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GWなので仏像を買いました

今年のゴールデンウィークは仏像を買った。

 親愛なる友人のみなさんは是非家にまで見に来るとよい。今のところ少し世俗のことはどうでもいい気分になっている。これはご利益なのだろうか、それとも社会人をはじめて早々に会得しつつある厭世観だろうか?

 これはGWに日記に書いたのを一部改変した。このあたりの日記はよく書けたのかなにかの疾病なのかでちかごろ鼻息が荒く鼻が高いのと、大学を放逐もとい卒業して、社会人となって以来永らく記事の投稿がなかったので、私小説と報告を兼ねてGWの羇旅の情をもって挨拶に代えたい。そしてネットでの活動も続けようという意志もあるならば、今後は毎週この温度感の、よく練られた、無駄のない駄文を無理ない感じに世に投げ込めればと思っている。

五月四日(週明けまで三日)

 ここいらでGWも残り三日、今後の予定を皆さんにお伝えするのが筋と見える。それではまず午後九時半ごろサンライズに乗る。そのまま土讃線で高知へ。この日はひろめ市場でひたすら食い倒れて、最後は高知か高松で寝る。翌日は高松で知り合いと合流して観光で連れまわしてもらう。リュックサックに着替え、カメラ、日記替わりの私用のパソコンを詰め込んでいくぞ!旅行が終わるころには面倒くさい出社が控えている代わりに、だいすきな日記帳が返ってきているはずで(※1)、ぼくはたぶんこれの執筆に、五月二日から四日の分でも三時間か四時間はかかるだろうな。つまり、明日と明後日のアドベンチャーも含めれば明後日は徹夜というか一晩中バーで作業していることもあり得る。近所にバーにまできて話もせず黙って日記を書くのをほっといてくれる嬉しいバーがあって最近は幸福を噛み締めている。

 さてサンライズに乗り込む。毎度のごとく乗車がギリギリになってしまいシャワーカードは手に入れられなかった。逆から乗り込んで人数を数えたら確実に売り切れるような人数をしていて早々に放棄した。それよりもまずはチケットを受け取りに行かねばならない。世もITやらDXやら言うのであればネット予約からQRコードで発券して改札通れるようにでもすればよいのに(そうなったとしてもぼくは紙の券を使い続けるだろうが)。
今日はノビノビ座席しか空いていなかったのでこの席に乗車。空いているだけありがたいというものだ。そしてぼくはノビノビ座席もそれほど嫌いではない。事前に風呂に入ったり、服を詰めて枕を作ったり、充電器を充電しておいたりとよく準備して向かいさえすれば、毛布もあって暑くも寒くもないかなり快適な環境で睡眠を恣にできる。むしろお金のことを考えれば最も経済的な席が空いているのはありがたい。これであればおおよそスカイメイト運賃で飛行機に乗るのと同じくらいの価格で旅行に出られる。サンライズが寝台であることを鑑みれば一泊も付いてくる。ようするに、余ったお金で近場に日帰り温泉旅行くらいに行けるくらいのお金は浮くらしい。

 普段は閉まるドアを眺めて旅の始まりとしばしの東京からの離別を痛感して、なんだか淋しくなるものだが―旅行に行く時は毎度なぜか少々後ろめたい気分になる、ぼくは旅行はかなり好きであるにも関わらずだ―、列車は東京を滑り出して南へ西へ向かっていく。車窓を眺めていたら、普段出掛け先によく行く有楽町駅周辺が見えて嬉しかった。こんど退勤したときは有楽町かその辺までいって出ていくサンライズを見守ってみたい。サンライズに乗ったときはラウンジ席で酒をあおりながら日記を書くのが常だ。しかし今回はあいにく日記が到着待ちということでラップトップをもってきた。ラップトップで日記をしたためるのはおそらく三月の旅行ぶりだが、このほうが文章量は豊かになる。加えて、ラップトップでの方が執筆も捗る。あとで転記するのは真に億劫なのだが(※2)。

