに、 「ゆめの………ゆめの………」 と云ったり、 「………うきはし………うきはし………」 と云ったり」しながら亡くなります。主人公に知らされなかった重大な秘め事の存在を疑わざるを得ません。

ところで読書会では、「なぜ主人公は偽装結婚なんかしたんだろう。父の死後継母と結婚すればよかったのに」との意見が出ました。しかしこれは不可能です。戦前の旧民法においても現行の民法においても、継母は1親等の直系姻族に該当するので、たとえ父との姻族関係が終了したとしても結婚することは出来ません。そうした法的制約下において、お父さんは知恵を絞って偽装結婚をお膳立てしたわけです。

もう一つ、「継母経子がなぜおっぱい吸わせたり母乳飲ませたりしたのか謎」との意見も出ました。
これは、彼女が元舞妓だったことに原因があるように思えます。彼女は生涯「自分の意志」というものを持てなかった、男の顔色を伺うことで生き抜いた、ある意味不幸な女性だったのではないでしょうか。
経子の生家は「二条辺で色紙 短冊 筆墨の類を商っていた大きな構えの店で、今の鳩居堂のようなもの」でした。鳩居堂と言えば、現在では京都だけでなく銀座にも店舗を持つ老舗です。大いに大切に甘やかされ育ったことでしょう。ところが「母の十歳余りの時に倒産して、現在ではその跡も残っていない」不幸に見舞われます。そして「その後母は十二歳の時に祇園の某家に養女として身を売られ、十三歳から十六歳まで 舞妓 をしていた」のです。育ち盛りで一番愛情を欲する時期に、両親から引き離されエロジジイの顔を伺って暮らさなければならない境遇に放り出されてしまったわけです。そればかりか「十六の時、綾小路西洞院の木綿問屋の若主人に 身請けされて、その家の嫁に迎えられたと云うのであるが、正式の妻であったとも云い、入籍はされなかったとも云う」などと、過酷な境遇が続きます。挙げ句の果てに「十九の年に事情があって不縁」とされ、捨てられたわけです。「お客」や「大人」の顔色を伺い素早くその欲求を読み取って反応、サービスすることが身に染み付いたとしても当然ではないでしょうか。
実際父の死後遺産が転がり込んだのにその当時の耐乏生活のクセが抜けなかったらしく、「たまには三人で観劇や 遊山 にも出かけたが、母は金遣いが細かい方で、僅かな金銭の出入りにも気を配り、私達にも努めて冗費を省くように 誡 めていた。特に沢子に対しては監督が厳しかったので、台所の帳面を預かる彼女は相当に気を遣った」との記述もあります。
そういう経子ですから、新たに貰われて行った先の「坊っちゃん」の物欲しそうな顔色を読んで、先んじて「サービス」を提供してしまったのも当然だったのではないでしょうか。ある意味「プロ」だったのかも知れません。

先日の猫町オンラインシネマテーブルクラシック課題映画小津安二郎監督「東京物語」もただの家族団らん映画に見えて実は高度に政治的な戦前軍国主義批判、戦後民主主義批判映画でしたが、「夢の浮橋」も実はただのおっぱい小説では全然なかったわけです。

東京物語で日本人をひっぱたいた小津安二郎|中宮崇@中年童貞 #note https://note.com/nakamiya893/n/n6411e2c9cd92

上の東京物語ブログでも年表ぽい物を作っていますが、こうした作品において年表作りは内容理解のための強力なツールです。作者がなぜその時代を作品の舞台にしたのか、その隠されている意図が見えてきます。ぜひともやってみてください。
月曜会で課題本となるような本に限らず、古い時代の「古典」は、このように当時の時代背景を知るとより深く味わうことができるわけです。

谷崎 潤一郎 の 学研の日本文学 谷崎潤一郎 母を恋うる記 夢の浮橋 を Amazon でチェック! https://amzn.to/2Wc6Cid

下のリンクからamazon Kindle Unlimited読み放題に登録すると、月980円で「夢の浮橋」含め読み放題。

https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs/hz/signup?tag=genshijin-22

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?