8月1日はバルバロスの誕生日!
今日は東京・浅草のサンバチーム『G.R.E.S.仲見世バルバロス』の誕生日です。リーダーこと故・高橋重雄と諸橋稔により1980年8月1日に設立され、チームメンバーおよびこれまで応援してくださった皆様と共に、42周年を迎えることができました。
この機会に新しい取り組みとして、バルバロスの魅力をもっと知っていただきたいという想いを込めて、noteを始めます。
noteではメンバーからの話を通じて、サンバやバルバロスの活動についてより深く知って貰えるような内容を企画していますので、どうぞお楽しみに!
改めまして、私は3月にバルバロスのプレジデンチを拝命しました鶴見と申します。リーダー(初代)、星野(二代目)の後を継ぐ三代目の代表者でございます。どうぞよろしくお願いします。
さて、このnote第1回は私がバルバロスに入った頃のお話を少しさせていただきます。19年前の2003年冬の事です。
そもそもサンバに興味を持ったのは、NHKで放送されていた「体感!世界の祭り リオのカーニバル2002」の再放送をたまたま見たからです。もともと音楽やダンスは好きだったのですが、その番組はいくつかのサンバチームのカーニバルまでの準備と、本番のコンテストに密着していて、豪華なパフォーマンスはもちろんの事、特別な人が参加しているのではなく普通の人が楽器やダンスを練習して全員で楽んでいる姿に感動しました。
ちょうど学校でのサークル活動も終了し、暇だったこともあり、日本でサンバが体験できるところはないかネットで検索し、いくつかのチームにメールをしてみたところ、唯一コンタクトできたのがバルバロスでした。
当時の私はTony Tee氏のワークショップに足繫く通っていたダンス青年でしたので、カーニバルの先頭でテーマを表現する、コミサン・ヂ・フレンチになりたかったのですが、編成の都合上それは叶わなかったので、バテリアとしてサンバのキャリアをスタートすることになりました。上述の番組ではショカーリオを演奏していたおじさんがカッコよかったので、それをやりたかったのですが、これも縁あってか、クイーカパートに加わりました。
全然希望通りではありませんでしたが、やってみると不思議、クイーカの奥深さにあっという間に魅了されてしまいました。
浅草サンバカーニバルに向けての準備が始まると、アレゴリア(山車)の制作に誘われました。学生時代はサークル活動として文化祭実行委員をしており、ステージ上の出し物の大道具を作る担当でした。アレゴリアはその大道具の何倍もの規模であり、もっと大きいものが作れる!と大興奮したものです。
私の人格形成の時期に好きだったコトの大半がここにあったため、ハマらないはずもなく、以来どっぷりとバルバロスの活動に浸り、クイーカパートリーダー・アレゴリアリーダー・カルナバレスコと複数の切り口でサンバに親しみながら今日に至ります。
これまでの活動を通じて思うことは、
<サンバは懐が深い!>
ダンスや演奏のみならず、衣装・アレゴリア制作、また、それらのデザインや企画等々・・・
それらのうち一つを突き詰めるも良し、複数を嗜むのも良し。
楽しみ方は無限にあると感じています。
私がバルバロスに入るきっかけとなった番組を見たときの何倍もの感動を、これまで体験してきました。それはサンバに魅力があるからだけではなく、なによりバルバロスには感動を共にできる最高の仲間がいるからです!
かつてのメンバー、現役メンバーへの感謝と、これからのメンバーとの出会いに期待を込めて、今後も末永くサンバを楽しみたいと思います。
さぁ、皆さんもご一緒に!
文/鶴見太朗
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