ラウンジはほどよく賑やかだった。静かに飲んでいるおじさんが早々に退出し、ぼくの座っている面はぼくだけ、向かいには和気藹々の家族が四人仲良く座って、お手製の弁当か、はたまたなにかのおやつかを親が子に与えている。これにはほほえましさのあまりノーベル微笑まし賞を授与されねばならん。彼らが受賞するのは投げられたボールは落ちるが如く大原則に従うべき事項であるとして、ぼくがこれを樹立するまでの辛抱である。しかしてぼくは手元のじゃがりこをあげたくなる。途中、横浜を通って大船あたりで横須賀線と並走した。たしか十秒くらい同じ人と目が合っていたように思う。せっかくだから手でも振ってみようか?振ってみた。そしたら向こうからも帰ってきた。何人かが笑顔で手を振り返してくれた。これはなんとも言えない思い出になる。何が嬉しかったのだろう。ほんとうに大切なものは言葉にならないのではないかしらん。それからしばらくして横須賀線の列車は停車すべく減速をはじめたのか、彼らは後方に消えていった。

そのまま家族としばらく談笑して、ぼくが「電車の向こうの人たち、手振ってくれてましたよね」と言うと、「そうですね」と優しげに返してくる。「じゃがりこ食べますか」と通路越しに差し出す。「ありがとうございます。ねえ、食べる?」と子どもに振る。子どもは分別が付いているのか一本だけもらう。ここでこの時のじゃがりこの味は是非思い出したいところだが、一向に思い出せないまま内容も書ききってしまったので半個室の自席に着替えを畳んで作った枕を敷いて寝る。
 

 五月五日

 目が覚めたらちょうど岡山かその辺にまで着いていた。外の景色も一転して明朝と言わんばかりの薄明かりを照らしている。ただ今日は景色を楽しむより十分に寝るのが先決だ。昨日はせっかくだからと琴平行きに変更(延長)して土讃線に乗り入れているから、このままこんぴらさん参りと洒落こむほかにあるまい。そして、普段高松行きのサンライズと言えば朝七時半ごろ高松の到着であるが、今回は琴平まで乗ると一時間ほど長く乗っていられる。よく寝よう。

 おそらくはよく寝れたものだ。これが毎日の寝床であれば持続的ではないが、旅の不都合とはかえってそれが醍醐味を有している。岡山でまどろんでいて、どうにか瀬戸大橋は観覧しようと決意を固め陽の薄ら上がった淡い朝を眺めたのちもう一度寝たらとっくに高松に着いていた。そしてさらに気が付けば高松を離れて動き出している。普段は高松で渋々列車とお別れしているから、この方が幾分か、というか六十分強ぶんほど幸せかもしれない。
琴平で列車を降りるのは不思議な気分で、まるでサンライズがどの駅にでも入線するような気分になってくる。例えば由布院駅や宮崎駅、高田馬場駅、日本国内のそこそこ大きな駅であればだいたいどこであれ停車するような気すらする。誰だって自宅発東京行きの列車を夢見たことがあるだろう。
 
 この一泊二日の旅路について少し記しておくと、大まかに言えば今日は高知、明日は香川となる。されど琴平に降りたら何から始めるにしろこんぴらさん参りをしなければならないと相場が決まっている。幸いこんぴらさん参りは過去にしたこともあるし、前は大学生時代に知り合いと参拝して三人でやった。道程はおおよそ前の焼き直しになる。
来て早々問題にしているのが帰り道の問題である。飛行機でもよし、サンライズでもよし、もしくは万一の場合は新幹線でもよし……とりあえず、社会人となった今や七日週明け時点で戻れなくなることだけはなんとしてでも回避せねばならないので、適当な見込みの元、高松からマリンライナーのグリーン券と新幹線の切符を取った。新幹線は空きがグリーン車が数席空いているのみであった。なんにせよ、これで列車に間に合いさえすればGWの期日通りに帰るというミッションは実現される。仕事を意地でも休暇中に持ち込みたくないから仕事の連絡のあれこれは全て家に置いてきた。しかして六日のうちに家に戻る責任がぼくにはある。嫌なメロスだなあ……。
 
