マガジンのカバー画像

中道通り + 吉祥寺 = ボク

11
中道通りと吉祥寺へのボク的な想いをまとめています。
運営しているクリエイター

記事一覧

2023年ボクの振り返り

最大のトピックは商連会長になったこと。  これにつきる!2年前から前任の大先輩に「次はおまえがやれ」と言われていましたが、中道通り商店会の会長を当分続けるつもりだったことや吉祥寺活性化協議会の副会長もつとめていることからこれ以上は無理だと思い、逃げ回っていたのですが(笑)、 ほかにやって頂けそうな方もいないし、ボクの好きなようにやらせて頂けるなら思いっきりやってやろうという気持ちも大きくなってきたので受けることにし、2023年5月30日の定期総会で、第9代武蔵野市商店会連合会

「商店会あるある」からの脱却

古い体質からなかなか抜け出せない2015年(平成27年)の総会で、第17代会長になりましたが、副会長時代から感じていた商店会運営について不合理と思われる部分は速やかに改善し、さらに商店会活動を担うであろう次の世代のために禍根を残さない運営方法をボクが会長の間に見つけたいと決意しました。 とにかく就任当時はまだまだ前時代的運営で、会費は役員で集金してまわる方法だったり、商店会所有のコピー機もなく、商店会から会員にお知らせを届けることもままならない状態でした。 会員の皆さんからも

吉祥寺活性化協議会とボク

吉祥寺活性化協議会とは1991年(平成3年)、吉祥寺地区の活性化を図り、より魅力的なまちづくりを行うことを目的として設立された任意団体。吉祥寺駅周辺の商店会や大型店、ホテル、金融機関、鉄道やバスなどの交通機関、学校法人など吉祥寺地区の発展に意欲を持つ多くの団体と企業で構成されています。 主な活動は、以下の通り大きく3つに分かれます。 1.駅周辺の盛り場の環境浄化や荷捌き車両等物流対策など、武蔵野市や武蔵野警察署など行政機関と連携しながら、吉祥寺の課題解決に取り組むこと 2.

商店会は地域のサポーター

町会がないことに最初はびっくり武蔵野市には、いわゆる市民組織としての「自治会」や「町会」がないと言われています。 ボクの勝手な想像ですが、ゴミは各家庭に個別に集めに来てくれるので、ご近所同士でゴミ置き場の管理について話し合う必要がないし、地域の情報共有のための定番「回覧板」も、町会費の集金や班長決めもないので、ご近所の課題を話し合うような「ユニット」がなくてもなんとかなって来たのでは、と勝手に想像しています。 卵が先か、にわとりが先かはわかりませんが、1971年(昭和46年)

推したいのはこの街のヒト

この街では苦手な人に出会わない。なぜ?中道通りと吉祥寺で街の活動をしていると、日々いろいろな人と知り合いになりますが、「この人は苦手だなぁ」と感じたことがある人が今まで本当にいない。 キャラクターが濃い人にはたくさん出会いますし、特に吉祥寺という街のことについては、一家言お持ちの方が多いので、考え方や意見が違う方も多くいらっしゃいますが、それはそれで尊重できるのです。 なぜなら、この街のヒトは皆、中道通りや吉祥寺のことを「良くしたい」と強く思っていること。そして中道通りや吉祥

中道通り商店会とボク①

やるならとことん2005年(平成17年)にお店を出して、商店会のお手伝いをはじめた訳ですが、今でもやれることは出し惜しみせずやる覚悟です。 前にも書きましたが、先輩からの覚悟を問われるお言葉を頂いたことももちろんありますが、自分が長い間携わってきたイベントや販売促進企画という仕事柄、商店会の活動に寄与できるノウハウをたくさん持っていることに誇りもありましたし、ボクのノウハウを商店会に出し惜しみしなければ、もっともっと面白い商店街にできると確信もあります。 なので、この世界に引

ボクの街活ポリシー

自分がぶれそうになった時に、読み返すための備忘録として書いておきます。 できることはできる限りやる吉祥寺に事務所を構えた時から、いつかこの街に恩返しがしたいと考えていたけれど、お店を出すまではその糸口がなかなか見つかりませんでした。 でも苦労して中道通りでお店をオープンしたことから、商店会や地域とつながれるようになり道が開けた気がします。 最初は配りものや集金などのお手伝いからはじまり、やがて商店会の役員になり役員会にも参加させてもらうようになって、商店会の意思決定プロセス

中道通りとボク

運が良かった物件探し2004年(平成16年)からスタッフ全員でお店の企画を練り始め、出店場所のリサーチもスタート。その中で紹介されたのが「中田ストア」さんでした。 野菜やお惣菜などをご家族で販売する中田オーナーがお店を閉じられるということで、オーナーご夫婦と面談し貸して頂けるようになりました。 吉祥寺の中でエリアを限定せずリサーチしましたが、なかなか条件にあった物件がなく、なかばあきらめかけていた時の出会い。本当にラッキーだったと思います。 奥様の涙にふれていよいよ契約書を

吉祥寺とボク②

ふたたびの吉祥寺結婚後、仕事仕事の毎日で、生活圏も変わってしまったので、その後の10年間(1990年代)の記憶はほとんどありません。 ただ、勤めていた会社から独立を志してからは、「起業するなら吉祥寺」と決めていました。 5年の準備期間を経て2002年、サンロード商店街にあるダイアパレスのワンルームにオフィスを構えました。 事業は、前の会社から引きつがせてもらったクライアントの販売促進キャンペーンやイベントの企画運営、映像制作や店舗設計。 個性豊かなスタッフ4名との船出でした。

吉祥寺とボク①

出会いはテレビの世界からボクと吉祥寺の出会いは、TVドラマ「俺たちの旅」。 ボクが中学生の頃に放送されていた大人気のTVドラマです。 中村雅俊さん演じるカースケ、田中健さんのオメダ、秋野太作さんのグズ六、この3人の大学生とその先輩が、人生に悩み、もがきながらも「自分」にこだわり続け、友情と青春を謳歌する群像劇。 当時のボクには主人公たちがとてもキラキラして見え、自分も大学生になったら「青春を謳歌したい」、「大学生活はこんな世界なんだ」と本気で思いこんでいました。 主人公のデニ

きっかけは、不満と不安から

東京都武蔵野市吉祥寺にある中道通り商店会のサカイケンジです。2015年に会長になりましたが、なった当時からちょっとした不満と不安を持ち合わせていました。それは、多くのメディアの取材対象として、また大学をはじめとする研究機関の研究対象として、中道通りにたくさん注目して頂く中で、過去の歴史を紐解ける資料や記録がほとんど残っておらず、また商店会の諸先輩方もご高齢で、記憶もあいまい。ボク自身も、この街で育ったわけではなくどちらかというと「外来種」のため、ここ20年ぐらいの記憶はあるけ