「被曝国の国民として」

    戦争では勝てば戦勝国として正義のために戦ったことになり、負ければ敗戦国として人類にとって恥ずべき行為を行ったことになる。
    間違った指導者に従ってしまった。戦争に反対することができなかった。そういった十字架を背負い続ける責任はもちろんあるだろう。しかし、敗戦国の国民に全ての責任者を押し付けることはできない。戦争で死んでいった人たちや戦争で家族を失った人たちの多くは普通の人たちなのだ。
     原爆を落とさなければ戦争が長引きもっと多くの犠牲者が出ていたはずだと考えるのは、普通の暮らしをしていた市民の頭上に原爆を落としても良いという理由にはならない。
人類の歴史で初めて普通の市民の上に原爆が落とされたという事実以外に必要な事実はない。
    日本人には自分のことを棚に上げて物を言うべきではないという感覚がある。しかし核兵器の廃絶を叫ぶのは人類に対する日本人の責任ではないだろうか。
     野蛮な国が核兵器を持っている限りは抑止力として核兵器を持ち続けなければならないと考えるのは短絡的過ぎる。真剣に核兵器廃絶を考えているようには思えない。核兵器を作ることができた人間に核兵器を廃絶する方法を考えられないわけがない。
    自国の利益、一部の人の利益しか考えられない政治家には何もできない。何も変えられない。若い人たちも、若い心をもった人たちも、無関心をよそおうのはやめよう。人類の未来を切り開くのは、誰でもない、私たち一人ひとりなのだから。


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