 駅を降りて歩けばすぐ琴電の駅がある。駅内を少し覗くと、簡素だが風情ある駅舎の中に本棚が一つある。ここで図書の貸し出しをしているらしい。というより、市民が手前勝手に本を持ち寄ったり持っていったりするらしい。一冊面白そうなものを発見したので借りていくことにする。カンニング少女の話だそうだ。仔細はまた読んでから。
表参道に着く前に朝飯の気分が高まってきた。それも参道にうどんが見えるのであれば食わぬわけにはいかぬ。ということで最初に見えたうどん屋に入店。これは美味しかった!佐賀のうどんに似た、食べれば食べるほど美味しくなっていくやみつきの感覚がある。ちくわも美味しかった。
そのまま参道を進む。そういえば参道の周りはすっかり商店に覆われている。参道はともかく、階段に入っても商店は逞しく生えている。思うにかつてこの段々は修行のための道であり、精神統一やら坐禅やらそういうことを考えて通るものであった―禅を引き合いに出せば考えない―はずだが、これでは雑念ばかりだ。いろいろ美味しそうな屋台に仏具に木彫りのあれこれに雑貨も売ってある。真に老若男女問わず楽しめる市場になっている。
と思いを馳せていたらば門をくぐった先は露店はすっかり立ち消え、修行道らしくなってきた。そういえばぼくはここは来たことがあるのだ。この道は知っているはずだが。かつてはこの道を辿って何を書いていたのだろう。

 一つ感心したのが木彫りの仏像の多さであった。もしぼくが熱心な仏教徒であればこの場で貯金を全て使い果たしていたに違いない。これは想像がつかないかもしれないが、木彫りの阿弥陀像が全て木彫りのミカヤ像であればなんたる場所に来てしまったのかと思わないだろうか?少なくとももしぼくがこれに遭遇すればこれで一日、否、全ての観光が終わる。しかも木彫りの仏像はいいものだと優に十万を越している。これは我々新人サラリーマンの月給の二分の一か三分の一あたりである。これらが全て例えば推しキャラの像であったら?ある人にとってはここはすさまじい場所なのかもしれない。
それはともかく、ぼくは二年越しに、気になっていたフクロウの像を買った。香川県は讃岐一刀彫で有名だそうだ。

 さらに進むと非常にデザインの美しい阿弥陀像―これはのちに聖観音像であると発覚するが―を見つけてしまい、たいして仏教はそのマニアでもないが買おうか悩んでいる。木のフォルムとデザインが美しい―ぼくは日記を死後適切に切り取ったり編集したり脚色したりして世に小説として放ってほしい願望があるゆえもあって、この一文にもならん日記をこんな凝った文体でせこせこ書いているが、これはぜひ生前デザインを嗜む誰かに届いて、どうにかしてこの自然と人為が見事に融合したフォルムを基に新たなクリエイションの枝が分岐してほしいのが今加わって世に日記の一部を放出しないといけなくなった―それを買うか買わぬかまでのところに来ている。人間何にお金と時間を使うかつくづく判らん。
帰り、露店で先のフクロウ像ともう一つ買ったものがある。小豆島オリーブサイダーである。これは美味しかったのでこの場を借りて備忘のため置かせてもらう。これはなんとしてでも買い付けたい。これ美味しかった。しかし階段ははるか上だった。これをまた登るのかあ…

 忘れているかもしれないが今日のメインは高知だ。急ぎ琴平から戻って高知行きの列車に乗り込む。切符からもわかるだろうが相当急いでいた。
大歩危を通過して高知へ。まずは桂浜から行こうか?桂浜はもともと目的にかなり入れていたもので、桂浜で何がしたいかと言えば昼寝がしたい。一昨日の公園での昼寝以来完全に昼寝にハマった。自然のにおいを嗅ぎ、再現性のあるはずのない、テンポもない自然の音楽を聴いて意識を安らかにするのがいいのだ。

