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ガールズバーがしなやかに街へ介入すること 20240731

私はガールズバーの客引きに声をかけられたことがない。
見た目も性自認も男で恋愛対象は女性である。
ところが不思議と勧誘を受けない。
いかにもガールズバーに行かないような風貌をしているのだろうか。

中目黒では夜になると客引きに活気が出る。
本日も例に漏れずその風景が見られた。
駅前や目黒銀座商店街近くの路地の一角に、ガールズバーの店員さんと思われる女性が立っていることが多い。
どう言った洞察で道ゆく人たちを眺めているのかとても気になるところだが、それだけを聞いてしまうのは業務妨害もいいところだ。なのでやらない。

ところで、ガールズバーとは不思議な業態である。
落ち着いたマスターがしっとりとやっている、いわるゆ"バー"も日本特有の文化であると聞くが、そこから発展したガールズバーはよりガラパゴス的な突然変異のものに見える。

歴史を紐解くと諸説あるようだが2004年頃が発祥の時期とのこと。意外と最近だ。
風営法の間を縫うような業態として生まれたのであろうが、いまやそれ自体がアイデンティティを持ち始めているようでもある。

実は、かつて一度だけガールズバーを訪れたことがある。
友人と4人で飲んでいたところ、そのうちの2人が行きつけのガールズバーに行くというので興味本位で着いて行った。

牛丼チェーン店よろしく、U字型のカウンターの内側に3,4人の女性が立っていた。
常連の友人たちは違和感なく彼女らに話しかけて難なく会話が始まる。

私と、初めてガールズバーにきたもう1人の友人は所在なく、何となく会話に加わったり、突如始まるカラオケを何となく盛り上げたりした。

そこそこの交流はできたものの、そこにはカウンターという明確な境界があり、対等な対話ではないように感じてしまった。
時間制ということもあり、常連じゃない我々2人は先に店を後にした。

カウンターを介したやりとりを楽しめる人がおり、そうでない人もいる。
この違いは何だろうか。
側からの印象としては、常連の友人たちは、なにか役割にスッと入っているように見えた。
アノニマスであるはずの都市の中で個人的なやりとりに見えて役割に埋没したアノニマスなやりとりであった。

そこまで割り切れない人は、無為に過ぎて行く時間と、時間に比例して消費されていくお金のことばかりが気になり、その場にいられなくなる。

ガールズバーは、その屋内においては明確な境界を持ちながら、客引きによって街に繰り出し人々を絡め取っていく。
そういった街への介入は、東京という密な都市だこらこそ育まれたシステムのように見える。

街に介入しながら線をひく。そのしなやかな在り方が、東京という街でガールズバーが愛される所以なのだろうか。

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