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人とはなすこと

元職場では、曲がりなりにも人にものを教える仕事だったので(教師ではなくて、講師。)話すことは得意なはず。かつて「喋るの止めると死ぬの?」とか「寝てる時と食べてるとき以外喋ってる」とか散々なことをいわれるほど、簡単に言うとおしゃべりな人間です。

おしゃべり

あ、これ見出しのための大きさなのか。ただ強調したいだけでなんのタイトルでもないです。

私にとってはおしゃべりすることは呼吸をするのとおなじこと。
そのくらい、のこと。
あ、確かにそれだと「止めると死ぬ」は正解なのだった。

先月の20日を最後に会社を辞めて、自主的に自粛していたので、だれにも会わず、話す相手はせいぜいレジのお姉さんに「レジ袋つけてもらえますか」とか、「ペーパーフィルター用に挽いてください」とか。

いやそれは会話ではない。オーダーだ。

このままでは、死ぬ。いや、死なないけど。

独り言は言う。それは仕事してた時から言う。
だけど、応答のない言葉を延々吐き出すほど壊れてはいない。

我慢が出来なければ実家の母に電話をするとか、友達と一回だけZOOMでお茶飲みつつ話したり。そうはいってもだれも職なしの暇な時間をずっと付き合ってくれるわけはないので、回線が途絶えた後の空虚感がすごい。これは本当だった。消えた画面をずっとみつめてしまう。

今日は久しぶりに日中オンラインの投資勉強会だったり、夜は従姉とテレビ電話で長話をしたりして、珍しく長く人と会話をした日だった。

一人は投資のひとなので、実にわかりやすくお金の説明をしてくれて、でも結果的に「そうか、結論これを売らんがための話か」という目的のはっきりした会話。

もう一人は血のつながりのものすごく濃い従姉との話なので、結論は出ず、しかし驚くほどの理解度。

呼吸をするようにおしゃべりをするわたしは、そのおしゃべりを止められると、死にはしないけど脳の中に言葉が溢れる。

ただ吐き出せばいい、というものではなく、そこに交わされる言葉がないといけなかったりする。

この先に新しく見つかる場所が、たくさんの受け入れとたくさんの投げかけのある場所でありますように。


なんだこれは、ただの日記ではないか。





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