 駅についてすぐさまバスに乗って半刻程度。到着寸前で渋滞に巻き込まれてインターネットのページの更新を思い出す。あれは99%からが進まない。しばらくしてバスが到着して降りてみて、しばらく歩くと見慣れない、真新しい観光施設が姿をあらわした。そして、今までの古臭い土産屋やら食事処やらの姿が一向に見えない。調べると昨年の秋にリニューアルしたそうだ。時代の代謝をここでも感じる。たしか小学校か中学校の修学旅行の行程のうちに桂浜が入っていて、ぼくはお土産に当時の美意識の最高峰たる金の龍の刀のキーホルダーを買ったが、悲しいかな、もうそんなものはどこにも見当たらなくなってしまった。あれは随分多くのガキの心を、きっと揺るがし続けてきた。一つ時代が終わったのだ。
 
 さて過ぎ去った時代を通り抜けて桂浜に向かう。桂浜の周りは変われど桂浜は変わらない。そう信じて浜辺のいっとう綺麗だと思った石を三つ拾ってきた。何の祈りだろうか。
桂浜で寝てみた感想だが、思ったより暑い!まず間違いなく日焼けしたと思う。しかし過度に焼けたということもなく、一度は意識が底に落ちていく感覚も得たし、悪くない。今度からベランダにチェアでも買って転がってみようかしらん。日向ぼっこは一つ趣味に加えたい。

 ひろめ市場。二年前にここに来て三人でひたすらたべていた覚えがある。これは本当に美味しかった。この記憶があって以来、カツオは高知以外で食べられないというのはなかむ家での将来の家訓になる予定である。十七時台に着いたというのにごった返しで座れないことを覚悟していたが、席を探しているうちに運よく席を広々と使っている人を発見し、その人の隣に座ることに成功した。よかった!そしてしたり顔でカツオを求めに行く。
カツオ丼、タレたたき、はらんぼ。選り取り見取りとはこのことか。いざ実食。既に肉厚と分かる塩タタキを箸でつまんで、にんにく、大根おろしとともに口へ運ぶ。美味!いや東京では一回たりともこんな肉厚でほろほろしたものを食べたことがない。皆さん、高知おすすめです。ひろめ市場おすすめです。願わくば桂浜と同様ひろめ市場もこのおいしさは変わってくれるな。

 旅といえば宿のことが気になるだろうが、ぼくは今日は琴平の近くに宿を取った。宿代もそう高くない。飲み会代一回分くらいだろうか。
せっかくだから駅前の飯屋で骨付き鶏を頬張り―カツオとは別腹にさせてもらう―、駅前にタクシーが止まっていたのでそれで帰ろうと思案を定めた。
しかし大きな罠があった。宿が駅から遠く、歩くのも心細いし、タクシーを使えば飲み会一回分からディナー一回分に跳んで高くなることに気づいていなかった。これは想定の外だったから、仕方ないとはいえ少し傷心した。
さらに宿に入っても誰も迎えてくれなかった。宿の中は下駄箱の仄かな灯りを除いては真っ暗といって差し支えない。目の前にはだだっ広い和風の応接間がある。そして外は田園風景か住宅地か言葉にしにくい風景をしている。この時点で十分に物の怪が出てきても不思議のない場面である。既にぼくの胆は「だからあの時いったんだ!高松でよかったじゃないか!」と心の中で叫んでいる。館内図もPDFでご丁寧に手書きのものが用意されており、見ると宿泊客の部屋は少々奥まったところに配置されているようで、何なら別館の気もする。何かここまででホラーゲームを想起しない要素があれば是非とも挙げてみていただきたい。
 
