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区切りの貴重な時間

昨日、6歳の娘の卒園式へ参列してきました。
大きな区切りをみんなでお祝いし、共有する独特の雰囲気が懐かしかったです。

卒園式を運営してくれた、幼稚園の先生方やスタッフ。
健康状態を維持して、当日まで練習を重ねてくれた生徒のみんな

1つの大きな区切りを迎えることが出来た現実に感謝しかありません。
色々な偶然が重なり合って、無事この日を迎えられています。

式典の内容に細かく言及するのではなく、40代を迎え、卒園式という式典に参列して感じたことを少し書いてみようと思います。

最初にまとめると、、

卒園式とか誕生日、年末年始などわかりやすい区切りがあるものはわかりやすいですが、あとから二度と共有出来ない時間だったと認識することの方が人生では多いなということを考えました。

祖母との会話

数年前に亡くなった祖母。
亡くなる直前の5年間はボケが進んでいて、コミュニケーションがだんだんと取れなくなっていました。

ずっと、おばあちゃんとお互いがコミュニケーションを取ろうとして取った最後はいつなんだろう?

そんなことを考えたりしました。 でも、わかりません。

おそらく何処に必ず最後の会話だった瞬間があったはずです。
でも、それを最後だと認識せずに終わってしまいました。

子どもとの毎日

夜寝る時に照明を消すと、長女はきらきら星を歌ってくれました。
照明のことを“お月様”と呼んでくれました。

寝る前にノンタンの踊りを踊ってくれたときもありました。

でも、これらのことはもう無くなりました。
長女の可愛らしい各行動の最後は必ずあったはずです。
でも、それを最後がいつなのか、私にはわかりません。

子育てをしていると多くのことで同じようなことが起こりまくっています。
子どもの反応1つ1つは当たり前ではありません。
明日にもその反応が変わってしまうことは日常茶飯事です。

“その瞬間を大切に”

祖母と子どもの一例だけを書きましたが、両親に対してもそうですし、会社の同僚、夫婦関係もすべて同様です。
すべての出来事とは一期一会で二度とない瞬間であることは誰も疑いようのない事実です。

急な怪我や病気をしたら、それらが起こる前の感覚や感性に戻ることはありません。 
娘は卒園式が終わり、23年4月から始まったさくら組は解散となりました。その出来事気にしている素振りはありません。
もう2度とあの教室に集まって歌を歌ったり、朝の挨拶をすることもありません。

でも、娘だけではなく、私はもちろんあらゆる人にとって、卒園式的な瞬間が毎日起きているということが重要なのではないかと思うのです。

だから、アドラー心理学や“ひゃくえむ”という漫画で書かれていた“今、この瞬間”で輝くためにどうするか。

この問いを思い出させることが分かりやすい区切りを迎える意味なのではないでしょうか。

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