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時間の感覚

(この記事は、日記に執筆したものを一部改訂の上書き起こしたものです)

日常という円の軌道をずらすために、今日は出来事ではなくテーマに基づいた プチエッセイを書いてみることにしよう。

一時間の感覚


このテーマはChatGPTに考えてもらった。

就活を通じて、だいぶカレンダーを扱うのが上手くなった、従って、ダブルブッキン グの事故の回数も減り、人生がスムーズに忙しくなってきた。

イヴァン・イリイチ曰く、“時間はお金のようなものになった。一昼飯までに三時間ある(can have)、どうやって時間をつぶそう(spend)....時間 が足りない(short of)ので、委員会にそんなに時間をかける (afford to spend)わけにはいかない、時間をかけるねうち(worth)はないんだ...... そんなことしたって時間のむだ(waste) だよ、それよりは一時間節約(save) したほうがいいね……といったふうに。 (ちくま学芸文庫、『コンヴィヴィアリティのため の道具」、著:イヴァン・イリイチ 訳:渡辺 食二,渡辺梨佐,2015, P79) 。

時は文字通りの金になった。時給ウン円という雇用の方法はまさしくそうだ。就活で行ってきたスケジュール調整は、まさに時間を資源として捉えさせるのに有効だったと思う。現に、今だって、この後用事があるから、1時間半のうちどれほどこのエントリーに使えるだろうか、と怯えながら、筆を進めている。

時間価値によって産業化されない時間は素敵だ、思い返せば大学生活にはこ のような牧歌的な時の流れがしばしば 転がっている、ぼくが休学して実家にい た時なんかはそうだ、あの時は休みが終わりないかのように、時間の流れに乗ってぼく自身も漂流していた。

AGIの登場や、さらなるテクノロジーの開発により、時間の流れは今後もっと加速するのだろう、激流にのまれないように、彼らの仕掛ける産業化の終わらぬゲームは必ずしも人の生の全てではないことを思い出しつつ、それでも前を向いて。


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