 とはいえ今日はここに泊まるほかない。恐る恐る応接間の照明をつけるとさらに奥に応接間がもう一つ見える。そこもまた灯りの一つもない。さらに自分の付けた照明のせいで手前から奥に暗くなっていっている。いくつ灯りを付けたら物の怪やら化け物が出て来てぼくを襲うのだろうか。しかしここで二の足を踏んでいたところで何も始まらないのがゲームの常であり、よしんばこれが現実であったとしても何も始まらない。寝床は少なくともこのいくつかの照明よりも先にあるのだから、歩くほかに展開が進むことはないのだ。寝床ではないここで寝てもよいが、それよりかは照明をつけて寝床まで行くことを選ぶほかなかった。恐る恐る電気を付ける。明るくなる。もう少し進んで電気を付ける。明るくなる。ここで誰か人がいないか呼んでみればよいことに気が付いた。「ごめんください、どなたかいませんか?」すると奥から何かしらの声がする。そして応接間を折って右に曲がると灯りもついてある。とりあえずこちらに進んでみる。すると気の弱そうなおじさんが一人、キッチンにいた。ついでにその間に自室も見つけた。そして話を聞くと単身赴任中で休暇を利用し家族がこちらに来て、旅行の最中だったそうだ。是非良い休暇を過ごしてほしいものだ。ぼくとしては声に応じてくれて助かる限りだった。この一声が物の怪満ち溢れるホーンテッドマンションからただの古民家宿に塗り替えてくれたことにぼくは感謝している。それが少年少女でも老人でもこの応答に感謝した。
この後はしばらく飲んで寝た。終わりはあっけないのだ。意識が落ちるだけなのだから。


五月六日

 朝は琴平に向かうつもりで、しかし睡眠に任せたかったためアラームはかけなかった結果朝八時に起きて、これが実は起きて琴平にすぐ向かうには遅すぎることに気が付いた。しかして昨日のエントリーに書いてあった、知り合いに合流する予定を考慮するにまず高松に向かわざるを得なくなった。曰く十五時頃に解散しようとのことであったから、そのように解散してその足で琴平に向かい、あとはあれこれして東京に戻る事になる。早めに帰ることになるかと思っていたがこれなら退屈はしなさそうだ。願わくば琴平でうどんが啜れますように。
四国、特に北の方は善通寺やら観音寺やら宇多津やら多度津やら面白い地名が多い。常用漢字は二一三六字あるから、それだけあれば文字の組み合わせに特徴も出るだろう。

 さて十一時ごろ。なんとか宿のある街から脱出して高松に向かって、そのまま待ち合わせ場所に向かった。知り合いは会ってもすぐわかるような、全く変わらないいでたちをしていた。懐かしい顔だ。
昼飯でも、ということで一鶴に入った。一鶴の鶏はなんか辛い。おやどりは何ともないがひなどりが辛すぎる。一鶴に次行くことがあれば覚えておいてくれたまえ。皆さんは皆さんの味覚があるだろうから何でもないが、ぼくにとっては一鶴はおやどりでなければならん。しかしそれにしてもスープとおにぎりは美味しかった。
しばらく昔話をした。近況の話だったりご飯の話だったりをした。ひとの事だからあれこれを日記に記載するのはよしておくが、ひとまず近況がきけて何より。
そのあと周辺の商店街を案内してもらった。ガイドの友達は他にもいるが、周辺を歩くのは地元の人に限る。あの時は好奇心だけで声をかけまくっていたが、今になって縁というものはあるような気がしてくる。ちなみに欲を言えば京都に詳しい友達が欲しい。贅沢だろうか?今度旅行に行ってみようか。欲は言えるうちに言っておかなければならない。若い時間はもう時間は長くない。もう若い時間はそんなに残されていない気がする。旅行に行っていろんなところで友達を作るのだ。

これは今この日記を見返していて差し込む文章であるが、今の一節には公然と辛辣な批判をせねばならん。これが良くないのはカントもそう言っている。目的の国というやつで、カントに言わせれば人を目的論的には見てはならないということである。京都に詳しい人が友達に欲しいのであればガイドを頼むのが一番公明正大であろう。これは悪なのだろうか?それとも単なる逸脱なのだろうか?

 閑話休題。さてこのあとは商店街巡りをした。紅茶が好きという話を聞いてくれて紅茶とパスタのカフェへ。紅茶ゼリーが美味しかった。ぼくがニルギリティー、知り合いがセイロンティーを頼んで一杯交換してみたが、ニルギリの方が舌ざわりがよく、セイロンは味が濃かったように思う。
次に築港のほうを散歩してみた。これは存外楽しかった。何もなかったけれども何か雑談は弾んだ。何でもない話が弾む時間が一番楽しい。これが日記にするときには一番困るはずだが話しているときはこういうのがいっとう良いのである。裏を返せば話をするのに頭を使っていない、次の進行がすらすら出てくる状態に入れたのだ。
最後は駅ビルに入って本屋に入り込んだ。そこで十五時がしばらく過ぎて解散。お世話になりました。

 観光の続きと行こう。しかしその前にあと何ターン行動できるか計算するために帰るルートを設定しておく必要がある。帰りはサンライズ瀬戸がまず予約できそうな見込みもないこと、飛行機は確かに安いし早いがスカイメイトの予約の方法がよくわかっておらず、カウンターに直接問い合わせて搭乗できなかったときのことを考えると信頼性に欠ける―おそらくは当日スカイメイトで照会はできたので、飛行機で見るのがもしかすれば最善手だったかもしれない―から念のために買っておいた新幹線のグリーン車で帰ることにした。整理のために行程を記してみよう。

(理想)
15:40~16:30? 高松→琴平
17:25~18:30 琴平→高松
18:40~19:30 高松→岡山

(現実)
15:50~17:05 高松→琴平
17:44~18:50 琴平→岡山

 実は15時40分の便にぎりぎり間に合いそうであったが、スマホの電池が切れている際に駅員に聞いたらば「次の出発は50分発が最速ですよ」と言われそれを信じてしまった。これにより十分遅らせたところ到着時間に三十分以上の遅延が発生した。これはぼくの日本語が誤解を招きそうであるから追記しておくが、駅員さんのせいだと追及したいという意図ではなく、充電器をしっかり持ってこなかったぼくの手落ちであった。加えて言えばいしづちに乗りたいとちょっとぼやいていたのが奇妙な形で叶った。これはこれで悪くない。

 多度津でしばしの待ちぼうけの後、後続の列車で琴平に到着。既に十七時は回って五分であるから高松まで戻ることを考えれば二十分ほどしか時間がない。なお土讃線を経由すると便が一時間に一本しかない関係でこれを逃すと列車には乗れなくなる。なお早着したため岡山駅でもう少し早い便はないのか確認したところ、普通車指定席・グリーン車含め全て満席であった。混んでいるなあ!日本もコロナ禍から戻ってきた証左であろう。しかし概ね皆考えることが同じとは困る。ある者は車で、ある者は船で、ある者はヘリコプターで移動してもらうようお願い申し上げる。車や新幹線、飛行機を使わなければ旅人だとして好奇の目を向けられるのは御免被るよ。

 閑話休題。時は十七時五分。場所は琴平駅。二十五分までに戻ってくることが出来れば高松に寄って少しばかりお土産を買う時間と高松にまた来ると言う時間があり、四十四分までに戻ってくることが出来れば予約した新幹線には確実に乗ることのできるようになっている。裏を返せば往復で四十分以上かけてしまうと今日中に東京に戻れる寸法を練り直さないといけなくなる。高松空港で祈るかサンライズの空席を祈るか、後続の新幹線を立ち席で泣きながら三時間耐え通すかの三択である。ここで記述していて感心したのはぼくが取ったのは終電の新幹線ではなかったことであった。万一このミスを犯してもギリギリ帰ることはできるらしかった。しかし、この四十分はもはやぼくにとっては定言命法である。いざ仏像のもとへ。

 走ってみて着いたのが十五分。店もだいぶ閉まっていたので、閉まっていたら仕方ない、縁がなかったと思ってすぐさま往復しようと考えていたが幸い開いていた。こうなれば木彫りの仏像(観音像)を買うほかにあらん。 代わりに、往復でちょうど二十分かかる、つまり二十五分の列車にぎりぎり間に合うということだから、早々に二十五分の列車に間に合わせる線は立ち消えとなった。まさか仏像を裸で持ち帰るわけもなし、尚更ぼくみたいな人間が相手であれば丁寧に梱包しないと何か所ぶつけて戻るかわからない。したがって梱包も含めれば二十五分は現実的ではないだろう。しかし四十四分には間に合って貰わないと困る。そして梱包の間待ちぼうけというのも少し焦燥感に駆られる。それも含めてか、参道にあった小豆島のオリーブサイダーをこの間に買ってはこれないかということを思いついた。確かに高松での買い物は叶わないし、ここで買っておかなければぼくみたいな鳥頭は忘れてしまう。ここで買いに行くことにする。

 そうと決まればひたすら参道を駆け上がる。この登り方は福男か駆け込み寺かのどちらかだろう。時刻は既に二十分だから、時間を鑑みれば十分弱で戻ってきたい。そうでなくても三十五分までに仏像を持って出発できなければたぶんおしまいだろう。
駆け上がっているとマラソンランナーのような気分になる。事実少女が走るぼくを好奇の目で見ていた。手を振り返してやった。途中にあったミカヤのマフラーのような、藍染めのオーガニックコットンのマフラーも買った。これは彼女ができたらあげたい。ぼくはマフラーは苦手なのだ。そして藍染めのこのお店は昨日の時点で綺麗だなあとは思ってはいたのだった。
さらに駆け上がる。運の悪いことに小豆島オリーブサイダーは門の前の参道の上の方のとあるお店にしか置いていないのだ。参道を全て踏破する必要はないとはいえ、二十歳を過ぎた男の体力の減衰を無情に突き付けてくる。ランニングするしかないか…!
階段を登り切るころにはかつての青春の感覚があった。服は汗で濡れ散らかし、開いた口が呼吸したさにふさがらない。この高さにまで登ればそれなりの眺めも手に入るものであるがそんなものは覚えているはずもあらん。して店主に「覚えていないかもしれなかったけれど、昨日来たものです、美味しかったんでサイダー五本ください」と精霊のささやきのごときかすれ声で頼んだ。これは家に帰って、ひょっとしたら家に帰るまでに五本飲んでいるうちに購入回路を確保せねばならぬ。
 戻ったらおおよそ三十分ごろであった。あと十四分。梱包は終わっており、説明を受け、支払いを済ませ、職人さんにお礼を言い、さあ戻るぞ!もはやここからは帰路だ。もう冒険はないはずだ。これが最後の冒険である。
とはいえ十四分以内に来た道を戻るだけだからそう大したことではなかった。明日以降のことを考えながら、駅に戻ってきたときには四十分であった。四分も残していたため不要になってしまった切符の払い戻しも行う余裕すらあった。あとは南風で岡山まで戻る。

 新幹線は岡山ではそれほど混んでおらず、しかし東へ東へ向かうにつれ次第に混みあってくる。京都を過ぎる頃にはグリーン車にも関わらずほぼ満員であった。

※1 個人でつけている日記が出発時点でまだ家に届いておらず、執筆にあたり先にラップトップで文章だけまとめる事にした

※2 ぼくはタイピングならばおよそ3000字/h、手書きならば1000〜1500字/hほどの執筆速度を持つ。タイピングでおよそ3時間の文章は手書きでは10時間の集中を要する。現にこの内容を記したがゆえにこの先一週間は後に届いた日記帳への転記に追われ、それら一週間の日記へのエントリーは壊滅的な情報量の薄さに終わった


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